105.誤会
春にこの村を出た。そして今は冬。
その間に紅児は花嫁に会い、紅夏に見初められ、まだ正式に祝言はあげていないとはいえ夫婦になった。
足を止めた紅夏の腕を掴んでいた手をそっと離す。吐く息は真っ白だ。
辺りはまだ薄暗く、地面は白い。風は止んだようだが、村にはもっとずっと前から冬が訪れていたようだった。
3年の間暮らしていた小さな店兼住居に視線が釘付けになる。
(こんなに……こんなに小さかったのね……)
今にも壊れてしまいそうなほど頼りなく、店と住居を合わせても紅夏の室よりほんの少し大きいぐらいかもしれない。紅夏に支えられるようにして紅児はふらふらと建物の裏口に近づいた。
こんなに早い時間に養父母は起きているだろうか?
ふと、戸を叩こうとする手が躊躇する。夏ならばそろそろ起きていてもおかしくはないが、今は冬である。冬の間は店を休業するので、それほど早くは起きていないはずだった。
(それに……もしかしたら……)
ここにいないのではないかとも考えてしまう。
紅児を引き取ってからは一年中この小さな住居に住んでいたが、以前は冬になれば親戚と集まって暮らしていたようなことを聞いたことがある。それはおそらく養父母の口からではなく、村人たちの何気ない会話の中からだったかもしれない。
だが紅児の物思いなど知らぬように、紅夏が裏口の戸を叩いた。
(あ……)
それは決して大きくなかったが、かといって家の中に人がいるならば聞こえない音でもなかった。
そして。
「……誰じゃ? まだ夜中じゃぞ!」
まだ眠そうな掠れた声が戸の向こうから聞こえてきて。
(……おとっつぁん……!)
「ああ、紅夏様じゃった……か……?」
戸を開け、紅児の頭一つ分以上高い紅夏を確認した養父は次の瞬間目を大きく見開いて絶句した。
「……おとっつぁん、あの……」
だが紅児が口を開いた途端、養父はひどく厳しい顔をして紅夏を睨みつけた。
「紅夏様……こりゃあいったいどういうことじゃ? なんで紅児がここに……」
怒りを押し殺したような声に紅児は戸惑った。何故養父は紅夏に怒っているのだろう。
「おとっつぁん?」
「紅児は黙っとれ!!」
おそるおそる声をかければ厳しい声が返ってき、紅児は肩を竦めた。なにか誤解したのだろうということはわかるがその中身まではわからない。
「紅夏様、わしゃああんたが紅児を大事にしてくれるっちゅうから託したんじゃ! だのに村さ連れてけえってくるなんて……っ!!」
最後の方はなんだか涙が混じっているように聞こえた。
(あ……もしかして……)
ここでようやく紅児は養父が何を誤解しているのかということに思い至った。確かに嫁いだはずの女性(養父としてはその心づもりであったのだと想像できる)が実家(?)に帰ってくるというのは尋常ではない。特にこの国では出戻りと思われても仕方がなかった。
どうにか誤解を解こうと紅児が口を開いた時、頭の上から落ち着いたテナーが降ってきた。
「ご無沙汰しております。この度紅児の叔父という方がセレスト王国から迎えにこられました。また、事後報告になりますが紅児と仮とはいえ夫婦になりましたので共に海を渡る運びとなりましたこと、報告に参った次第です」
実に要点をついた説明に、紅児は内心舌を巻いた。そして”夫婦”という言葉に頬をほんのり染めた。
「……え……あ……うん……」
対する養父は鳩が豆鉄砲を食らったような表情をし、どうにか紅夏の説明を咀嚼するとようやく口を閉じた。
その後ろからまたタイミングよく声がかかる。
「あんた、誰かきたんかー? ……あんれ、紅夏様でないの。寒くてたまらんじゃろうに、さ、入って入って」
養母は高いところにある紅夏の顔を確認したらしかった。まだ紅児の姿には気付いていないらしい。
養父はそれに苦虫を噛み潰したような顔をし2人をしぶしぶ招き入れた。その様子に思わず紅児は笑みを浮かべる。
これで最後かもしれないから、これまでのことなどいっぱい話をしようと思った。
血のつながりはなくても大事に思ってくれている人がいる。
それだけで幸せだと思うのです。




