密やかな影 02
急激な天気の変化に、窓辺で読書をしていたラファエルは顔を上げた。
つい数十分前はただの雨が降っていただけなのに今は暴風が吹き荒れ、雨がまるで鉛玉のように激しい音を立てながら窓をたたく。
「……妃殿下のご機嫌が麗しくなさそうですね」
誰にともなく呟いて、本を閉じる。
薄暗い室内は時折外の雷に照らされて影を作る。整えられた室内の家具や装飾の一つ一つは高価な輝きを持つのに、この薄暗さがそれを発揮させない。
いつもならこの時間は養い子であるボリスの元へ訪れているのだが、ここ一週間ほどはそれもせず、ただ部屋に篭りっぱなしだった。
あの手紙と小瓶を見てからというもの、心がざわついてどうしようもないのだ。
「……おや? 誰でしょう?」
ざわり、と空気が揺れる。大きな魔力が移動しているのだ。その動きはこちらへと向かってくるもの。
覚えのある気配は王都からドンドン遠ざかる。その度に激しく乱れる暴風。
「……妃殿下にお目通り無くこちらへ向かっているようですね」
機嫌が悪くなるのもうなずける。ああ見えて、あの悪魔公爵は魔王夫妻に気に入られている。そして、領地を隣り合わせにしているラファエルは悪魔公爵から気に入られている。正直ちょっと迷惑な事に。
ため息を吐き出すと同時に、控えめなノックの音がラファエルに届く。
「ラファエル様」
「なんですか?」
「お隣の公爵ロビン・リー様がお目通りを願いたいと……」
「俺より身分は上ですが、事前の連絡もなしとはマナー違反ですねぇ。まぁ、あの方らしいですが」
「いかがいたしましょう?」
「とりあえず応接間へお通しを。俺も後ほど向かいます」
遠ざかる執事の足音を聞きながら「厄介な相手に捕まった」とひとりごちる。自身の身分が伯爵なだけに、対応に気を遣わねばならずもどかしい。当の公爵はあまり礼儀を気にしない人だけれど。
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「突然押し掛けてごめんねぇ」
「……そう思うのであれば、事前に連絡を頂けると嬉しいのですが」
「そんな事、僕がするわけないじゃないかぁ」
「いや、わかっていましたけれど……」
なんだろう、他所の家なのにまるで主人のように堂々としたこの感じ。頭痛がしそうになるのを耐えて、ラファエルも向かいの席に座る。二人の間のテーブルにはすでにお茶と菓子が用意されていて、ロビンはもちろん食べ始めている。
「で。突然訪れたわけをお聞かせ願えますか? リー卿」
「君さぁ、最近ここに篭りっぱなしなんだって?」
「……そうでしたか?」
「はぐらかしてもダメだって!」
ロビンはケタケタと嗤って紅茶をすする。そのまま立ち上がるとゆっくりとした動作でラファエルの後ろに回り込んだ。
「ねぇ? あの手紙、読んでくれた?」
ハッとして、振り返る。雷光で影になったロビンの表情はうかがえないが、吸いこまれそうなほど深い藍色の瞳は不気味な光を放っていた。
「……あの小瓶を送りつけたのは……」
「僕だねぇ。だって、彼女を落ち着かせるのはあそこが一番だと思わない? 教会なんだから」
嘲笑うかの様に告げられた言葉。瞬間、沸騰するような怒りがわいた。
「僕にその牙をむけるかい? 構わないよ。だけど、敬愛するご主人様に虐げられている僕の姿を見て安心しているならそれは間違い。……僕は君が思うほど優しくないよ?」
「私の養い子に危害を加える可能性のあるモノを持ちこんだ。その罪は贖って頂きますよ」
ゆらりと立ち上がったラファエルからは妖しい気がにじみ出ている。雷光で生まれる影達がざわざわと揺らめき、暗闇を広げる。深紅の瞳が鋭く光った。
揺らめいていた影達が、一斉にロビンに襲いかかろうと床や壁を伝ったその時。
「だから君宛に手紙をよこしたのにねぇ」
困ったように頭を掻いたボリスが片手で指を鳴らした時。その影達は一斉に正しい場所へと戻り、ラファエルはは、と吐息をもらして床に崩れ落ちた。
「殺しはしないよ。ご主人様が嫌がるからね。……それにしても、ちゃんと手紙を読んでもらってないんだなぁ」
ホント残念だよ。
ロビンは懐からぴら、と一枚の羊皮紙を取り出して、崩れ落ちたラファエルの背中に落とす。そして、音もなくその場から姿を消した。
ちなみに。
その後目覚めたラファエルは背中に残された手紙を一目見て、こめかみに青筋が浮かんだ。むしろ血管が破裂するんじゃないかというような怒り具合。
「だっから、あんたの字は汚すぎて読めないんですよ!!! 古代語の解読にかかるような気分です!!!」
残念ながら。ロビンはとんでもなく悪筆だった。最初の手紙は急いで書いた事も相まって、かろうじて読めたのは最初の部分のみ。そのあとは解読すら不可能だったらしい。
学校の先生までしているのに。
以下蛇足。
ロビンさんは魔界の文字よりも人間達の文字の方が綺麗に書けます。
そして、まさかの矛盾発覚。こっそりと応急処置的な修正をしました。が。はたして後々に影響しないか不安です。
まぁ、ある程度読めるよね、という程度ですが。なのでギリギリ先生をできる状態です。
願わくは、彼のもとで学んだ子供たちが悪筆にならない事ですかね。