聖女と魔女
『まぁ、構わないよ。何かあった時の責任は魔女殿にとってもらうから。この地にいる間は匿ってあげる』
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日中でありながら薄暗い森。
淀んだ風が木々の間を抜け、その枝を揺らす。不安を掻き立てる木々の囁き、風のうねり。
そこかしこに漂う、魔の気配。遠くから聞こえる、獣の声。
この森はいつだって不穏な気配を漂わせている。
そんな森の中で、ルイゾンは暇を持て余していた。
使い魔に用を命じて外出させているため、からかう相手がいないのだ。
魔界に繋がる泉があるこの森に人間はめったに立ち入らない。日常的にこの森へと入るのは、魔に属するものか、この森を領土に持つ辺境伯くらいだろう。
もちろん、ルイゾンもこの森を利用する。
彼女の住処はこの森の中にある。契約者との約束の一つに、この森に関する事があるためだ。
だからこそ、森の変化にとても敏感だ。
漂う様に宙に浮き、籠に摘んだ薬草をいじくる。
手持無沙汰をごまかそうと無意識に手が動く。
歴史にはた迷惑な名を残すほどの魔女だ。退屈が一番嫌いだったりする。
「……めっずらしい。こんな森に人間? それも、この森にもっともふさわしくない人種じゃない?」
唐突に手を止め、抱えていた籠に手をかざす。籠はあっという間に消えてしまった。
ルイゾンはその場からさらに高く浮遊して、森を見渡せる位置まで上がる。
「ふぅん。……聖女サマか、巫女サマってところかなぁ。そう言えば、最近、どっかの国が神国を滅ぼしたって沈黙の魔女が言ってた気がする」
森の中、黒髪に褐色の肌の女が連れの手を引きながら走っていた。時折、魔物に襲われるも、なぜか魔物たちは無抵抗の女に消されていく。ただ、女も無傷では無い様で、その褐色の肌から徐々に血が流れ始めていった。
「聖なる力なんて、ホントにあるんだ……。でもダメ。あの血のにおい、魔を呼び寄せるし」
ルイゾンは呟いて、徐々に下へと降りていく。気まぐれでちょっと相手をしてやろうと思ったのだ。
褐色の女とその連れは、さほど大きくは無い湖のそばにへたり込んでいた。体力を消耗しているのだろう、肩で息をしているのがうかがえる。
ルイゾンは湖から少し離れた木の陰に降り立ち、そっと様子をうかがおうとした。
が。
「……そこにいるのは誰?」
射抜くような鋭い視線がルイゾンを睨む。その声に反応するように素早く動いたのは連れの女の方だった。おそらく褐色の肌の女を主とした主従関係にあるのだろう。
殺気を隠さない女と鋭い眼差しながらもまとう気は冷静な女。
ルイゾンは降り立った木の陰から静かに姿を見せた。それを合図に、褐色の肌の女は止めようとする連れの手をよけて立ち上がり、連れをかばうようにしてこちらを向く。
「さっすが聖女サマってやつ? 良くわかったね」
「貴女は……」
魔女?
褐色の肌の女の呟きは、声にならずに空気に溶けた。
緊張しているのか、身体が強張るその女の後ろ。ルイゾンはいまだに異様な殺気を滲ませる連れの女をチラリとみた。
「だいせいかーい。だから、抵抗は無駄。そこの後ろの女、普通の女じゃなさそうだけど、抵抗しない方が身のためよ?」
褐色の肌の女がハッとしたように後ろを振り返る。
連れの女は、チッと舌打ちをして、後ろに隠していた短剣を手の届かないところに放った。
この、普通ではない二人組にルイゾンの興味は引き立てられた。最初の予想通り、きっとこの二人は滅ぼされた神国の、身分ある聖職者だろう。そして、逃げ伸びてこの魔の森にまでやってきた。
辺境伯の治める領地はそのままル依存の縄張りでもある。
二人の出方次第では、匿ってやる事もやぶさかではない。
「ねえ、あんた達、名前は?」
「魔女に名を教える事の危険を知らないとでも思ったか!?」
間髪いれずに、殺気を放っていた女が叫ぶように返した。
ルイゾンはますます楽しくなった。魔女だと知っていて、ここまでたてつく人間は珍しい。
「あまりうるさくしない方が身のためよ? 魔女も危険だけど、この森にいる魔物たちだって、十分危険な存在でしょ? それに、別に真名であんた達を縛ったりしないよ。もう契約者がいるしね」
「……契約者とは?」
「ナイショ。でも、あんた達の態度次第では、匿ってあげても良いよ。どうせ、最近滅んだ神国の聖職者でしょ?」
ルイゾンの言葉に、二人は見事に対照的な反応を示した。褐色の肌の女は困ったような、ほろ苦いような笑みを見せ、連れの女は悔しそうに唇をゆがめた。
「わたくしの名はフレアと申します。ご察しの通り、聖女です。祖国を滅ぼした国の皇帝から逃げてこちらまで。この者は、私の侍女であり、護衛官のクロエと申します」
「素直でよろしい! そんなあんた達に選択肢を上げましょう!」
ルイゾンの示した選択肢は、決して彼女たちに優しいものではない。
今まで上流階級の生活をしてきた者には屈辱と感じてもおかしくないほどのもの。
このまま、二人で森に住むか。この場合、数日のうちに魔物の餌となる事は確実だろう。
もしくは、おとなしく皇帝へと引き渡されるか。ルイゾンはその皇帝を知らないが、逃げるくらいなのだからまぁ、良い結果は生まないだろう。
出自と身分を偽り、娼婦へと身を落とすか。
「匿うというのは偽りか!?」
「契約者でも無い人間に、無償の奉仕をするわけないでしょ? まぁ、人間に友好的な魔女もいるけどね。大抵は人間にいい思い出のある魔女はいないから、選択肢を示してくれるだけましだと思いなさいよ」
「だからって娼婦など!!」
「良いのです、クロエ。あの男から逃げられるだけで十分よ」
「そこの護衛官はまぁ、侍女として伯爵邸で働いても大丈夫そうだけど。聖女サマは無理。その容姿と雰囲気じゃぁ、数日と経たないうちに捕まっちゃう。聖職者が娼婦になるなんて思うような奴はほとんどいないから、聖女サマにとっては格好の隠れ蓑。……どうする?」
楽しむようなその問いかけに、二人はやっぱり正反対の反応を示した。
それを了承ととり、ルイゾンはさらに笑みを深くした。
「さて、ではおいで。我が契約者殿に会わせてあげよう」
最終的な判断は契約者殿の手にゆだねられているからね。
*****
濃密な、淫猥な空気を裂くような衣擦れの音。
気だるい吐息を霧散させるような冷たい視線。
その立場に似合わぬほど、矜持の高いその姿。
褐色の肌に艶やかな漆黒の髪。
妖艶な姿の彼女は高級娼婦となった。