夜の教会
「……なんで貴方は毎回毎回ここに来るんだ?」
「ここは俺が唯一入れる教会だからですねぇ」
背後を森に囲まれ、その森の中には墓地がある。王国の辺境と呼ばれるこの村の端に存在する、小さな教会だ。この教会には神父が一人。彼がたった一人で、教会の手入れから墓地の管理など教会にまつわる全ての仕事をこなしていた。
そのたった一人の神父、ボリス・ハンセンは教会の中で祈りをささげていた。その祈りを邪魔するものが来るまでは。
「なんで貴方みたいな、教会とは全く持って関わりの無いような種族が好き好んで……」
「この教会が、俺らみたいな種族を拒絶しないからですよ」
闇を従えるかのような漆黒の服に身を包み、太陽に祝福を受けたかのような黄金の髪。
その瞳は鮮血を連想させる深紅。
「貴方が教会に頻出すると知ったら、村の者たちが怯えるだろう」
「なら、キミが結界を張ればいいでしょう? 聖職者なのですから」
静かな教会の中、外から聞こえる雨音が響く。その音にかき消されるような囁き。
ボリスは微かに顔を歪ませた。
「吸血鬼」
「おや、俺の名をお忘れですか? あれだけ尽くしてあげたのに?」
「……」
「お忘れですか?」
雨に濡れた髪を書きあげ、妖艶ともいえる笑みを見せる男に、ボリスは小さく息を吐いた。
「……ラファエル」
「覚えていてくださって光栄ですよ。そこそこ長い付き合いなので、忘れられていたら流石に悲しいですから」
ラファエル。癒やしの意味を持つ天使の名。
なんでこんなやつが。
「ありえない」
「名前なんて個体を区別するためのモノでしかない。そこに深い意味はありませんよ」
上品な仕草でくすくすと笑う。だが、にじみ出る雰囲気に上品さはかけらもない。その視線は獲物を見つけた猛禽類のごとき鋭さで、笑みを形作る唇からは獲物を待ちきれないとでもいうように牙が見え隠れする。
真っ赤な舌がぺロリと唇を舐めて、そして言った。
「ねぇ? 結界を張れば良いではないですか? ハンセン神父」
「……憎たらしい。出来ない事を知っているくせに」
「ふふ、えぇ、知っていますよ。だって、俺がキミをここに連れてきたのだから」
途端に忌々しそうに顔をゆがめるボリスに、ラファエルは苦笑した。
神父とはいつも微笑みを張り付け、凪いだ海のように穏やか。聖書の教えを唱えて、懺悔する者たちの話を聞き、神の許しを代弁する者だと思っていた。否、それが普通の神父だ。
そう言った意味でボリスは全くと言っていいほど神父には向いていない。
今にも死にそうにやせ細り、貧民街で盗みを繰り返していた幼い子。
彼を攫う様に連れ去り、名前を与え、一人立ちできるまでの世話をしたのはラファエルだ。
友人たちからは散々からかわれた。変わり者の吸血鬼がとうとうトチ狂ったかのように餌をペットとして育てている、と。
「……あんたには感謝しているさ。これでもね」
何とか神父としてやっていける程度には礼儀と作法をたたきこんだが、ふとした拍子に見え隠れする、本来の性格や口調はどうしようもなかった。
でもそれがハンセン神父の良いところですね。
神父になるのを猛反対したボリスにサラリとそんな事を言ったラファエルはなんかもう、立派な親ばかだった。
「だからこそ、あまり人目について欲しくないとも思ってる。人間は自身にとって普通じゃない者を許容しない。富豪達から見る貧民。人間と同じ容姿なのに、人間を餌とする種族。どちらも一緒さ」
「おやおや、とても神父様の口から出る言葉とは思えませんね」
いつの間にか雨音は止んでいた。恐らく、雲に覆われていた空は美しい星たちに彩られているだろう。夜に映えるその姿を少し目を細めてみた。
神々しい人だ。
ボリスはいつもそう思う。神とは正反対に位置するだろうこの男は、いつだって神と見紛うほどの存在感を放っている。
そうして、いつだって周りの者を翻弄する。
「でも、貴方の心配は真摯に受け止めましょう。俺の養い子は優しく育って嬉しいですよ」
ほら。この飄々とした余裕。真摯に、と言っているが口調は全然真摯じゃない。
容姿は神々しいのに、口を開けばまるで道化師。
「……さっさと帰れ」
「ふふ、素直じゃないですね。……貴方の心遣いに免じて今日は早々に退散しましょう」
そう言って、教会を出る。見送りに外へと出れば、ラファエルはそのまま闇に溶け込むように姿を消した。
残されたのは月明かりに輝く星空。風に揺られる森の木々、そして疲れたボリス・ハンセン。
それでも、ボリスはこの養い親とのやり取りは嫌いではなかった。
吸血鬼に育てられ、そしてなんでか神父に収まってしまった自分。
幼子と青年だった二人は、いつの間にか青年と青年へと姿を変えた。いや、変わったのはボリスだけだ。ラファエルは、あの神々しい養い親は変わらない。
いつまでもこのままではいられない。
自分は養い親よりも早く年老いて、そして彼を置いて逝く。
「……」
どうせ考えたって何も変わらない。
一度空を見上げて、そして何事もなかったかのように教会へと戻った。
明日からはまたいつもと同じ日々が始まる。