近衛騎士の受難
≪……あ、あの……ごめんなさい! 私の話、聞いていただけますか!?≫
「……っ!? うわぁ!!」
早朝の騎士隊舎。
普段は冷静沈着な近衛隊の副隊長の一室で、珍しくその男は取り乱していた。
「何事だ!?」
そこまで大きくはないが、反射で思わず出た叫びを聞きとったらしい隣室の隊長がノックもなしに部屋に飛び込む。室内は冷静沈着な男に似合いな無駄なモノが一切ない、ついでに必要なモノすら若干欠けてんじゃないかっていうくらいの殺風景さが漂う、よく言えばシンプル、悪く言えば本当に何もない。
その一室の真ん中で、この部屋の主ハヴェル・ビストロンは放心したように座り込んでいた。
「……ハヴェル?」
「……隊長、すみませんが特別休暇を要求します」
******
「で、なんでアタシが駆り出されなきゃなんないわけ?」
「申し訳ございません、魔女殿。ヘリオス様がぜひに、と」
ロビンが魔界へ行っていて暇を持て余していたルイゾンは現在、領主の騎士キースと共に領主のもとへとのんびり、それはのんびりと向かっていた。
「あんたも大変ねぇ。こんな、魔の森にまで使いっぱしられちゃって」
「……この森に入れるような人間はそういませんので」
「そうね、あんたは厳密には人間じゃないものね!」
ルイゾンの暇つぶしを兼ねた挑発はキースの微笑みの前にあっさりと敗北した。くい、と眉を寄せたが「つまんないの―」と呟くだけにとどめ、おとなしく彼女のあとについて歩く。いや、正確には浮遊した状態で流れるように後を追っていた。
「で? 本当にアタシに何の用なわけ?」
「正確には存じ上げませんが、なんでも王宮の近衛騎士のお一人が、魔女殿にしか解けぬ何かにかかったらしく……」
「何かって、何よ? そもそも王宮にはツェツィーリアがいたでしょ?」
ツェツィーリアとは、建国の王と契約を交わして以来、ずっと王宮に仕えている魔女の名だ。彼女があの城の王族達を知らぬ間に襲う呪いから彼らを守る役を担っている。
「……さぁ、私は存じ上げません。しがない地方領主の使いっぱしりですから」
あ、見えてきましたね。
森を抜けて歩く事しばらく。ようやく目的の屋敷の前に到着した。訪ねてきたという王宮の騎士と、領主の騎士、クレア、そして領主ヘリオス・アイズナーが玄関の外で二人を待ち構えていた。
「ヘリオス様。お待たせいたしました」
慇懃に礼をしたキースは騎士とクレアを伴って先に屋敷へと入っていく。話し合いをするための場を整えるのだろう。
「さて、我が主殿。アタシがわざわざ出向いてやってんだから、さっさと応接間に案内しなさいよ」
「おや、お変わりない様で。魔女殿。……あ、こちらが王宮の近衛隊の副隊長であらせられるハヴェル・ビストロン殿だよ」
「お初にお目にかかります。辺境の魔女殿」
「ふーん……」
ふわりと浮いて、ルイゾンはハヴェルの瞳を覗きこむようにして睨んだ。
「ねえ、主殿。とりあえず、応接間に通してちょうだい。それから、アタシとこいつだけで話がしたいわ」
こいつ呼ばわりされた事に、ハヴェルは一瞬ピクリと眉を動かしたけれど、何事もなかったように案内をするヘリオスの後に続いた。
通された先で、ルイゾンは一応自身の主人でついでに屋敷の主人でもあるヘリオスを追い出すと、席に座らず立ったままのハヴェルを見据えた。
「ねえ、王妃様はお元気?」
「はい、ご健勝であらせられます」
よどみのない返事。だが、ルイゾンにはわかる。ご健勝なんかではない。精神が崩壊しかけているのだろう。でなければ、このハヴェルの対応はツェツィーリアがしていたはずだ。
「簡単に言うと、あんたの身体の中に、異界の娘の精神が紛れ込んでしまっているわ。たぶん何とか出来なくもないと思うけど、とりあえずものすっごい時間がかかるし、この娘自体は外もないから一回城へ帰ったら?」
「……」
いつもは冷静沈着の男ハヴェル。だが、さすがにこの大雑把な対応には呆然とした。
しかし、ルイゾンにはおそらく手に負えない。これを本当の意味で解決できるのはツェツィーリアしかいないだろう。
「まぁ、今日はとりあえずここに泊まれば? ある程度、日常での対応の仕方とかは考えてあげるから」
そう言って半ば放心状態の男から意識を逸らし、テーブルに置かれたお茶とお菓子に手をつける。
さすが、腐っても領主様。食べ物もお茶も一級品ね。
*****
一人の男が恋に落ちた。許されない恋。魔王の娘。
攫って逃げて、二人は結ばれる。子に恵まれ、国を創る。
二人は魔王の怒りをかった。その血筋は呪われろ、と。
娘の侍女が助けに入る。その血が続く限り、娘のために国を護ると。
これは神話として残る、この国の建国の話。