第7話:シグナル・インテリジェンス:密談の波紋
王宮の北側に位置する「薔薇の離宮」。
そこは、第一王子ユリウスが私的な宴を開くための、いわば『聖域』だ。
強力な遮音結界と近衛兵の警護に守られ、いかなる密談も漏れることはないと信じられている。
「……配置についた。目標まで距離、約四〇〇。視界、良好だ」
離宮を見下ろす大時計塔の頂上。リナが低く報告する。
彼女の横で、俺——アルスは、ミリセント特製の『エコー・ミラー』を三脚に固定していた。
水晶の放物面が、月光を反射して怪しく光る。
「リナ、周囲の警戒を。魔力の揺らぎを感知したら即座に通信を切れ。……これより、シグナル・インテリジェンス(信号諜報)を開始する」
俺はミラーの焦点を、離宮のバルコニーの「空気」に合わせた。
物理的な風の振動を、魔力のレンズで収束させる。
イヤホン代わりの共鳴石から、雑音を突き抜けて「声」が届き始めた。
『……それで、帝国側の条件は?』
ユリウスの声だ。
いつもの傲慢な響きに加え、隠しきれない焦燥が混じっている。
対する相手の声は、氷のように冷徹だった。
『我がゾルダン帝国は、王国の北境における利権を求めている。……それと引き換えに、貴殿が次期国王として即位するための軍事支援を約束しよう』
リナが隣で息を呑むのがわかった。
隣国ゾルダン帝国。王国とは長年、冷戦状態にある仇敵だ。
王子が自国の土地を売り渡し、玉座を買おうとしている。国家反逆罪に相当する「極秘事項」だ。
『……よかろう。だが、もう一つ条件がある。……フィオナだ』
俺の元婚約者の名前が出た瞬間、ミラーの波形が微かに乱れた。
俺の指先が、無意識にダイヤルを微調整する。
『彼女を、帝国の公爵へ「贈り物」として差し出す。……彼女は聖教団とも繋がりが深い。帝国側で彼女を抱え込めば、教団の動きを封じる人質としても役に立つはずだ』
「……あの男……どこまで腐っているの……!」
リナの拳が、石造りの壁をきつく叩いた。
ユリウスはフィオナを愛して奪ったのではない。
単なる政治的な「駒」として、あるいは「便利な通貨」として、俺から奪ったに過ぎなかったのだ。
「……観測完了。十分な証拠だ」
俺は冷静に『エコー・ミラー』を解体し、アタッシュケースに収めた。
感情を動かす必要はない。
ユリウスがフィオナをどう扱おうと、それは俺にとって「彼を破滅させるための火種」が増えたという、ただそれだけの事実に過ぎない。
「アルス、あいつを……ユリウスを、今すぐ……!」
「焦るな、リナ。……情報の価値は、寝かせるほどに増していく。今これをバラしても、王子は『証拠がない』と突っぱねるだろう」
俺は夜風に吹かれながら、暗い離宮を見つめた。
「彼がフィオナを帝国へ引き渡す『その瞬間』。彼が最も成功を確信し、護衛も油断しているその時こそが、最も美しく社会的に処刑できるタイミングだ」
俺の脳内にある相関図で、フィオナという駒が「悲劇のヒロイン」から「王子の喉元を焼く劇薬」へと書き換えられた。
「……リナ、次の工作だ。聖教団の中にいる、俺の協力者に接触する。……『聖女が売られようとしている』という噂を、最も効果的な場所で流すんだ」
魔法の火力がどれほど強かろうと、民衆の怒りと、裏切られた信仰という名の「濁流」を止めることはできない。
勝負は、剣を抜く前に決まっている。
そして、盤面はすでに俺の支配下にあった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。桜庭ユウトです。
王子の非道な計画が、アルスの「耳」によって暴かれました。
元婚約者さえも売却しようとするユリウス。
その冷酷さが、アルスに「最高の反撃材料」を与えることになります。
ここから物語は、教団や帝国をも巻き込んだ巨大なコンゲーム(騙し合い)へと発展していきます。
アルスがいかにして「最弱の書記官」のまま、国家の天秤を操作するのか。
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皆さんの「期待」が、アルスの次の策をより鮮やかなものにします。
第8話、聖教団への毒投入編をお楽しみに。




