第3話:路地裏の騎士、あるいは研がれる前のナイフ
王都の下層区にある酒場「錆びた金貨亭」は、文字通り腐った臭いがした。
安酒、汗、そして絶望。王宮の資料室が「静かな死」なら、ここは「騒がしい腐敗」だ。
「おい、聞いてるのか? リナ。酒が空だって言ってるんだよ!」
どろりと濁った声が、カウンターに響く。
かつて『白銀の処女騎士』と謳われたリナ・フォン・フェルトは、無愛想にジョッキを差し出した。
その指先は荒れ、かつて名剣を握っていた手のひらには、今は酒瓶の重みが刻まれている。
「……三枚だ。先払いと言ったはずだ」
「はっ、没落した騎士風情が偉そうに。貴様が近衛の職を追われたのは、武器庫の魔導具を横流ししたからだろう? 泥棒騎士が」
男の嘲笑に、リナの奥歯が軋む。
身に覚えのない冤罪。家門は取り潰され、父は獄死した。
彼女に残されたのは、汚名と、錆びついたショートソード一本だけだ。
「……三枚だ。払わないなら、出て行け」
「なんだと? この……っ!」
男がリナの腕を掴もうとした瞬間。
喧騒の影から、ひょろりとした男が割り込んだ。
「失礼。その腕、あまり強く掴まない方がいい。……昨日、裏通りの『マダム・ベル』の店で、別の女性から引っかき傷をつけられたばかりでしょう?」
低く、抑揚のない声。
そこには、王宮資料室にいるはずのアルスが立っていた。
「あぁ? 誰だ貴様は。……書記官の制服か? なめるなよ!」
男がアルスに掴みかかろうとする。
だが、アルスは一歩も引かず、男の耳元で囁いた。
「懐の財布には、公金から横領した五枚の金貨。そして、奥様に隠しているはずの、愛人の写真。……今ここで、街中に触れ回ってもいいんですよ? 『観測』によれば、あなたの靴の裏には、その愛人の家の庭にしかない『紫の泥』がついている」
男の顔が、瞬時に土色に変わった。
アルスは男の目を見ない。ただ、淡々と「事実」という名の刃を突きつけている。
「……っ、クソが! 気味の悪い野郎だ!」
男は呪詛を吐き捨てながら、逃げるように酒場を飛び出していった。
静寂が訪れる。リナは、不審な目つきでアルスを見据えた。
「……何の真似だ。王宮の書記官が、こんな掃き溜めに何の用だ」
「助けたつもりはない。君の『性能』を確認しに来ただけだ、リナ」
アルスはカウンターに、一通の書類を置いた。
それは、彼女の家を破滅させた「武器横流し事件」の極秘捜査資料……の、さらに裏にある真実だ。
「……!? これは、ベリウス執事長の署名……? なぜ、あいつが私の事件の査問に……」
「君を追放し、フェルト家の所領を奪い取ったのは、ユリウス王子の指示を受けたベリウスだ。……君は、彼らにとって『邪魔な正義』だったに過ぎない」
リナの瞳に、激しい怒りの炎が宿る。
だが、アルスはそれを冷たく制した。
「怒りは情報の解釈を歪める。……復讐したいか?」
「……できるわけがない。相手は王宮の重鎮、私はただの酒場の女だ」
「いいや。君は今日から、私の『ナイフ』になる」
アルスはリナの目を、真っ直ぐに見つめた。
そこには、卑屈な書記官の姿は微塵もなかった。
「私は魔力も権力も持たない。だが、この国のあらゆる『急所』を知っている。私が情報を流し、君がその一点を突く。……そうすれば、魔法も軍隊も関係ない。巨大な象が針一本で倒れるように、この国を掃除できる」
リナは震える手で、アルスが差し出した「新しい偽分証」を受け取った。
「……私のやるべきことは?」
「まずは酒を一杯。そして、明日からベリウスの執務室の裏窓の下で、落ちている『ゴミ』を回収してくれ。君の騎士としての身のこなしがあれば、影に潜むのは容易いはずだ」
アルスは冷たく微笑んだ。
「ようこそ。情報の地獄へ」
その夜、王宮の影に、最強の実行犯が誕生した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。桜庭ユウトです。
復讐に燃える女騎士リナが、アルスの指揮下で最初の任務に就きます。
剣を振るうのではなく、影に潜み「ゴミを拾う」ことから始まるスパイ活動。
このギャップが、のちの圧倒的なカタルシスへと繋がっていきます。
リナの「忠誠」がアルスに向けられる瞬間を、ぜひこれからも見届けてください。
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第4話、ベリウスを追い詰める「最初の一手」をお楽しみに。




