第16話:聖女の孤独と隠された『欠落』
聖教団の本山、白亜の大聖堂。
その最上階にある「清めの間」は、常に神聖な香煙と、耳を澄まさねば聞こえぬほどの微かな祈りの声で満たされている。
「……神よ。どうか迷える羊たちに、光をお与えください」
聖女セレスティア。
純白の法衣に身を包み、月光のような銀髪を垂らした彼女は、まさにこの国の「良心」そのものだった。
だが、俺——アルスは、背後の影からその光景を「観測」し、静かに吐き気を覚えた。
(呼吸:極めて安定している。……だが、指先の組み方が不自然だ。祈りの言葉の合間に、彼女は微かに『耳の裏』を触っている。……そこに、教団が仕掛けた受信用の魔導具があることを、彼女自身が意識している証拠だ)
「……美しい祈りですね。聖女様」
俺の声に、セレスティアの肩が僅かに跳ねた。
彼女が振り返る。その瞳には、聖女特有の慈愛と、それ以上に深い「虚無」が宿っていた。
「……あなたは? ここは許可なき者の立ち入りは禁じられていますが」
「資料室の書記官です。……陛下より、大聖堂の『歴史的価値のある廃棄物』の整理を仰せつかりましてね」
俺はいつもの卑屈な笑みを浮かべ、手に持った一束の「ゴミ」を彼女に見せた。
それは、彼女が先ほど民衆の前で披露した『癒やしの奇跡』で使われた、魔力水の空き瓶だ。
「……それが何か?」
「この瓶の底に残っているのは、聖なる力ではなく、高濃度の『鎮痛剤』と『一時的な高揚剤』の混合物です。……聖女様。あなたが手をかざして病が治ったように見えたのは、神の加護ではなく、単なる薬物による麻痺だ」
セレスティアの顔から、血の気が引いていく。
俺は構わず、彼女の「聖域」を土足で踏み荒らしていく。
「あなたが聞いている『神の声』も……この部屋の天井裏に隠された、ミリセント教授(の以前の未完成品)と同系統の、指向性音響魔法による演出に過ぎない。……教団上層部は、あなたを『奇跡を演じる人形』として完璧に管理している。……違いますか?」
「……やめて。……そんなこと、分かっているわ。……でも、私は……」
彼女の声が震える。
俺は彼女に歩み寄り、冷徹な現実を耳元で囁いた。
「あなたはユリウス王子の不祥事を隠すための『清涼剤』として、これから各地を回らされる。……そして最後には、隣国の使者に向けた『接待の道具』として差し出される。……あなたの純粋さは、彼らにとって最も高値で売れる商品なんだ」
「……私は、どうすればいいの……? 神様なんて、どこにもいないのに……」
セレスティアの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
絶望。アイデンティティの崩壊。
これこそが、彼女を教団から「盗み出す」ための、最も確実な下準備だ。
「神はいませんが、……『情報の管理者』ならここにいます」
俺は彼女の涙を拭うこともせず、一通の契約書を差し出した。
「セレスティア。教団を裏切り、俺の『象徴』になれ。……偽りの奇跡ではなく、俺が提供する『戦略的な真実』で、この国を支配するんだ。……俺に従えば、君をただの人形ではなく、世界を動かす『意志』にしてやる」
「……あなたの、……『レコーダー』の、駒になれと言うの?」
「いいえ。……俺の『真実の口』になってもらう。……あなたが『神がこう言っている』と囁けば、俺はそれを現実にする。……二人で、この腐った教団を内側から食い破るんだ」
セレスティアは、震える手で俺の袖を掴んだ。
彼女にとって、俺は救世主ではない。
自分の偽善をすべて見抜き、地獄への道連れを誘う「悪魔」に見えただろう。
「……いいわ。……どうせ、私の居場所なんて、どこにもなかったのだから」
彼女の瞳に、初めて「自分の意志」という名の鋭い光が宿った。
(観測完了。……聖女セレスティア、確保)
教団の象徴を、俺の陣営に引き入れた。
これで「力」「技術」「噂」、そして「権威」が揃った。
王宮の闇で蠢く、隣国のスパイ『フェンリル』。
お前が信じているこの国のインフラは、もうすべて俺の管轄下にある。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。桜庭ユウトです。
聖女を「救う」のではなく、あえて彼女の立っている足場を破壊し、
自分の側にしか居場所がないように仕向けるアルスの冷徹な工作。
これこそがインテリジェンスのプロが行う「懐柔」です。
純潔な聖女が、アルスの毒に染まり、影の組織の一員となっていく……。
この背徳感とカタルシスを、次章ではさらに加速させていきます。
いよいよ役者が揃いました。
次なる舞台は、隣国ゾルダン帝国との国境付近での、本格的な諜報戦争。
アルスがどのようにして、目に見えない敵を「観測」し、排除していくのか。
「聖女様の堕ちていく姿が美しすぎる……!」
「ここからどうやって教団を壊すのか楽しみ!」
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皆さんの「観測」が、アルスの次なるシナリオをより非情で、より完璧なものにします。
第17話、暗黒の聖域:教団内部分裂工作編をお楽しみに。




