ある日の森の火炎放射
魔弾はレテという言葉について考えていた。――レテって川の名前? いや、「ここはどこだ」という問いへの答えだったから……地域名?
考え込む魔弾に、ゴウが声をかけた。
「日が沈む前に街に戻るつもりなんだが、良かったら乗っていくか? 荷物を詰めれば後ろに乗れるぞ」
「よろしくお願いします」
魔弾は即答した。
ゴウは立ち上がると、川の水で焚き火を消し始めた。魔弾は地面に敷いてあった三枚の布を畳んで重ねる。サキがあらかじめ片付けていたこともあり、運ぶ荷物は少なかった。ゴウは鍋を、魔弾は布を持ち、雑木林の獣道を歩き出す。
――駐車場、遠いのかな? 街ってどこだ? とりあえず交番に行けばスマホとか借りられるよな? いやその前に、パンツ一丁で交番はまずいよな……。ていうか二人とも、パンツ一丁の俺に一回もツッコまないの逆にしんどい。
魔弾の思考はどんどん加速していく。
――そもそも体調を崩して家で寝てたはずなのに、気づいたら川にいるってどういう状況だよ? あの状態で外出なんてできるわけないし、ましてや電車に乗って地方に移動とか絶対無理だろ。
疑問だらけの状況だが、魔弾は不安の裏でどこかワクワクもしていた。
突然、前を歩いていたゴウが立ち止まり、周囲を見渡した。魔弾も足を止める。
雑草と木々が生い茂り、見通しは悪い。しかし確かに“何か”が近づいてくる音がした。
ゴウは腰のサバイバルナイフに手をかけ、身を低くする。
その直後、目の前に鹿が飛び出し、そのまま駆け去っていった。
――びっくりした……! 鹿かよ!!
魔弾は心の中で叫び、ゴウにその興奮を共有しようと顔を向けた──しかし息を呑む。
サバイバルナイフを構え、一点を睨んでいるゴウ。その視線の先には、熊がいた。
熊はゆっくりと二人に近づいてくる。
TVで熊と対峙したときの対処法を何度も観ていた魔弾は、ゆっくりと後退ろうとした。しかしゴウは動かない。
タイミングを見計らっているのか、恐怖で固まっているのか、後ろの魔弾には判別できなかった。
魔弾は迷っていた。ひとりだけ距離を取るか。二人で協力したほうが撃退できるのか。どちらに転んでも状況が一変するのは明らかで、魔弾は下手に動くことができなかった。
熊が近づくほどに、魔弾の恐怖は膨れ上がっていく。
距離が五メートルほどになったとき、熊は突然後ろ足で立ち上がり、咆哮した。
その瞬間、熊の背中が燃え上がった。火炎放射のように一直線の炎が数秒続き、熊の毛を豪快に焼き焦がす。
火傷を負った熊は悲鳴のような声を上げ、クルッと方向転換して前足を着いた。
ゴウはその一瞬の隙を逃さず、背中の火傷部分へナイフを突き立てた。熊が悲痛な声を上げると、さらに深くもう一度突き刺す。しかし熊は死ぬ気配がなく、涎を垂らして怒り狂っているように見えた。
サキを視界に捉えた熊は、ゆっくりと彼女へ向かいかける。その顔面に、今度は火炎放射が直撃した。
「今だ!」
と言わんばかりにゴウはナイフを振り上げる。しかしその瞬間、熊が振り返り、爪を振りかざした。ゴウは一瞬で覚悟を決めた。
どうせなら道連れにしてやる。
迷いなく熊の喉元へナイフを突き刺す。火傷のせいか喉の肉は柔らかく、ナイフは深々と入り、大きく切り裂くことができた。
ゴウは目を瞑り、自分の番を待った。
「ドサッ」
目を開くと、熊が仰向けに倒れていた。
一部始終を見ていたサキが、涙ぐんで声を震わせた。
「ありがとう……」
サキは見ていたのだ。
熊が振り返るその瞬間、魔弾は足元の石を拾い、熊に投げつけた。狙った訳ではないが運よく爪に当たり、二本ほど吹き飛ばした。その衝撃で熊の前足の軌道が逸れ、ゴウは無傷で生還できたのだ。
サキのお礼に、魔弾はすぐさま頭を下げた。
「こちらこそ、助けていただきありがとうございました」
照れ隠しのように続ける。
「それにしても、今ってどこでも熊出るんですね……。襲われたの初めてですよ」
するとゴウが驚いた顔で言った。
「コイツは熊じゃねぇぞ」
熊の喉元からナイフを抜き、眉間に切り込みを入れる。皮に埋もれていた、人間のような眼球を抉り出して魔弾に見せた。
魔弾は耐えきれず草むらに吐いた。
――なにあれ……? 熊じゃないなら何? ていうかなんで二人ともこんなに冷静なの?なんで眼球を布に包んでるの? 戦利品みたいな扱いなの……?
吐き気が治まっても疑問だらけで、魔弾はどうしていいかわからず、しゃがみ込んだまま二人を眺めた。
二人は死骸の処理方法について話しているようだった。しばらくして、ペンライトのようなものを手に持ち、死骸のそばに立つ。まるで儀式が始まるかのような雰囲気だ。
魔弾は息を呑んで見つめた。
一分も経たぬうちに、サキのペンライトが光り始めた。光はどんどん強くなり、ペンライトとは思えない輝きを放つ。
次の瞬間、そこから火炎が噴き出した。先ほど熊に向けられた火炎放射と同じものだった。
不思議と魔弾は、その異様な光景をすんなり受け入れていた。これまでの疑問が、ひとつひとつ腑に落ちていく。
――ここ、絶対に異世界じゃん……。




