第5話 県庁解放作戦Ⅰ
時刻は21時。
作戦開始は21時30分。
雲母から機材の使い方やオペレーターの仕事などの一通り教わったが、鳴海には依然として不安と緊張が残る。
そんな鳴海にお構いなしに、横に座る雲母はチョコバーの包装を開けている。
「ん、なに?お腹空いた?食べる?」
「いえ、さっき食べたので…」
雲母は目が合うと、開けたばかりのチョコバーを差し出したが、鳴海は断る。
「そう、でも欲しくなったら遠慮しないでね。空腹じゃ頭も回らないから」
雲母はそう言うと、チョコバーを咥え、モニターの光に照らされながら、キーボードを叩き出す。
「なんか…ユウさんとは違いますね…」
雲母の奔放な振る舞いに鳴海はつい言葉が溢れた。
雲母はチョコバーを折り、ポリポリと咀嚼してから頬杖をつき、意味深な笑みを浮かべる。
「それは、どういう意味かな?」
気を悪くした、というよりかは興味深そうな表情だ。
作戦までは時間がある。共に仕事をする雲母という人間を知るのは悪くないだろう、と思い鳴海は少し間を置いて口を開く。
「……ユウさんは、アルスヴィズのリーダーとして意識して『そう』振る舞っている気がします。部下をまとめ、団結させる。カリスマ性…というんでしょうか。そういったものをある種の道具として利用している」
いのりはユウを「人の心すら道具扱いすることもある、酷い人」と言っていた。カリスマ性は、言ってしまえば一種の催眠のようなものだと鳴海は思う。一度かけてしまえば人の心を曇らせる力がある。ユウはそれを理解しているからこそ、それを積極的に用いている。
「一方で貴女は…」
雲母が目線で続きを促す。
「一言で言うなら自由な人、ですかね。表向きはユウさんがトップで、あなたがその次なんでしょうけど、実際は対等。それがユウさんや周囲に許される様な、自然と人を惹き付けてしまうような振る舞い…」
雲母は違う。彼女はどこまでも自然体だ。それが人には魅力的に見える。何にも縛られず、自由に生きる。それは誰もが夢見る生き方だが実行できる人間は少ない。だからこそ雲母に惹きつけられるのだ。
鳴海の分析に雲母は面白そうに目を細める。
「大正解、とは言えないけど概ね合ってるよ。あの人は昔からそうだった。人々に望まれる姿を演じるのが抜群に上手い。それが一番効率が良いと知っているから、それを進んでやるの」
食べかけのチョコバーをデスクに放り投げて続ける。
「私はそんなの出来ない、というかやりたくない。したい事だけしていたいし、命令されるのも嫌。鳴海くんの言う自由、ってのが大好き」
まぁ、そうだろうな。と鳴海は思う。ある種清々しい生き方だ。
だが、それならばなぜ雲母はアルスヴィズにいるのだろうか。
「命令が嫌ならなぜアルスヴィズという組織に居続けるんですか?」
いくら実の兄であるユウが運営していて、自由がきくといっても、組織というのに属する以上、自由は限られるはずだ。
その指摘に雲母はクスクスと笑う。
「私が自由より愛するもの、楽しさがあるからよ」
「アルスヴィズで働くことがですか?」
「う〜ん、ちょっと違う。アルスヴィズが楽しいんじゃない。あの人といると楽しいのよ」
あの人、つまりはユウのことだろう。
自由に一部放棄してまで得たい楽しさがユウにはあるのかと、鳴海は少しばかり驚く。
なんにせよ自由に、楽しく生きる。理想の人生だな、と鳴海は思うと同時にふと疑問が浮かぶ。
「じゃあ、もしユウさんと居るのが楽しくなくなったら、どうするんですか?」
今の雲母は自由で、楽しいからアルスヴィズにいる。なら、その楽しさが損なわれたら?
雲母は微笑む。この数時間で何度も見た笑顔。
だが、決定的に違う。その翡翠の瞳は笑っていない。鳴海の背に冷たいものが走る。
「その時は……」
雲母が言葉を続けるより先に、電子音が鳴る。作戦開始5分前を告げる音だ。
雲母が音を止めモニターに向き直る。
「楽しいお喋りは終わりみたいだね。さ、お仕事だよ」
雲母が刹那に見せた仄暗い感情の片鱗。その正体は分からない。だが、今はやるべきことをやる時だ。鳴海は自らに言い聞かせ、モニターの光に目を向けた。作戦開始の電子音が、静かな室内に響き始める。
21:30
「時間です」
鳴海が室内の時計が示す時刻が変わった事を伝える。
「了解。これより県庁への突入作戦を開始する。日本政府及び国防軍に通達。予定通り、電力供給のカットと陽動攻撃を開始せよ」
雲母が全体に向けて無線を飛ばす。先ほどまでの笑顔は消え、プロフェッショナルな顔つきだ。
鳴海がモニターから顔を上げ、大型スクリーンを見ると、名古屋の街の中心が暗闇に包まれている。展開している国防軍も行動を始めたはずだ。
「観測ドローンの様子は?」
雲母に声をかけられ、鳴海は慌てて自分のモニターに映る観測ドローンチームのカメラを確認すると、親指を立てた手が映っている。言葉の壁がある鳴海に配慮してくれているようだ。
「か、観測ドローンは既に待機中」
誰が見ても準備完了の意だと分かるサインに感謝しつつ報告し、キーボードのボタンを押すと各SAMのリアルタイム映像がスクリーンに同期される。
「了解。以降各目標はA、B、C、D、Eと呼称」
雲母もキーボードを操作し、SAMにAからEのアルファベットが割り振る。
「自爆ドローンの射出準備は?」
《いつでも。キチンと誘導を頼みますよ》
続いて、雲母は母船に最終確認をとる。
母船はブリーフィング直後に護衛艦と共に出航し、沖合に錨を下ろしている。ドローンの射出は船体側面から行う都合上、港に停泊したままだと出来ないというのと、目標に近すぎると高度が稼げないというのが理由らしい。
「了解。では、自爆ドローン射出5秒前…5、4、3、2、1…」
雲母がカウントダウンを始める。国防軍は既に戦闘中だが、アルスヴィズの戦いはこの自爆ドローンの射出によって始まる。
「自爆ドローン、射出開始!」
《了解、自爆ドローン射出!高度500mまで急上昇!》
雲母の号令で、沖合の母船の側面から閃光と白い煙が上がり、指揮所のモニターに映し出される。
《ドローンチーム、誘導開始》
ド射出から数秒で、鳴海が確認したドローンチームがレーザー誘導を開始。ドローンが放つレーザーにより、別のドローンが突入する。これが現代の戦争か、と鳴海が場違いにも考える間にも、自爆ドローンは高度を上げ、目標高度に到達すると、急降下を始める。それぞれの目標に向け正確に飛翔し——最初の1発が着弾。少しの間を開けて、次々と着弾する。
観測ドローンが動き、戦果を確認する。
《こちらドローンチームリーダー。AからE、全目標の命中と破壊を確認。観測任務終了、強襲班のサポートに回る》
自爆ドローンはその全てが役割を果たし、5つのSAMは沈黙した。
鳴海はどっと疲れを感じる。まだ人が死んだわけじゃない。突入したのはドローン。無人機だ。
いや、もしかしたらSAMの破壊の際にサルダート旅団の兵士も巻き込まれたかもしれない。
そうでなくとも今この瞬間、国防軍は戦闘をしている。そこでは当然死者が出ているはずだ。
だが、まだ作戦の第一段階が終わっただけだ。
これからユウやいのり達が県庁に突入し、「制圧」を行う。死者が出るのは避けられない。それがサルダート旅団なのかアルスヴィズかの違いだけだ。
「鳴海くん、強襲班へ通達をお願い」
「は、はい!」
雲母の指示に従い強襲班——ユウへと無線を繋げる。
「SAMの破壊が完了しました!強襲班、お願いします!」
21:46
「SAMの破壊が完了した。俺たちの番だ」
無線から響く鳴海の声は意外にもしっかりとしていて、関心しつつもユウは強襲班の面々に声をかける。
一向は作戦開始前からヘリに乗り込んみ、いつでも離陸できる態勢で待機していた。
別のヘリに乗るオリヴァーに手で合図するとオリヴァーは頷きで返す。
「アルスヴィズ、出撃!」
ユウの命令で、2機のヘリが飛び立つ。
低空で夜を切り裂き、県庁へと向かう。ステルス性を重視して設計されたアルスヴィズ製のヘリだが、それでも機内の騒音は激しい。ユウの目の前に座るいのりは、窓から眼下の街並みを見ている。
《よぉ、旦那。人質が何階にいるか賭けねぇか?》
なんとなくいのりを見ていたユウに、すぐ後ろを飛ぶヘリからオリヴァーの無線が入る。
「ギャンブルは辞めたんじゃなかったか?」
短いフライトだが、ユウは暇つぶしとばかりに会話に応じる。
《あぁ、すっぱり辞めたさ》
「じゃあ今のはなんだ?」
オリヴァーのギャンブル好きはアルスヴィズ内でも有名で、ことあるごとに賭けを仕掛ける悪癖もまた知られている。そして、しょっちゅう「賭けは辞めた!」という宣言をするが、数日で破る。今回の言い訳は何かとユウは待つ。
《決まってるだろ?新しく始めたのさ》
無線越しだが、ユウにはオリヴァーのニヤけた顔が目に浮かぶ。典型的なギャンブル中毒者だ。隊員たちの何人かが笑う。向こうの機も同様だろう。
「そいつは良い。何かを始めるのに遅すぎることはない、と言うしな」
ユウが答えると、隊員たちは今度こそ全員が笑った。いのりも微笑む。
オリヴァーは優秀な兵士だ。個人としての技量はもちろんだが、部下を気遣うこともできる。
アルスヴィズの隊員はみなプロだが、それでも人間だ。予定になかった依頼と、臨時編成の部隊に、少なからずの緊張があった。オリヴァーはそれを見抜き、軽いジョークで和ませたのだろう。
《それで?何階に賭ける?》
「………買い被りか」
ユウの深読みで、そんな意図はなかったようだ。
《なんのこったよ?》
「降下30秒前です!」
ユウが呆れて無視していると、パイロットが降下準備を告げてくる。
「了解。オリヴァー、2度とギャンブルすんなよ」
ユウは応答しつつ、頼もしいのかそうじゃないのか分からない部下に釘を刺した。
21:53
2機のヘリはそれぞれ県庁より少し離れたビルの陰でホバリングし、全員が降下した。
「こちら1-1。降下完了。県庁に向かう」
自身を含めた第一部隊5名全員が降下したのを確認したユウが、オペレーターに報告する。
《了解です。そこから西に100m直進後、右折して300mです》
無線からは鳴海の声。第一部隊のオペレーターは鳴海、第二を雲母が担当する事する。
「ナビ、間違ってないといいね」
「違いない。行くぞ。まずは第二と合流だ」
ユウはいのりの呟きに同意するが、ルート選定は雲母が行ったので、部隊ごと迷子になる事はない、はずだ。
22:01
果たして鳴海のナビは正しく、10分ほどで県庁を目視できる地点に到着。合流ポイントには、既にオリヴァー率いる第二部隊がいた。
「遅かったですね、道にでも迷いましたかい?」
「こっちのオペレーターはど素人なんでね」
オリヴァーの軽口に、ユウも軽口で返す。無線で鳴海が「ど素人…」と呟いている気がしたが、ユウは無視した。
「しかし、この人気のなさはなんだってんだ?もっと手厚い歓迎を覚悟してたんですがね」
「こちら1-1。県庁前に到着。第二とも合流した。だが静かすぎる。周辺に敵はいないのか?」
第二部隊は東から県庁に、ユウたち第一部隊は西から県庁に接近し、今は西側の正面にいる。第二部隊は県庁を半周はしている事になるのだが、敵兵とは一切遭遇していないらしい。
異常な静けさに、ユウは違和感を覚え、鳴海に確認する。
《周辺や県庁屋上はドローンチームが探しましたが、敵はいな…クリアだそうです》
「はぁ…?旦那、ほんとにここに人質がいるんですかい?」
オリヴァーの疑念も無理はない。ユウ自身、県庁へ近づいてからが勝負だと思っていたので、これでは拍子抜けだ。
考えられるとしたらオリヴァーの言う通り、人質がここにはいないか、ユウたちを誘い込む罠か。
前者でも後者でも面倒な事に変わりはない。ならばさっさと片付けてよう。ユウはそう判断し全員に告げる。
「作戦に変更はない。屋上がクリアならより簡単だ。やるぞ」
ユウの命令に各員が頷き、第一・第二部隊合わせて10名が県庁へ向けて動き出す。
正面玄関に着く前、第二部隊は建物の屋上に向けてグラップリングフックを射出。本来は地雷除去などに用いられる装備だが、アルスヴィズでは使い捨ての射出機と組み合わせて運用している。
「じゃあ旦那、また後で会いましょうや」
第二部隊全員がフックを固定したのを確認したオリヴァーが、壁に垂直に張り付きながら軽い口調で別れを告げる。
「あぁ、お前達の突入に合わせてこちらも動く。しくじるなよ」
ユウが念を押すと、オリヴァーは「お任せあれ」と言わんばかりに親指を立て、壁を登り始める。
ユウは第一部隊に合図を送り、正面玄関に向かおうとするが、ふと機内での会話を思い出す。
「おい、オリヴァー」
「はい?」
「何階に賭けたんだ?」
はやくも2階相当の高さに到達しそうなオリヴァーにユウは問いかける。賭けは建前で優秀な兵士である彼の意見が聞きたくなった。
オリヴァーはそれを察したのか、ニヤリと笑う。
「3階です」
ユウは首を振る。
「賭けは不成立だな。俺も同じ考えだ」
22:11
「入り口にトラップなし。いつでも行けます」
隊員の1人が入口のドア下からカメラを使って確認したが、爆薬などは仕掛けられていないようだ。
《こちら2-1、位置についた》
ちょうどその時屋上のオリヴァーから無線が入った。第二部隊も準備が整った。
「了解した。はじめよう」
隊員たちが一斉に動き出す。ユウの視線は正面玄関に固定され、戦場の静寂を切り裂く準備が整った。
Q なぜ行ったこともない県庁を舞台に?
A 私にも分からん