第3話 傭兵の倫理
段落が分からないんだよォ〜!
階段を登り、地下鉄から地上に出る。幸い、周囲に兵士の姿はない。
街はまだ混乱の渦中だった。遠くで銃声や爆発音が断続的に響き、空には煙が立ち上っている。だが、ユウといのりは動じず、冷静に周囲を観察する。
「敵影なし」
「あぁ、気配もしない。中心地からは離れられたみたいだが…」
突然、真上から爆音が響く。
驚いて空を見上げるとヘリコプターの編隊が黒煙を切り裂いて上空を飛んでいた。
「み、味方ですか?」
耳慣れない轟音に怯みながらも問いかけると、いのりが答える。
「間接的には味方、になるのかな。思ったより対応が早いね」
「あなた達の仲間…ではないんですか?」
「間接的には」という言葉に疑問を抱き、鳴海が続けると、今度はユウが答える。
「どこの部隊かまでは分からんが国防軍だ。敵じゃないが、俺たちの仲間でもない」
国防軍——日本の武力組織。かつては自衛隊と呼ばれていたそれは今では「日本国防軍」と名を変えている。
とはいえ、活動内容は自衛隊時代と変わらず、実際に武力行使をした記録はほとんどなかったはずだ。
それが今、ヘリコプターの編隊を組み街の中心地に向かっている。
「どうやら俺たちの出番はなさそうだな。車を拾おう」
遠ざかっていくヘリの群れを眺めていたユウが近くの駐車場に目をやる。放置された車が数台、乱雑に停まっている。ユウは一台の黒いSUVに近づき、ドアのロックを素早く解除する。
「どうやって…?」
鳴海が驚くが、ユウはニヤリといたずらっぽく笑う。
「ちょっとした悪知恵ってやつさ。悪用厳禁だぞ?」
そう言うとユウは運転席のドアを開ける。
しかし突然バランスを崩して倒れかける。開いたドアに手をついて何とか姿勢を保つが、顔色は悪い。
「大丈夫?」
鳴海よりはやくいのりが側に駆け寄り声をかける。
「あぁ、ちょっと眩暈がしただけだ。悪い、いのり。運転してくれ」
「わかった」
いのりが運転席に滑り込み、ユウは後部座席に入るとそのまま横になってしまったので、鳴海は空いた助手席に座る。
「えっと…大丈夫ですか?」
いのりがエンジンを始動させ、港までの道のりを確認している間に後部座席のユウに声をかける。
「あぁ、大した事はない。肉体は即座に再生するが血は少し時間がかかるんだ。要は貧血だ、クラクラするだけ」
横になったまま気怠げに答えるユウの顔色は、依然として悪い。死すら乗り越える再生能力にも、こんな弱点があるとは。
「それにしてもユウが民間人の盾になるのなんて珍しい。初めて見たかも」
バックミラーの位置を調節しながらいのりが言う。
「だろうな。痛いしこんな状態になるし、本当はやりたくないんだ。だがアルスヴィズのトップが民間人1人も守れないなんて広まったら仕事に影響出るからな」
鳴海を庇った理由がそんな打算的なものだったというのには少しばかりショックだが、それがなかったら鳴海は今頃生きてはいないだろう。
「港まで20分くらい。敵に遭遇しなければね」
出発の準備を終えたいのりがサイドブレーキを解除してアクセルを踏むと、車は低く唸りながら動き出した。
車内は静かだった。いのりはハンドルを握り、街の裏道を巧みに進む。顔色の戻ったユウは窓の外を警戒している。鳴海は拳銃を握ったまま、窓の外をぼんやりと見つめるが、一つ気付いた。
「運転もできるんですね」
ユウは当たり前のようにいのりに運転を任せていたが、この少女が運転までできるとは驚きだ。
いのりは一瞬だけ鳴海に視線を寄越したがすぐに正面に戻す。その代わりに口を開く。
「……ねぇ、ずっと気になってたんだけどどうして敬語なの?あなたの方が年上でしょ?」
「えっと、まぁ、初対面だし…というか君は何歳…?」
年下とはいえ、初対面の女の子相手にいきなりタメ口を使えるほど、鳴海の女性経験は多くない。
「多分、15歳」
「多分?」
いのりは少しの間を置いて答える。
「……私、孤児だから」
思いがけず触れにくい話題を踏んでしまい、鳴海は言葉に詰まる。だが、いのりはあくまで淡々としている。
「10年前のテロで死んだ。顔も名前も覚えてないけど」
つまり、いのりは幼い頃にテロで両親を亡くし、確かな年齢も分からないということか。
「10年前のテロ…?それってもしかして…」
鳴海もテロで両親をなくしている身。
10年前のテロ。それが日本での事だとしたら——
「福岡空港の爆破テロ?」
鳴海が恐る恐る口にすると、いのりが小さく頷く。
「うん、そう。空港にいたわけじゃないけど。あのテロで両親を失った。そしてユウに拾われたの」
鳴海の胸が締め付けられる。あのテロ——10年前、福岡空港を中心に襲った大規模な爆破事件。5機もの旅客機がハイジャックされ、空港以外でも多くの命が奪われ、鳴海自身も両親を失った。その傷が、今も心の奥で疼く。まさか、いのりも同じ事件の被害者だったとは。
「僕もだ…。あのテロで両親を…」
鳴海の声は震える。いのりが一瞬、鳴海を振り返る。彼女の緋色の瞳には、普段の無感情な光に加え、ほのかな共感のようなものが浮かんだ。
「ちょっと待て。お前も福岡のテロの被害者なのか? そりゃまた…随分な偶然だな」
ユウが後部座席から身を乗り出し、興味深そうに鳴海を見る。だが、その口調にはどこか探るような響きがあった。鳴海はユウの言葉に引っかかり、思わず問い返す。
「ユウさん…あのテロに、アルスヴィズが関わってたんですか?」
空気が一瞬、凍りつく。いのりがハンドルを握る手がわずかに強張り、ユウの笑みが微妙に硬くなる。
「関わってた、ってのはどういう意味だ?」
ユウの声は軽いままだったが、どこか鋭い。鳴海は言葉を選びながら続ける。
「だって、この子を拾ったってことは、ユウさんもあのテロの現場にいたってことですよね? アルスヴィズが何か…仕事か何かで関わってたんじゃないですか?」
ユウは一瞬、目を細める。だが、すぐに肩をすくめて笑う。
「ハハ、考えすぎだな。プライベートで…旅行か観光か、そんな感じで偶然居合わせただけだ」
その答えは、どこか歯切れが悪い。鳴海はユウの表情を窺うが、彼はすでに窓の外に視線を戻している。いのりも黙ったまま運転を続け、車内に重い沈黙が流れる。
(本当か…?)
鳴海の頭に疑念が浮かぶ。あのテロは、単なる無差別テロではなかったという噂が当時から存在している。裏で何らかの勢力が動いていたのではないか、と。ユウの「偶然」という言葉が、なぜか引っかかる。だが、今はそれ以上追求する気力も、勇気もなかった。
「でも、テロの被害者が…しかも当時はもっと幼かった子供がなんでPMCなんかに…」
「それは機会があればまた追々にでも。そんな事よりもう着いたみたいだ」
その代わり、といってはなんだがいのりがアルスヴィズに入った経緯について探りを入れようとしたが、言い終わるより前にユウに遮られてしまった。
車がスピードを落とす。
正面を見ると複数の物々しい装甲車両と武装した集団が道を塞いでいる。だが繁華街や地下鉄で見た黒ずくめの兵士ではない。
「あの人たちが仲間ですか」
「そうだ、無事辿り着けたな」
いのりがゆっくりと車を進めると1人の兵士が前に出てきて停止を求める。
「Freeze!」
こちらが味方だと気付いていないようだ。
「おいおい、俺だよ俺」
ユウが窓から顔を出すと、兵士は慌てて敬礼し、道を開ける。
「た、隊長!失礼しました!よくぞご無事で!」
ユウは軽く敬礼を返し、周囲の装甲車両を見つつ兵士に問う。
「どんな状況だ?」
「姐さんの指揮で各道路を封鎖。民間人は一応保護の名目で通しています」
「了解だ。どこにいる?」
「埠頭の球場に臨時指揮所があります。そこにいらっしゃるかと」
「ご苦労、引き続き頼む」
ユウが車内に顔を引っ込めると車は再びゆっくりと動き出し、兵士たちは敬礼で見送る。
「えっと、何を喋ってたんですか?」
当然と言えば当然だが、一連のやり取りは全て英語だった。鳴海は大学生だ。当然英語には勉学として触れているが——
「なんだお前、大学生だろ?英語くらい分かんないのか?」
「えーと、成績は悪くないですが実際に話している内容となると…」
悪くない。というのは良くもない、ということだ。
むしろ、第二外国語の中国語の方が成績が良いくらいだ
「不真面目な学生だな。いのり、このまま指揮所に向かえ」
言い淀む鳴海にユウは鼻を鳴らして笑い、いのりは運転を続けた。
海に近づくにつれ、避難民と武装したアルスヴィズの隊員達の数が増えていく。
人の波を徐行で避けながら進むと球場が見えてくる。入り口には警備の兵士が立っていたが、ユウが顔を出すと敬礼して道を開ける。
中に入るとそこは無数のテントが貼られ、それぞれのテントには機材と兵士たちが詰まっている。
その内の一際大きなテントの近くで車が止まり、ユウが、次いでいのりと鳴海が降りる。
「雲母!いるか!」
テントに入るとすぐさまユウが声を張り上げる。
その場の兵士達が即座に敬礼をする。
「はいはい、いるよ。おかえり2人とも…いや、3人?」
ユウが兵士たちに片手をあげて応えていると、奥から声がし、全身を覆うピッチリとしたスーツに白衣という奇抜な格好の女性が現れる。淡い金髪をハーフアップにまとめ、翡翠色の瞳がユウと同じ輝きを放つ。
「コイツは鳴海。居合わせた民間人だ」
「へぇ、らしくないね。てっきりいのりんとラブラブ逃避行してくると思ってたのに」
「アホかお前は」
ユウと女性は親しげに話し出す。いのりとはまた違った関係性のようだ。鳴海は女性の瞳がユウと同じだと気づく。
「こちらの方は…?」
「雲母。アルスヴィズの科学開発部門長で、実質的なナンバー2。……あと、ユウの妹」
表情こそ変わらないが、いのりの声にはどこか硬さがあった。雲母に対して苦手意識でもあるのだろうか。
「はぁい、鳴海。いのりんに紹介されちゃったけど雲母だよ、よろしくね〜」
「ど、どうも」
雲母は手をひらひらと振って、人懐っこい笑顔を向けてくる。美人な彼女の意外なギャップにあっけなく心が揺らいだ。男というのは単純である。
「で、状況は?」
ユウが話を進めようとすると、雲母はいたずらっぽい笑みを返す。それは、車の鍵を解除した時のユウのそれに似ている。なるほど、確かに妹だ。
「私たちよりそっちの方が分かってるんじゃない?なにせ現場にいたんだから」
ユウがジトっとした目で雲母を睨むと、雲母はクスクス笑った後に、スッと表情を切り替える。
「現在、コード24-Bに基づき第二種戦闘体制中。ここより2km先に警戒線を構築。途中で偶発的な戦闘はあったけど現在は落ち着いている。避難民は受け入れてるけど、それ以上の事はしてない。以上の2点は非常措置として日本政府には通達済み。他に聞きたい事は?」
打って変わって真剣な表情で一息に報告する雲母。ユウは腕を組んで静かに聞き、話し終えると同時に口を開く。
「奴らについては?」
「情報はまとめてあるわ」
雲母がテントの奥へ促す。鳴海もユウといのりに続き、中に入るが、心の中で自分が場違いだと今さら気づく。だが、街を襲い、多くの死者を出した——そして自分が命を奪った相手の正体を知りたい気持ちが勝る。
(……僕はこれ以上ここにいていいのか?)
テントの奥には大きなスクリーンがあり、雲母が近くの端末を手に取る。
「襲撃犯はサルダート旅団。元ユーラシア連邦軍人で構成されたPMCね」
雲母が端末を操作するとスクリーンに様々な画像が表示される。
大陸にまたがるユーラシア連邦の地図、複数の男達の顔写真、勲章、部隊の旗と思われるもの、大量の銃器。
「現在のところ要求等は出されておらずひたすらに破壊と死を振り撒いているわ。ついでに県庁では要人達が拘束されてるみたいね」
次に表示されたのは名古屋市内の地図。中心部から赤、オレンジ、黄色と順に色分けされ、鳴海たちがいる場所は緑色。おそらく、現在の戦況を示している。
「国防軍は?道中でUH-2の編隊を見たぞ」
「えぇ、既に動いてる。けど最寄りの駐屯地は襲撃を受けたし、即応した国防軍は都市の封鎖で手一杯みたい」
雲母の言葉と同時に画面の地図上に複数の赤と黄色の「凸」が現れる。
これはサルダート旅団とやらと国防軍を表しているのだろう。
「で、ここからが重要。つい先ほど日本政府より非公式な連絡があった。内容は事態収集の協力。具体的には、県庁と人質の解放」
スクリーンに県知事の写真と、青い「凸」が現れる。位置的にアルスヴィズの部隊だ。
「んで、諸々引っくるめて……こんくらいでどう?って打診されたわ」
雲母がそれまで操作していた端末をユウに見せる。鳴海の位置からは画面は見えないがおそらく金額が表示されているのだろう。世界最大規模の民間軍事会社への依頼料がどれほどのものなのか想像がつかず、興味が湧くがさすがに覗きに行くわけにも行かず、我慢する。
「それで?どうするの?」
雲母がスクリーンに視線を向けつつユウに問う。
「うん、断る」
「えっ!?」
ユウの即答に、鳴海は思わず声を上げてしまった。ユウ、雲母、いのり、周囲の兵士全員の視線が鳴海に集まる。気まずさに顔が熱くなる。だが、勢いは止まらない。ユウの即答に、抑えていた感情が溢れ出す。
「なんで断るんですか!? 県庁に人質がいるんでしょ? 助けられるなら、助けるべきじゃないですか!」
ユウが眉を上げ、雲母が興味深そうに鳴海を見る。いのりは無言で、ただじっと鳴海を見つめる。
「お前、熱い奴だな」
ユウがニヤリと笑うが、その目は冷ややかだ。
「助けるべき、ねぇ? いいか、鳴海。仕事にはリスクがつきものだ。失敗したら、無用な損害が出る。うちの評価も下がる。そんな危険を冒すほどの価値が、この依頼にはない」
鳴海は言葉に詰まる。ユウの現実的な言葉は、確かに一理ある。だが、心のどこかで納得できない。
「でも…人質が! 助けを求めてる人がいるのに…!」
雲母がクスッと笑い、会話に割り込む。
「鳴海くん、熱いのはいいけど、現実はそんな甘くないよ? 私たち、つい2日前に別の戦場からここに来たばかりなの。武器も弾薬も不足してるし、兵たちには休息が必要。こんな状態で元気いっぱいのテロリストのいる県庁に突っ込むなんて、リスクが高すぎるの。…まぁ、金額がもう少し上がれば、考えなくもないけどね?」
雲母の軽い口調に、鳴海の胸に怒りが湧く。
「結局、金なんですか!? アルスヴィズって、そんな集団なんですか!?」
ユウが鼻で笑う。
「当たり前だろ。俺たちは慈善団体じゃねぇ。民間軍事会社なんて所詮傭兵だ。金で動く。慈善で動くなら、食い扶持がなくなる。分かるか、鳴海? 世の中は、理想だけじゃやっていけねぇ」
その言葉は、まるで氷水をかぶったように冷たかった。鳴海は拳を握りしめ、声を荒げる。
「でも、アルスヴィズは『あらゆる力の要求に応える者』なんでしょ!? なら、今、力を求めてる人たちのために戦うべきじゃないですか! それがあなたたちの仕事じゃないんですか!」
テント内の空気が一瞬、静まり返る。兵士たちの視線が鳴海に集まり、いのりの瞳がわずかに揺れる。雲母が口元に手を当て、クスクスと笑う。
「ふふっ、鳴海くん、面白いこと言うね。それってつまり、私たちに『敵を殺してこい』って言ってるのと同じ意味だよ? さっき人質を助けろって言ってた子が、殺しを肯定するんだ? ふーん、なかなかだね」
雲母の挑発的な言葉に、鳴海は言葉を失う。確かに、自分もサルダート旅団の兵士を撃ち殺した。その感触が、まだ手に残っている。助けることと殺すことが、同じ行為の裏表だと突きつけられ、頭が混乱する。
「僕は…ただ…」
鳴海の声が途切れる。ユウが一歩近づき、静かに言う。
「とはいえ、お前が何を言いたいかは分かる。
だが俺達という力を求めるのには、それなりの対価がいる。たまたまそれが金銭な事が多いだけさ」
いのりが小さく頷く。彼女の表情には、ユウの言葉を支持するような色があった。
雲母が端末を手に、スクリーンに新たな情報を表示する。
「まぁ、でも、鳴海くんの青臭い熱意は嫌いじゃないよ。もう少し日本政府が金額を吊り上げてきたら、話は別かもしれないし? どう?」
ユウは腕を組み、スクリーンを見やる。
「…まぁ、それ次第だな。だが今のところは待機だ」
鳴海は唇を噛む。ユウや雲母の現実的な姿勢に、反発しながらも反論の言葉が見つからない。自分が撃った兵士の血、アルスヴィズの冷徹な論理、過去と今日のテロ——そのすべてが頭の中で渦巻き、鳴海を苛む。