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第11話 新天地

 船の揺れが止まり、甲板に立つ鳴海の耳に、遠くから低く響くエンジン音が届き始めた。

ワン・オブ・ザ・ワールドは、ゆっくりとスービック湾の奥深くへと進んでいく。朝焼けに染まる海面を切り裂き、船首が静かに波を押し分ける。鳴海は手すりに身を乗り出し、目の前に広がる光景に息を呑んだ。

——これが、アルスヴィズの本拠地。

 湾の入り口を越えると、まず目に入ったのは、長大な滑走路だった。

コンクリートの帯が地平線まで続き、戦闘機や輸送機が整然と並ぶ。朝日を浴びて銀色に輝く機体は、まるで巨大な鳥の群れのようだ。

その奥には、煙突から白い煙を吐き出す工場。鉄骨とコンクリートで構成された無骨な建物群が、絶え間ない生産の鼓動を響かせる。

さらに視線を移すと、湾の中央にそびえる巨大なドーム型施設。ガラスと鋼鉄の曲線が太陽光を反射し、近未来的な輝きを放つ。

そしてその背後には、近代的なビル群が林立し、まるで一つの都市を形成していた。

 航海中の1週間は、いのりによる指導で埋め尽くされていた。

毎日、艦内の図書室や空いたブリーフィングルームで、いのりはどこから用意した英語のテキストを開き、鳴海は文法や発音を叩き込まれた。そのおかげで、鳴海は簡単な日常会話ならほぼ問題なくこなせる程度には習熟できた。高校や大学での授業より遥かに有意義な時間だった。

「まもなく着岸します。下船準備をしてください」

 船内のアナウンスが鳴り、ワン・オブ・ザ・ワールドがゆっくりと港に近づく。

巨大なクレーンやコンテナが並ぶ埠頭で作業員たちが忙しく動き、トラックやフォークリフトが荷物を運ぶ。

船が完全に着岸し、タラップが下ろされると鳴海は荷物を肩にかけ、深呼吸して船を降りる。

足元に広がるコンクリートの地面は、船の甲板とは違う確かな重みがあった。だが、1週間の航海に慣れた身体は、まだゆらゆらと波に揺られる錯覚を訴える。

不思議な感覚の中振り返ると、ワン・オブ・ザ・ワールドからヘリが飛び立ち、車両が物資を下ろしている。作業員の掛け声やエンジン音が、基地の活気を響かせる。

「鳴海、これ」

 行き交うヘリと車両を眺めていると、いつの間にか近くに来ていたいのりが端末と黒いカードを差し出してきた。

「これは?」

「アクセスカードキー。宿舎とか各施設の出入りに必要。他にも基地内の買い物とかにも使うから、失くさないように気をつけて。その端末は支給品。プライベート用と使い分けて」

鳴海が礼を言いつつカードキーと端末を懐にしまう間に、いのりはキョロキョロと周りを見渡す。すぐ探し物を見つけたらしく、近くの車両に歩いていく。

「オリヴァー、鳴海をお願い」

いのりが車両の傍でタバコを吸っていたオリヴァーに声をかけると、紫煙を吐き出したオリヴァーが眉を顰める。

「なんだ、嬢ちゃんは乗ってかねぇのか?」

「うん、ちょっと寄るところがあるから」

いのりはそう言うと別の車両へ乗りこみ、走り去ってしまった。

「だとよ。じゃあ乗りな坊主」

鳴海はオリヴァーに促されて車に乗り込むと車が走り出す。


 車は埠頭を離れてビル群の中を走る。

行き交う人々と車両の数は多く、とても一企業の施設内とは思えない。

「すげぇだろ?20年前まではここはただの空軍基地だったんだ。それが今じゃちょっとした都市並だ」

ハンドルを握るオリヴァーが言うように、ここは鳴海の訪れた事のあるどの場所よりも発展しているように見えた。

 そのまま車に揺られていると、周囲は背の高い建物から集団住宅へと景色が変わった。オリヴァーはその内の一棟の前に車を止める。ここが鳴海に充てられた場所らしい。

鳴海が車を降りると、運転席の窓が下がりオリヴァーが顔を出す。

「しばらくは外部には出られねぇが必要なもんは全部ここで手に入る。下の世話以外はな」

「は、はあ」

下の世話、はともかくとして道中見えた建物の中には商店の様なものもあり、軍需品から日用品まで多様な品が並んでいた。

「間違っても嬢ちゃんに手出したりするなよ。旦那に殺されるぞ」

「そこまで命知らずじゃないですよ」

ニヤニヤするオリヴァーに鳴海は苦笑で返す。

「ま、今のお前さんじゃあ旦那の出る幕なく嬢ちゃんに返り討ちだろうがな!」

オリヴァーは豪快に笑うと、エンジンを吹かしてあっという間に走り去っていった。

 宿舎内は簡素ながらも設備が整っており、なんなら名古屋で住んでいたアパートよりよほど良い。

カードキーに記された部屋番号を確認して室内に入った鳴海が荷解きをしていると、電子音が鳴った。先ほど貰った端末を確認するといのりからのメッセージが届いていた。

『13時に第3電算室に集合。場所は添付した地図を参照すること』

簡潔なメッセージに添付された地図を開くと、宿舎からほど近いビルが表示される。経路も単純で迷う心配はなさそうだ。


「第3電算室…ここか」

地図を頼りに指定時間に到着した鳴海は扉に書かれた部屋名を確認する。

「失礼しま…寒っ!」

扉を開けると、刺すような冷気が全身を包んだ。

部屋には等間隔に大きなコンピューターが並び、静かな光と音を放っている。

そして部屋の奥、大きなモニターと無数の小さなモニターの前に立ついのりと、椅子に座る人影があった。

「来たね。こちらはオペレーターのアズキ」

いのりの声に反応し、座っていたもう1人が椅子ごとクルリと回って素っ気なく挨拶をする。

「どーもよろしく」

現れたのは長い黒髪の女性。というよりはまだ少女といえる年齢に見えた。その顔つきと言葉は同郷のそれだ。

「ええと…日本人、ですか?」

「そうだけど、文句ある?」

鳴海が思わず確認すると、少女——アズキは睨む様な視線を向けてきた。

「いや、文句とかじゃ…」

鳴海はただ、自分といのり以外にも日本人がいるとは思わず驚いただけだった。

だが、アズキはいのりとはまた違う意味で難しそうな性格だ。

 鳴海がいのりに説明を求めて視線を向けると、いよりはアズキの座る椅子に手をかけ、淡々と話す。

「アズキはユウがスカウトした優秀なハッカー」

「スカウトぉ?拉致の間違いでしょ」

「ら、拉致?」

アズキの口から飛び出た穏やかではない単語に鳴海はたじろぐ。

 アズキはフン、と鼻を鳴らすと椅子の上で胡座をかいて話し始める。

「2年前にここにハッキング掛けたら思いの外簡単でね。ついやりすぎちゃって居場所を逆探知されたのよ。でも大丈夫でしょって油断してたらある日家の扉が吹き飛んでね。とっ捕まったわ」

アズキの話を繋ぐ様にいのりが口を開く。

「その時派遣された部隊に私もいた。懐かしいね」

「まったくクソ懐かしいね。まさか自分より歳下の女の子に銃口を突きつけられるとは思ってなかった」

表情を変えないいのりにアズキは皮肉っぽく返す。

2年前というといのりは13歳という事になるが、そんな幼い少女に銃を突きつけられるシチュエーションは確かに鳴海も想像できなかった。

「で、さすがに死んだかな〜って観念してたんだけど、何をトチ狂ったのかあの王様…あぁ、ユウね。に言われたのよ。うちで働かないか?ってね」

その時の事を思い出す様にアズキは遠い目をする。

諦めが良い、というよりかは日本で暮らしていていきなり武装した集団が家に突入してきたら、自分も抵抗など考えもしないだろうな。と鳴海は共感する。

「民間軍事会社にハッキングしかけたバカ女の度胸を買ったわけね。気乗りはしなかったけど、銃を突き付けられてる状況で断るなんて選択肢はなかったからね。要するに脅迫よ脅迫」

呆れたように肩をすくめるアズキ。

いのりの言った「スカウト」はあながち間違いではないようだ。たとえその時アズキ自身には選択権がなかったとしても、言い換えれば自社に損害を与えた相手を引き入れようとユウに思わせた程、彼女が優秀だという事にもなる。

「ちなみに逃げたら次は容赦なく殺す、って言われてるわ」

前言撤回。脅迫だった。

 アズキがアルスヴィズに籍を置く事になった経緯を話し終わると、代わっていのりが続ける。

「アズキは普段はオペレーターとして前線の隊員達の支援を行ってる。今はどの部隊も動いてないから手伝ってもらう」

「せっかくのオフを返上するんだからしっかりやってよね」

気怠げなアズキの言葉にいのりは小首を傾げる。

「アズキ、言ってなかった?訓練終了までずっと付き合ってもらうよ?」

「はあ!?終了までっていつまでよ!?」

「予定では5週間くらいかな。ユウに許可はもらってるよ」

声を荒げるアズキと対照的に、いつも通りの平坦な声でいのりが答える。

「チッ、あのクソ王様。また娘に甘くしやがって……はぁ、はいはい。分かったよ。最後まで付き合いますよ、お姫様」

 ブツブツと文句を呟くアズキだったが、大きくため息をついて降参する。そしてタブレット端末を手にとって鳴海に向き直る。

「やるからにはちゃんとやるわ。ひとまず今日中に訓練内容を決めるからアンタはもう帰っていいわよ。姫は当然残んなさいよ」

「うん、もちろん。それよりアズキ、いつも言ってるけど姫はやめてって」

いのりは頷きつつも、呼び方には不満気に抗議する。

鳴海はそんな2人のやり取りを背に部屋を後にした


船に1週間も乗ってたら陸酔いで翌日から訓練なんてできねぇだろ、という内なる声は射殺しました。

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