4話「再会・その1」
──そして今に至ります。
これが私が過去に犯した罪の全貌です。
自虐ばかりしているのは、私が根暗だからではなく、本当に私が悪い人間だからです(根暗なのも本当ではありますが)
救いようがない人間ですよね。結局サヌちゃんとは会うこともなく、ただただ私が一方的に彼女を傷付けて終わりです。
できることなら謝りたいですが、真に彼女のことを想うのであれば、そもそも会わないようにするのが一番です。
自分を傷付けた人間が目の前に現れる。どんな状況であれ、ストレス以外の何物でもないことは確かです。
私が仮に被害者側であれば、まずトラウマが呼び起こされて震えが止まらなくなるでしょう。
ですから、謝罪から逃げるというのが、最悪なことに最も正しい選択肢なのです。
罪を自覚して慎ましく生きる。これが私に与えられた罰であり使命なのでした。
……ですが、一つだけ問題がありました。高校生活初日にして最大の問題です。
それは……。
(怖い怖い怖い怖い……。ここにいるすべての人間が、各々の意思を持って歩いてるっ……!)
引きこもりを拗らせすぎて、そもそも高校生活を乗り切れるかということでした。
私は鞄を抱き抱えながら、小さく縮こまって歩きます。
青ざめた顔でジロジロと不審に辺りを見渡しながら、手の震えを抑えてのそのそと前進しています。
周囲には同じ制服を着た生徒がたくさん歩いていて、同じ方向を目指しています。
これは私にとっては信じられない状況でした。
小学生の頃に幾度となく見られた光景のはずなのに、同年代の男子や女子が歩いているだけで、尋常でないほどの緊張を覚えてしまうのです。
同年代。生徒。そんなワードが重なるだけで、あの頃のトラウマが少しずつ蘇ってきます。
苦しいあの視線が、あちこちから突き刺すように私に一直線に向かってくる感覚がありました。
実際には私のような人間など、目に入らない存在でしかありません。
誰も私になんて興味を持っていないでしょうし、そもそも存在していることにすら気が付いていないことでしょう。
言わば自意識過剰に過ぎないのですが、自意識過剰だと理解をしていてもなお、冷たい視線が私を突き刺す感覚がありました。
怖いです。震えが止まりません。
(サヌちゃんも……こんな気持ち……だったのかな……)
不登校になったあとのサヌちゃんのことは何も知りません。
でも、どんな道をたどっているとしても、今の私のようにトラウマが鎖となって自身を縛り付けているはずです。
私はサヌちゃんのことを考えて、申し訳なさを感じました。
(過去はもう変えられない……。取り返しもつかない……。私には何もできない……。無力だな……)
私は自分を呪いながら、通学路をゆっくりと着実に歩きました。
少しして、学校に着きました。
私立カサアダ高等学校。これから平日の間は毎日通うことになる場所です。
ちなみに志望した理由は家が近かったからです。そこそこ偏差値が高い所だったのですが、学力的にとくに問題がなかったので、ここを志望して無事に合格することができました。
私は校門をくぐって、ホワイトボードに書かれている自分のクラスと番号を確認します。
(一年三組の十六番……。一年三組の十六番……。一年三組の……)
クラスや番号を間違えるのが怖いので、何度も心の中で復唱しながら、ごちゃごちゃとしている校内をうろついて教室へと向かいました。
上履きに履き替えて、一年生なので一階を歩き回って、教室の扉の前までやって来ます。
私は、扉へと手をかけようとしました。
(……っ!)
ですがその瞬間、過去の出来事がフラッシュバックしてしまいます。
クラスメイトからの罵倒の言葉の数々が、脳内にうじゃうじゃと蔓延り初めて、そのまま焼き付いて離れなくなりました。
私は手をさっと引いて、思わず後ずさりました。気が付けば目は焦点が定まらなくなっています。
私は、教室に入ることができませんでした。
(何で……何で……? 教室に入るだけなのに……。誰も私になんて興味ないのに……何で私はこの一歩が踏み出せないの……?)
冷や汗はだらだらと流れていて、足は歩き方を忘れたかのように動かすことができません。
過去のトラウマが、私の前へと進む意思を邪魔していました。
私は扉の前で立ち尽くしてしまいます。
(怖い……怖いよっ……)
恐怖を感じて突っ立っていると、
「あのー、そこ入っていいですかー?」
「ぇ……あ……ご、ごめんなさっ……い……!」
後ろから人がやって来て、教室の前で佇んでいる私へと声をかけてきました。
私は背筋を振るわせながら、謝罪をして急いで横に避けます。
「……」
その人は私が横に避けたのを確認すると、何事もなかったかのように教室に入っていきました。
一連の流れを終えて、私は胸の辺りを服の上からきゅっと掴みます。
心臓がこれ以上ないくらいにバクバクと鳴っていました。
私はおどろおどろしながら俯いて身震いを始めます。
他人に迷惑をかけてしまったことによる申し訳なさと、他人から話しかけられたことによる恐怖が交わって心が苦しくなりました。
涙が出そうになりました。
(もう……嫌だ……)
私は、その後もしばらく扉の横で佇んでいました。
壁のほうを向いて人から目を背けて、何もせずに立っていました。
あとから教室に入ってくる生徒が、ちらっとこちらを見てきますが、私は意地でも目を背けました。
教室に入る瞬間よりも目立つはずなのに、私はそれでもその場で立ち尽くすほうを選びました。
そうしてずっと立ち続けていると、少しずつ朝のホームルームの時間が近付いてきて、人も少なくなっていきます。
取り残されていく感覚に私は焦りを覚えますが、今から教室に入ると余計に目立つのではないかという想いから、教室の中に入ることができませんでした。
いよいよ時間になり、先生が教室の前までやって来て、中に入らない私に声をかけます。
「どうした、中に入らないのか?」
女の先生でした。
冗談は通じなさそうなタイプですが、こちらに非がない限りは高圧的な態度を取ったりしてこなさそうな印象でした。
私は正直に答えます。
「な、中に入るのが……ちょっと……」
先生が返します。
「ああ、怖いのか……。気持ちは分からんでもない。なら先生と一緒に入ろうか」
「は、はい……ごめんなさい……」
「気にするな」
私は先生に優しく背中を押されながら、教室の中へと入りました。
「……」「……」「……」「……」
案の定、めちゃくちゃ目立ちました。
これから担任を務める先生に視線が集まるのはもちろんのこと、その先生に背中を押されている生徒がいれば勝手に視界に入ってくるというものです。
クラスの中には、先ほどから教室のすぐ側で立っている私を見かけていた生徒もちらほらいて、「あ、あの子だ……」と小さく呟いている様子が確認できました。
私は、一つだけ空いている席へと向かいます。番号を間違える心配はありません。
私が席へ座ると、先生が話を始めました。
「よし、では話を始めよう。私が今日から君達のクラスの担任を受けもつ来栖ピオメだ。紆余曲折あるだろうが、私が責任を持って君達を立派な生徒に育て上げようと思う。よろしく頼む」
先生が挨拶を終えて続けます。
「では今日の日程についてだが、このホームルームが終わったら早速入学式に出てもらう。それが終わったら、一人一人簡単な自己紹介をしてもらって、最後に連絡事項を告げて解散という流れだ」
「先生、それっていつくらいに終わりますか?」
「一応、十時半を予定している。時間内に終わらせられるように最大限努力はするが、時間をオーバーすることもあるので、念頭に入れておくように」
「はーい」
「それじゃあ体育館へ向かおうか。廊下に出て出席番号順に二列で並んでくれ」
私達は体育館へ向かいました。
荷物を持たずに二列に並んで、前のクラスのタイミングに合わせて出発します。
少し歩いて体育館に着くと、クラスごとに順に並んで待機の状態になります。
しばらくすれば準備が整って、校長先生だったりが話を始めることでしょう。
私は立ちながら思います。
(みんな身長高いなあ……)
私の周りには男女に関係なく、まるで立ちはだかる壁のように生徒がそびえ立っていました。
前後左右が塞がれているので、私からは何も見えません。
引きこもり生活であまり実感はしていなかったのですが、改めて学校に来てみると分かります。私はどうやらとても身長が低いみたいです。
過度な自虐で自身を低身長と罵ってみたりしましたが、事実として私の身長は低い。少し悲しくなってきました。
上から見れば、一つだけ潰されている気泡緩衝材のごとく、不自然に空間が空いていることでしょう。
少しして、先生が生徒同士の談笑を遮るために注意する声がちらほら聞こえ始めます。
その場が静まったことを確認すると、進行役の先生の指示に合わせて校長先生が檀に登ります。
マイクの位置を調整すると、喋り始めました。
「おはようございます。校長です。まずは新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。今日は天気にも恵まれ……」
それから延々と話が続きます。
この学校のことだったり。昨今の社会の流れのことだったり。あとは、何かを成し遂げた有名人のエピソードを語ったり。
話はそんなに退屈ではありませんでしたが、立ちっぱなしで話を聞くことになるので、とにかく足が辛かったです。
ですがこうして話を聞いていると、改めて学校生活が始まるのだという気になりました。
これまでも通っていた時期があったとはいえ、たった三年ほどしか学校にはいなかったので、懐かしいような不思議な感覚を覚えました。
(が、頑張らないと……)
私はひっそりと気合いを入れ直します。
ここでへこたれていてはいけません。過去に執着しすぎると、今が疎かになって、最後には未来を掴み取ることができなくなります。
私の犯した罪が一生消えることはありませんが、だからこそ社会の歯車となることで、形だけでも罪を償っていくことが大切なのです。
私は何とか前を向いていこうと、気を強く保ちました。
「では、以上で話を終わります」
校長先生の話が終わりました。校長先生はそのまま壇を降りて横にはけます。
次は新入生の代表による挨拶です。成績トップクラスの生徒が前へ出て言葉を述べます。
(やっぱり、見た目から知性が感じられたりとかするのかな……)
私はどんな生徒なのかを予想します。
新入生の代表を務めるくらいですから、やはりそれらしい立ち居振る舞いをしているのかもしれません。
(いや、意外とぱっとしない感じだったりして……)
とても失礼なことを私は考えます。
実のところ、その生徒は前のほうで立っているはずなのですが、生徒という壁が阻んでいるので、私だけは見ることが叶いませんでした。
なので、壇の上に立つのを待つしかありません。
男子生徒なのか、女子生徒なのか。意味もなく予想をしていると、進行役の先生が生徒の名前を読み上げます。
「次は新入生代表による挨拶です」
その名前を聞いた瞬間、
「新入生代表……」
私は、周りの景色が止まって見えるかのように、
「一年三組、清水香サヌさん」
「はい」
その生徒に釘付けになってしまいました。
学校名は物語の進行に何の影響もないので、覚えてくださらなくても大丈夫です。