30話「不穏」
二日後のことでした。
「この二日間、丁重にもてなしてくださりありがとうございました。とても楽しい休日を過ごすことができました」
「いえいえ、こちらこそ楽しんでくれて何より。学校、気を付けて行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」「い、行ってきます……」
週明けの月曜日。私達は制服姿で鞄を持って、お母さんにそう告げて家を出ました。二人横に並んで、まっすぐ学校へと向かいます。
土日のお泊まり会を経て親睦を深めた私達は、お泊まり会以前と比べてすっかり仲良く……。
「ユガミさん」
「ど、どうしたの……?」
「お泊まり会はまったくの未経験だったのですが、すごく楽しかったです。ユガミさんさえ良ければ、また泊まりに来てもいいですか?」
「い、いいよ……。私も、楽しくはあった……。でも、次からは事前には言ってほしいな……」
「考えておきますね」
「え」
「冗談です。ちゃんと伝えますよ」
「……」
いや、まだ完全とは言い難いかもしれません……。
ですが、かなり打ち解けてきているとは思います。サヌちゃんの雰囲気は前よりも柔らかくなった気がしますし、私も少しは緊張せずに話せるようになりました。
あの土曜日の一件を機に互いに歩み寄るようにする約束を結んだので、きっとこれからもさらに仲良くなることができるはずです。
それに、どうやらサヌちゃんが私に罰を与えてくれるみたいですし……。
(嬉しい……)
私はマゾヒストではありませんが、いざサヌちゃんから罰を与えられるとなると、とても気分が高揚します。
すべての報いを受けて、申し訳なさを感じずに生きられるようになるのが今から楽しみで仕方がありません。
私は心の中で一人で喜んでいました。
「うへへ……」
「……ん、どうかされましたか? 急に笑みを溢し始めて」
「えっ……!? あ……何でもないっ……」
「そうですか」
不覚にも表情にも声にも出てしまっていたようです。すごく変に思われているかもしれません。気を付けなければ……。
私は少々の恥ずかしさを覚えながら、そう決めました。
少し歩くと大通りに出て、同じ制服を着た人達と合流することになります。
同じ方向を向きながら同じ場所を目指すのですが、今日はいつもと何か様子が変わっていました。
(……?)
というのも、生徒から発せられる賑やかな会話に何やら違和感があったのです。
ざわざわとした楽しそうな雰囲気が、今日は何だかひそひそとした陰口のような険悪な雰囲気に感じられました。
会話の内容は聞き取れませんが、その素振りからネガティブなことを呟いていることは確かでした。
私が不審に思っていると、
「ユガミさん、気が付いていますか?」
サヌちゃんも雰囲気の違いを感じ取っていたようで、私に話しかけてきます。
私は返します。
「う、うん……。いつもと感じが違う……よね……。何かあったのかな……?」
「ええ、何かがあったのでしょうね。雰囲気が違うだけならまだいいのですがね……」
「え、どういうこと……?」
「視線がちょくちょく私達のほうを向いているのが分かりますか?」
「……!」
指摘されて私はハッとします。
言われた通りに周りをよく見ると、どのペアも集団も、ちらっとだけ視線がこちらに向いてくるではありませんか。
それはつまり、この陰口のすべては私達に向けられているということで……。
「もしかして……」
「はい、おそらくあの件でしょうね……。すでに噂が全体に広まってしまっているのでしょう。しかも話し振りから察するに、あれは私達に悪印象を抱いている可能性が高いです」
「悪印象……。あっ……私達が逆に集団を襲ってることになっているってこと……?」
「です。推測なので、真相のほどはあとで確かめますが。 何にせよ困りましたね……」
「……」
噂というのは、それが誰かに非のあるものであるほど広まりやすく、広まれば広まるほど取り返しがつかなくなるものです。
たとえ誤情報であったとしても広まるのは一瞬。もし本当に私達に矛先が向いているのだとしたら、今はかなりまずい状況にあります。
どうかその推測が正しくありませんように。私達はそう願うしかありませんでした。
不穏に包まれながらも私達は学校に向かいます。
道中はずっと嫌な空気に包まれていて、正直言って気が重くなりっぱなしでした。
そこかしこから、内容までは絶妙に聞き取れない会話がひそひそと聞こえてきて、私はその度に悶々としていました。
(辛い……怖い……)
ただでさえ注目されるのは嫌だというのに、今回はよりにもよって悪い注目です。
問題を起こすだけでも多少は目立つと思いますが、その対象となる人物が新入生代表であるサヌちゃんなので余計に目立つのでしょう。
あらぬ疑いをかけられていることを思うと、私は非常に居心地が悪くなりました。
私はどうしようもない現状に不満を抱きながら歩き続けます。やがて、学校までたどり着きました。
「見てあれ……」「え、あの人達が……」「やば……」
「……」「……」
学校まで来ても、注目がなくなることはありませんでした。
何なら学生が増えたこともあって、視線の数もその分だけ増えた気がします。
これによって、私達は噂が私達のことを指していることをより一層確信することとなりました。
注目を受けながら校舎へと入って、上履きに履き替えて廊下を歩いて、教室の前まで来ます。
私は怖くて入るのを思わず躊躇してしまいますが、サヌちゃんは臆することなく教室へと入っていきました。
「あ……えっと……」
私も置いていかれないように後ろについて教室の中まで入ります。
「あ、来た……」「清水香さんだ……」「やばぁ……」
教室の中に入ると、冷たい視線が一斉に私達を突き刺してきました。
男子も女子も関係なく、一同が私達を見てひそひそと話をし始めます。
もはや噂話を隠す気などなく、離れた距離でちらちらとこちらを見ては、あからさまに小さな声で会話を弾ませていました。
私は心臓のバクバクが止まりませんでした。何をすればいいのか。どんな選択を取るのが正解なのか。無数の選択肢に阻まれて立ち尽くしていました。
そもそも行動を起こす度胸もないくせに、頭の中だけが活性化してあらゆる思考で埋め尽くされる状況。言わばパニック状態です。
私が狼狽えていると、
「おはようございます」
「……!」
サヌちゃんはそう言って、迷うことなく席に向かいました。
私と相反して行動的でした。サヌちゃんは笑顔を振り撒きながら自分の席へと座って、鞄を下ろします。
サヌちゃんに視線が集中している間に、私もこっそりと自分の席に座りました。
「……」「……」「……」
最終的に挨拶が返ってくることはありませんでした。
普段なら誰かしらが元気そうに返してくるものでしたが、今日はすっかり腫れ物扱いです。
いつもなら人集りができているはずなのに、周りには誰もいません。みんな、不自然にサヌちゃんと距離を離していました。
そして再び陰口を始めるのです。やれあーだの、やれこーだの言って、決して近付きはせず噂話で盛り上がっていました。
いじめではありませんでしたが、他人の気分を害するものとしては十分すぎるものでした。
幸か不幸か、注目されていたのはサヌちゃんだけで、私のほうはこれっぽちも見向きもされていませんでした。
新入生代表という肩書きや、サヌちゃんの人柄とのギャップが注目を生んだのでしょう。私だけは視線に晒されずに済んでいました。
私はサヌちゃんを不安になりながら見守ります。これだけの注目を浴びているのですから、サヌちゃんの受けているストレスは相当なもののはずです。
「……」
サヌちゃんは座って周りを観察していました。
耳を傾けたり、ちらちらと見てくる人達に視線を逆に送ったりして、注意深く様子を窺っていました。
サヌちゃんから視線を向けられた人達は、驚きながら途端に目を逸らしていました。
サヌちゃんはしばらく観察を続けると、おもむろに席を立ち上がって、二人の女子生徒に狙いを定めて近付いていきました。
「あ……え……?」「いや……その……」
戸惑う二人にサヌちゃんは、
「少しお時間よろしいですか?」
微笑みながら話しかけました。
女子生徒の片割れが返します。
「う、うん……。な、何かあったの……?」
「気のせいでしたら申し訳ないのですが、クラス中の視線が私に向いていますよね?」
「……!」「……!」
「それはどうしてなのでしょうか。もしよろしければ詳しく教えていただけませんか?」
片割れはおどおどしながら、
「そ、それが……。清水香さんが別クラスの集団を一方的にボコボコにしたって噂が立ってて……」
「……」
確定でした。間違ってほしかったサヌちゃんの推測は、やはり正しかったようです。
片割れの女の子が続けます。
「住民からの通報とかもあったみたいで、何ならうちのクラスの人も途中から見てた人がいるっていうか……。実際のところはどうなのかな……?」
「……」
逆質問でした。
女の子からの「やってるんだよね?」と言わんばかりの返答にサヌちゃんはすぐに答えます。
「……半分間違いですね。たしかに私は集団を圧倒しましたが、それは返り討ちに過ぎません。実際には私とユガミさんが集団から襲われたのです」
「え、それって本当……?」
「はい、本当です。私達は巻き込まれただけの被害者ですよ」
「……」
完璧な答えでした。
淡々と事実だけが述べられていて、そこには一切の入り込む余地はありません。
これならみんなもサヌちゃんを信じてくれるはず……! 私はそう確信します。
しかし実際には、
「へ、へえ……そうなんだ……」
「……!」
微妙な反応が返ってくるばかりでした。
私もサヌちゃんも手応えのない反応に疑問を覚えます。最善の返答だったはずなのに、向こうはあまり信じていない様子。
女の子は微妙な反応を返した後に、
「そ、それじゃあちょっと用事あるから、私達は行くね……!」
「え、ちょっと……」
そそくさとサヌちゃんを残して、その場を立ち去っていきました。サヌちゃんはその場で立ち尽くします。
抜け目はなかったはず……。なぜあんな反応だったのか。その答えが分からずに私達は困惑しました。
ですが、その理由はすぐに周りの様子から察することができました。
「ってことは、一対六で全員ボコボコにしたってことだよな……?」
「しかも男子が三人。油断してるにしても、普通できるか……?」
「やばすぎでしょ……。私ならできたとしてもやらないわ……。それができるってことは、人間じゃないんじゃない……?」
それは畏怖でした。
噂の事実関係の有無とはまったく関係のない個人的な恐怖。自分を容赦なく打ちのめすことのできる相手が目の前に立っていることが、受け入れられなかったのです。
こちら側からしてみれば理不尽極まりない反応でしたが、もはやどうしようもありませんでした。
「…………」
サヌちゃんは、これ以上は行動できないと踏んで自らの席に戻ります。私は鞄の中のものを漁るふりをして、ずっと下を向いていました。
デマを払拭できたかも怪しく、何なら追加で恐れの感情を抱かれている状況で、ただただ時間が過ぎていきました。




