3話「腐れ外道・その3」
家に帰る頃には、先生から親に話が行き届いていて、玄関の先にはお母さんが立って待っていました。
「ただ……いま……。お母……さん……」
「おかえりユガミ。ちょっと話があるから、手洗いとうがいを済ませたらリビングにいらっしゃい」
「は……い……」
お母さんは、普段は温厚で優しい人でした。
ですが、このときのお母さんは、とても怖かったことを覚えています。
失望の目を向けて、冷たい声でそう言われました。私は、血のつながった家族からも信用を失ってしまったのだと、理解しました。
私は手洗いとうがいを済ませて、それからリビングに行って、淡々と詰められました。
事務的な対応で、機械のように私に延々と質問を投げかけます。
なぜそんなことをしたのか。それをしてどんな気持ちになったのか。隅々まで詳細に聞かれ続けました。
少しでも返答を渋ると、
「答えなさい?」
その度にこう返されました。
幸いにも、学校で散々泣いたおかげで涙が出てこなかったので、無事に答えることができました。
しばらく答え続けて、事情聴取がようやく終わりました。お母さんは言います。
「明日みんなの前で謝れたのなら、私はあなたの味方になる。謝れないのであれば、私はあなたを家族として認めない」
それだけ言って、リビングから出ていきました。
私のすでにぐちゃぐちゃだった心は、引き裂かれて粉々になりました。
その後食べた夕食は、まったく味がしませんでした。大好きな料理ばかりが並んでいたはずでしたが、それらに喜びを見出せるほどの余裕は、私にはありませんでした。
今思うと、母なりに私への愛情を示してくれていたのかもしれません。
『謝らなければ家族と認めない』とわざわざ脅したのも、そうしたほうがいいから。
裏を返せば、謝罪さえすれば私がどんなに悪くても味方になってくれるということでもあります。
ただ、私はそんな隠れた愛には気が付くことができませんでした。
言葉をそのまま受け取るだけで、その意図について考えるほどの知能を有していませんでした。
とにかく、自分が愚かであるということを自覚することしかできませんでした。
自他共に心を追い詰めたことで、視野が狭くなっていたのです。
結局、大好きな料理も中途半端に残したまま、私は自室に向かいました。
「あ……。大丈夫……?」
自室には、歳が五つほど離れたお姉ちゃんがいました。自室とは言っても、私と姉の共同部屋です。
名前は焔ネノ。たまに私のためにお菓子を作ってくれたりと、妹想いな優しい姉です。
事情を察しているらしく、心配の言葉をかけてくれました。とくに責め立てることもありません。
私は、そんな姉に返しました。
「うん……大丈夫だよ……。私に心配される権利なんてない……。悪いのは全部私だから……」
「…………」
半ば自棄になっているとも言える返答でした。
本当に悪いことをしていたので、姉も私を言葉で慰めることができませんでした。
沈黙が続くなか、
「それじゃあ、おやすみなさい……。お姉ちゃん……」
「あ、うん……」
私はすぐにベッドに向かって、背を向けながら布団に潜り込みました。
ただ結局、その日は一睡もできませんでした。罪悪感で苦しくなって、罪を思い浮かべる度に、過呼吸気味になってしまったからです。
とくに寝る時間なんてやることがありませんから、ついつい暇になって考え過ぎてしまうので、目が冴えて仕方がありませんでした。
寝たくても寝られない。眠くならないけど、向こうで姉が寝ている以上は、起きて騒がしくするわけにもいかない。
ただ静かに、心の内では騒がしくして、果てしなく長い真夜中をひっそりとやり過ごしました。
次の日のことでした。
目の下にクマができていた私は、寝不足のまま朝を迎えました。
この短い人生の中では最も憂鬱な一日が、始まろうとしていました。
私はいつも通り朝の用意を済ませて、ふらふらとしながら学校に行こうとします。
家を出る直前、お母さんから心配の声をかけられたような気がしましたが、罪悪感と寝不足からまったく聞き取れませんでした。
とにかく謝らなければならない。私はそう認識しました。
私は通学路をふらふらと歩いて、朝のホームルームが開始されるギリギリになって、ようやく教室にたどり着きました。
私が席に座ると同時にチャイムが鳴って、先生がやって来ました。
先生が朝の連絡を軽く済ませて、言いました。
「では焔さん、前に出てください。けじめをつけて、みんなに謝りましょう」
「はぃっ…………」
私の返事は、自然と震えていました。
罪悪感、寝不足、クラスメイトからの視線、そしてこれから待ち受けるであろう非難の声の数々。
私は今すぐにでもぶっ倒れてしまいたい状況に耐えながら、前に出ました。
私は言いました。
「皆……さんに……謝りたいことが……ありま……すっ…………」
それからクラスメイトに、私のしたことをすべて打ち明けました。
途切れ途切れに、言葉が口から出なくなりそうになりながらも、必死に喋ります。
途中から少し過呼吸気味になって、肩が上下していました。ストレスからか、顔も自分の意思とは裏腹に、時々ピクピクと動いていました。
クラスメイトは、内容をすべて聞き終えて口々に呟きました。
「さいってー……」
「気持ち悪……」
「やばっ……」
「イかれてる……」
「人間じゃないでしょ……」
そんな言葉が飛び交って、すべて私に突き刺さりました。
辛い。苦しい。逃げたい。消えたい。受け入れなければならないのに、どうしても拒絶してしまいそうになります。
これまで仲の良かった子も嫌悪の視線を向けていました。これまで築け上げてきた友情が、瓦解していくのが目に見えて分かりました。
私は何度も謝ります。目を泳がせながら、何度も何度もごめんなさいと言い続けます。
とうに涙も枯れきっていたはずなのに、自然と涙があふれ出してきて、頬を伝ってポロポロと床に滴りました。
そのうち、私はストレスでえずいてしまいます。限界を超えてしまったのです。
耐えなければ、受け入れなければという気持ちがさらに自分を追い詰めることになり、最後には、
「オエェッ……」
嘔吐することになりました。
床に吐瀉物が撒き散らしてしまい、クラスが騒然とします。
「うわっ吐いた……!」
「汚ねー!」
私はお腹を押さえながら、むせび泣いていました。ストレスで頭がぐるぐると回って、何も考えられなくなりました。
結局その日は、すぐに帰ることになりました。
お母さんがわざわざ迎えに来てくれて、私の様子を見るなり泣きながら抱きしめてくれました。
罪を犯したとはいえ、頑張ってクラスメイトにそれを打ち明けた私を激励してくれたのです。
「…………」
しかし、残念ながら私は母の愛情を、温もりを感じることができませんでした。
私にはもう、助かりたいという一心はなかったからです。
私は苦しむべきなんだ、殴って蹴られて嘲笑われるのがお似合いの人間なんだ。いや、人間にすらなり得ない下等生物なんだ。
自他共に心を追い詰めたことで、純粋に愛を受け入れられなくなってしまいました。
むしろ、もっと強く抱きしめて、私のことを締め付けて苦しめてくれたほうがいい。なんて、本気で考えてしまっていました。
しばらく無意味に抱きしめられ続けた後、私達は家へと帰りました。
それから、私は不登校になりました。
あれだけのことがあった手前、これ以上無理に学校に通わせるのは良くないとお母さんが判断したからです。
せめて心の傷が癒えるまではと、お母さんは私に自宅待機するように命令を下しました。
私は無理にでも学校に通ってクラスメイトから虐げられるべきだと思いましたが、口に出しても実現するわけがないので、心の中にそっとしまっておきました。
不登校になってからは、勉強を家族やカウンセラー兼家庭教師の方から教わることになりました。
分からないことがあれば、その度に気軽に聞くことができるので、自分のペースで進められました。
それ以外の時間は自由です。やることがなかった私は、興味本位で読書の習慣をつけ始めました。
ジャンルは主にファンタジー作品です。空想の世界を想像していると、少しばかり心に彩りが生まれて、気も紛れました。
現実では何もできない無能が、無機質にずらっと並ぶ文字を眺めて妄想を捗らせることで、何者かになった気になれる。現実逃避の手段として、私に最も適していた趣味でした。
勉強して本を読んで、こんな私と接してくれる家族と談笑を楽しむ。
変わり映えこそないかもしれませんが、充実した生活を送ることができました。
そんな生活を私は約六年に渡って続けました。中学生になってからも不登校を続けて、家でまったりと過ごしていました。
転機が訪れるのは、中学三年生の頃でした。志望校を決める時期になり、私はろくに行ったこともない学校へと呼び出されました。
将来のことを考えると、せめて高校は卒業しておいたほうがいい。通信制の高校であれば、私のペースにも合わせられるので選択肢としては魅力的なのではないか。
そんな話がお母さんと先生との間で繰り広げられました。お母さんも通信制の高校へ通わせることに納得していました。
最終的には、私の意思なども鑑みて学校選びを始めますが、もはや流れは完全に決まりつつありました。
ですが私は、一つ考えていたことがありました。それは普通に学校に通って高校を卒業しようという考えでした。
決して通信制が嫌というわけではありません。私の性格や置かれた状況を考えると、それが最も最善な選択肢であることは間違いありませんし、本音を言うならば私もそうしたいです。
ただ、このままほとんど誰ともコミュニケーションを取らない生活を続けるとなると、いよいよ社会に出るとなったときに、本当に何もできなくなるのではないか。私はそれを危惧していました。
約六年も他者とのコミュニケーションを拒み続けているうちに、私はすっかりそんな話さなくてもいい楽な状況に慣れきってしまいました。
いきなり社会に足を踏み入れたところで、あまりの状況の変化に耐えられない可能性が非常に高いのです。
であるならば、普段から高校に通って、たくさん人がいる場所に少しでも慣れておくのが将来的には一番いいと私は考えました。
私は通信制の高校を勧められたときに、その意思を伝えました。
初めは渋い顔をされましたが、学力面でもとくに問題があるわけではなかったですし、いずれ社会に出ることを考えるとなると、その選択はむしろ正しいとも言えるので、最終的には了解を得ることができました。
了解を得たあとは、私に合った学校を探して、見つかったら合格のために勉強をして、それから受験を受けて合格しました。
初等教育期間に匹敵するほどの引きこもり生活を得て、私は新しい高校生活を始めることになったのです。
これからは、慎ましくひっそりと生きます。罪をしっかりと自覚した上で、自分と向き合って前を向いて生きます。それが私の贖罪なのです。
ここまでしか書き溜めていなかったので、次回からの更新は不定期になります。気長にお待ちいただけると嬉しいです。