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イタチの短編小説

魔女が咲く、ツンべルギアの場合

作者: 板近 代

 風の音、風で葉が擦れる音! 雨のようだ!


「頭が痛いな」


 朝からずっとカンカン照りにも関わらず、頭がズキズキと痛むのは今向かっている部屋のせい。ロベリア通り三丁目、アパートの名前はバンクスローズタップス。


「ひとつもらうね」

「どうも」


 露店でオレンジを買う。あいつはこれが好きだが、私は大嫌い。いつまでも口の中に残りやがる薄皮の香りがすごく嫌いなのだ。これを食ったあとの煙草はまずい。特に、口の中に葉が入り込んだ時との相性は最悪だ。


「はぁ」


 トントントンと上った階段は、湾曲させているせいで無駄に数が多い。無駄に、ああ、無駄に凝った造形をしている手すりの触り心地もいまいちだ。この、外面だけを気取ったアパートの二〇四号室に来るのは今月だけで四回目。日曜日を全部捧げるだなんて馬鹿げてる!


「こんにちは」

「あら、もうびっくりしないのね」

「しませんよ、いつものことですから。私が来たのも時間どおりでしょう」


 鍵のかかっていない扉を開けたらいきなり顔。こいつはいつも、扉ギリギリに立って待っていやがる。


「いつものことを、いつものことだと思うのは危険なことだわ」


 ペンキで黒く塗りつぶした壁、赤いカーテンを締め切った暗い部屋の中に、白髪と青白い顔がボウと浮かぶ様子はまるで幽霊。


「そうですか。はい、いつものオレンジ」

「良い香り。たしかにいつものオレンジね。あと何回食べられるかしら」


 いっそ、本物の幽霊になってくれたら……私はいつだって、神に感謝する準備ができている。


「オレンジが過ぎれば、ストロベリーの季節ですよ」

「そうね、いつものストロベリー」


 庶民の魔女と呼ばれたこの女の名は、アングレカム。特権階級にも関わらず「ベランダがなくて気にいったの」というわけのわからん理由で、庶民の街で暮らし続ける面倒者。そのせいで私のような職員(・・)が、毎週お伺いしてお話をお聞きしてやらんといかんというわけだ。ちくしょう、せめて平日にしてくれ。


「いつもの質問ですアングレカム。あなたは最近、外出しましたか?」

「いいえ。ねぇ、いつもの紅茶とジャスミンどちらがいい?」

「ジャスミンで」


 アングレカムのいれてくれる紅茶はまずい。ジャスミン茶は濃すぎるが……ずっとマシだ。


「?」

「薄い、と思ったでしょう。あなたいつも嫌そうに飲むから」

「一応、隠していたつもりですけどね。でもなんでしょう、こうして普通の濃度で出されるとなんとも物足りない気がしますね」

「唾液でもいれる? 美酒になるかもしれないわ」

「悪趣味な話はよしましょう。率直に聞きますアングレカム、あなた、また殺しましたか?」

「どうかしら」


 ああ、やったな……と確信するしかない顔を向けられた私は、どういう顔をしたらよいのだ。


「殺したんですね、アングレカム」

「たとえば、あなたに恋人が五人できたとする」

「一人もいませんが」

「一人は肉を焼く仕事をしている、もう一人は楽器が得意。そうね、みなそれぞれ違いはある」

「はあ」


 やはりもう少しジャスミンの香りがきついほうがいい。この程度じゃ、臭いを上書きできない。


「さてあなたは、誰から殺す?」

「唐突ですね。誰も殺しませんよ」

「なら、私も殺していないということでいいじゃない」

「少しでも情報をくれませんか。一応私は、被害者が、あなたが殺しても問題にできない者であるのかを確かめる必要がある」


 魔女狩りを生き延びた者にもう一度(・・・・)味合わせるわけにはいかないのだ……と、この国の王は言う。二度と過ちを繰り返さぬために。


「殺しても怒られない人を選んだわ。この国の八割がそうなのだから間違うこともないでしょう」

「怒られるとは思いますけどね」


 たしかに、過ちを犯すのは良くないことだ。非常に良くないことだ。だからといって、魔女の過ちを根本から赦す理由にはならないだろう。


「誰に」

「殺された人にも家族とかいるでしょうよ」


 クスクスと笑うアングレカムもわかっていないわけではない。わかっていても、わかってやる必要がないだけだ。


「アフリカを旅した人に聞いたの。アフリカの蘭は夜匂うって」

「話を変えないでください」

「蛾を呼ぶらしいのよ。夜にとても美しい花で、真っ白で――」

「あんたは真っ黒じゃないですか」

「どこが? 服? 部屋?」

「刑事もの小説、読みませんか? よく言うでしょう。あいつはクロだ。真っ黒だ」

「あなたは刑事ではない。そして、殺しても罪にならない以上、私は犯人ではない」

「法ではそう。でも魔女も人間ならば、あんたの心も経歴も、毎日も、真っ黒だ」


 しまった、続けていろいろ言い過ぎた。アングレカムの性格上気をつかいすぎるのは良くないが、気をつかわなすぎるのも…………いや……大丈夫だ。アングレカムは嬉しそうに笑っていやがる。こんな顔は、初めてオレンジを土産にしてやった日以来だ。


「私にそれほど言えるのは、あなたくらいよツンベルギア。友人みたいね」

「友人ではないですけどね、アングレカム」

「うふふ、そうかしら」 


 ああ、そうか。こいつはそういうのが嬉しいのか。これからはもう少し、言いすぎてやることを心がけてやろう。私のストレス発散にもなるし、良いじゃないか。利害の一致でお互いハッピーだな、アングレカムよ。


「それでアングレカム。今回は誰を殺し――」

「私の部屋臭いでしょう」

「臭いですけど、話を変えないでくださいアングレカム」

「正直で好きよ、ツンベルギア。私の部屋は臭いし、今日のジャスミン茶は香りが薄いし、いい匂いの話がしたいじゃない」

「古くなった汗の臭いですよ。布団を干していないでしょう、アングレカム」


 まるで親か先生になったかのような気分だ。


「でも、雨の音がするのよ」

「あれは葉擦(はず)れの音です。それくらいわかるでしょう」

「ええ。でも、嫌なのよね。あの木は冬でも葉を落とさない。花も咲かないくせにね」

「あなたのようですね」


 いくらなんでも今の嫌味は適当すぎたかもしれない。でも構わない。私は、暗くなる前に帰りたいんだ。


「あの木が私? そうかも、そうかもね。きっと私、怖いんだわ。布団を干すために窓を開けて、私と対面することが」

「そうですか。で、今回は誰を殺したんです? ああ、誰でなくても良いです。どんな人を、どこで殺したかを教えていただければ、あとはこちらで――?」


 なんだ今の音は。時計の針がイカれたか? いや、この部屋に時計はないはず――。


「ああ、今の音? 外れちゃったみたいなのよ」

「なにが外れ――――!」


 なんだ……この匂いは。


「蓋、みたいなものかしら。外れたからと言うには」

「…………」

「まるで私は、アフリカの夜ね。そう思うでしょう、ツンベルギア」

「…………」

「息をしないと死ぬわよツンベルギア。だってあなた、人間だもの」


 甘い、甘い、気持ちが溶ける。なんだかわからないが、これは嗅いだらいけない匂いだ。くそっ、早くここから出ないと!


「…………」

「ああ、だめ逃げないで」

「離せっ――あ」


 吸い込んだ、思いっきり。思いっきり、思いっきり。吸い込んでしまった!


「どれくらいぶりかしら、私から匂いが漏れ出したのは。多分、百五十年は経っているわね。大丈夫、揺れるかもしれないけれど、毒ではないわ」

「はあっ! はあっ!」

「落ち着いてツンベルギア。私はどうしてか覚醒してしまったようだけれど、良いものなのよ私の匂いは」


 私よりもずっと若く見える顔を持つアングレカム。だからこそ、その皺だらけの指が恐ろしいのだ。私の頬を撫でる、徐々に潤いを取り戻していくその指が恐ろしいのだ。


「はぁっ……はぁっ」

「ほら、委ねてごらんなさいツンベルギア。いい匂いでいい気持ちでしょう? 安心して、私の香りは毒じゃないわ、毒と定義されているもので得られる心地よさではないでしょう?」


 身体が熱い。まずいぞこいつは。洒落にならないまずさだ。まるで理想の酒、春の恋、夢の鈴音。くそっ、頭がくだらん言葉に支配される。


「はぁっ……くそっ、嫌だ」

「待ちなさいツンベルギア!」


 生まれて初めて知った。銃弾で自分の頭を撃ち抜いても、すぐに意識が消えないだなんて。ああ、違う。これがアングレカムの毒か。最悪だ、最悪だ。こいつは正真正銘の魔女じゃないか!


「聞こえるツンベルギア? 私の香りは悦びの香り、だから、匂うのは夜だけ。でも、立ち止まったあなたの夜はもう更けない。あなたにはもう夜に酔う権利がないの」


 やめろ、窓を開けるな。開けるんじゃない。その向こうにはおまえの嫌いな木があるだろう。だから、窓をあけて、私の街にその匂いを垂れ流すんじゃあない!


「綺麗ねぇ、ツンベルギア」


 木の葉は全て音もなく散り、白く大きな花が急速に咲く。


「以前、覚醒したときは五年、五年間毎晩、毎晩香ったわ。寂しかったわ、一週間もしたら街の人はみんなまともでは、なくなっちゃったもの。ねぇ、聞いてるのツンベルギア。街の人はみんなまともでは、なくなっちゃったのよ」


 なぜ木に咲くか、白い蘭。


「でもあなたが死んでくれてよかった。あなたが早々に死んでくれてよかった」


 中途半端な酔いが私の頭蓋の内側を舐め回す。不快感はない、だが物足りない。こんな状態で固定された私は、五年も、あと五年もこいつの話を聞き続けないといけないのか。


「神はアフリカで見つけた美酒を隠した。自分より愛される酒を恐れたの。だから蘭の距を長くし、そこに隠した。甘美に届かぬよう、届かぬように」


 知るか、死ね! 死ねアングレカム!


「私は蛾の道標、月明かりの中蜜の吸い方を教える白い影」


 ああくそう! 私は、口をもがれた蝶だ! ああ、そうだ。空を見れば良いではないか。蝶ならば、飛べる。飛べるではないか。


「でもあなたは拒絶した。朝が来たら願うといいわ、救ってくれと」


 ああ、神よ! 今すぐ朝にし給えよ!


「それと、ついでに伝えといてね」


 神よ! なぜあなたは人類に快楽を与えた! なぜ、それを一時的なものとした! なぜ応えてくれない! 見ているのだろう! 見ているのだろう!


「アングレカムはあの夜のことを覚えている。覚えているし、思い出したのよ。アフリカ大陸の近くの大きな島のこと……と、伝えてほしいわ。ほら、空ばかり見上げていないで下を見てごらんなさいツンベルギア」


 あ…………。


 嫌だ! 助けて! 助けて! 地面がどんどん遠くなっていく……遠くなっていくんだ! 怖いよ! 助けてアングレカム!


「いいわよ。夜は神と違って寛大だから。それに私は正直な子は好きなの」

「ああ! あ……生き……返った?」

「酒が身体を走るでしょう。少し、天から堕ちるだけで」

「…………今は」

「止めてあるわ。風の匂いしか、しないでしょう。不思議ね、以前は夜の間中匂いを止めることなんてできなかった。私、強くなったのかしら」


 疑問が湧く――――空に向かって昇っていった私を――――神と魔女の間にある霊だと定義したのならば、神はなぜ手を差し伸べてくれなかったのだと。


「引き上げるよりも……引きずり下ろすほうが簡単というわけですか! そうですよねアングレカム! だから神は私に手を――」


 近づいていく夜空には星も、月もなかった。明るく見えたのは、下を、向いた、時に見えた、木に、咲く、白い、蘭だけ。


「違うわ。神は昇りきった魂だけを救うもの。昇りかけ(・・・・)なんて、相手にしてくれないのよ」

「なぜ神は――!」

「下を向きたくないのよ。堕天の気持ちよさを思い出しちゃうから」


 つまり…………、神は、悪魔ということ、か?


「アングレカム。神は、堕ちたことがあるのですか」

「もちろん。彼はいつだって思っている、ああ、もう一度堕天したいと」

「その話……信じても?」

「ええ。私だってあそこにいたのだから。そうじゃなきゃ白い花なんて咲かせられるわけないでしょう」


 良かった、アングレカムも神のようなものじゃないか。

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