五話 愛の形は罪の証
汽車から降りたボクは、乗り合いまで行って、馬車で村の近くまで来ていた。
なんだかとても懐かしく感じる。
そう言えば、知らないうちにボクは十二歳になって成人していた。
これからのことが少し不安になるが、考えないようにして村の近くで馬車を降りた。
ボクは村の近くですこし遠回りをするようにして、歩き出した。
もともと、冒険者や衛兵を目指していただけあって、長距離はそこまで問題はない。
家にもいかず、故郷に帰ってきて真っ先に向かったのは聖域だった。
大精霊エインセル、とても高名で高貴な精霊だけど、ボクにとっては家族よりも身近な女の人だった。
両親はいつも兄の勉強に付き合っていたせいか、過ごした時間なら、彼女の方が長いかもしれない。
聖域の端、結解が張られているという場所までやってくる。
邪なモノから、彼女を守る結解。
ただ、例外として入れるのは、巫女と子供。
罪人、テオドール・アレクシスが結解に侵入で来たのは子供であったからであり、ボクがエインセルの会うことが出来たのは、同じく子供であったから。
だから、恐らく成人したボクはこの結解を超えることはできない。
でも、以前、焼けるような痛みを感じた時、感覚だけど、分かったことがある。
それは、恐らく、結解は膜のようなもので、効果は結解内でも永続的に続く可能性は低いと言うことだ。
つまり、結解内に入ってしまえば、害はないと言うことだ。
通過する時さえ我慢すれば、大丈夫と言う事だ。
ボクは、ゆっくり手を伸ばす。
あの時の焼けるような痛み、今のボクは、その程度では済まないだろう。
「あれ?」
でも、ボクの手は空ぶった。
全くの抵抗を感じることなく、飛び込むつもりだったボクの身体は、前方によろける。
よく状況が分からずに、目の前で手を閉じたり開いたりしてみるが、傷一つない。
結解があるであろう場所に、恐る恐る触れてみても問題はない。
首を傾げるが、まあ、いい。
入れるのなら、それに越したことはない。
ボクは、森を歩く。
初めて来たときは、走っていても遠く感じたけど、今は歩いても直ぐついてしまう。
魔物どころか鳥もいない様な森を抜けて、一瞬日の光で、真っ白になった視界を窄める。
だんだんに光に目が慣れて湖が見える。
そして、その中心に佇む女性が一人、エインセルだ。
ボクの存在に気付いたようにして、彼女はこちらを見る。
初めて来たとき以来、二回目の裸。
また、見惚れてしまった。
「久しいですね。セオ」
久しぶりに聞く彼女の声は、やはり美しい。
でも、それ以上にその声にボクは安心感を覚えた。
「どうしたのですか、セオ?」
「え?」
エインセルは、ボクの顔を見て首を傾げる。
ボクの顔に何かついているだろうか?
そう思って、顔に手を当てる。
「あ、れ……?」
なんだこれ?
顔を触った手は濡れている。
これは、涙か?
いや、それよりもボクは何で泣いているんだ?
そう思ったとき、ボクの身体に体重がかかる。
視界が暗くなる、首に手を回される。
頭に手を乗せられる。
懐かしい感覚だ。
「大丈夫ですよ、セオ」
優しい声で、優しい言葉が掛けられる。
何で、そんなことを言うんだ。
ボクは、もう、大人だ。
成人だってしている。
なのに。
ボクの涙は収まるところを知らなかった。
涙と共に、感情が溢れ出る。
さみしかった。辛かった。苦しかった。
知らない場所で、知らない人に囲まれて。
嫌がらせを受けて。何もかもうまくいかなくて。
優しい友人は出来たけど、突き放してしまって。
「……エ、イン」
「どうしました?」
彼女は優しく聞いてくる。
「ごめん。学園に行かなきゃならなくて。でも、お別れがどうしても言えなくて……」
「大丈夫ですよ。私は天下の大精霊様です。巫女を使えば、そんな情報直ぐ入ってきますよ。貴方が実はニンジンが嫌いなことも知ってますしね。まあ、ただ、何も言わずに行ってしまったのは悲しかったですが」
「ごめん」
「良いですよ。こうして戻ってきてくださったんですから」
彼女は僕の頭をなでる。
「それにしても、大きくなりましたね。まだ、数か月しかたってないのに」
「でも、まだ、ボクはエインとほぼ変わらないよ」
「それでもです。前までは、ほぼ変わらないと言っても、私より少し小さかったくらいですけど、今なんてニセリオくらいでかいです。……いや、やっぱり一セリオくらいですかね。いやもっと少ないかもです。きっとそうです」
「ありがと、エイン」
本当にありがとう。
「どういたしま……し、て?」
彼女の言葉が途切れる。
エインは、不思議そうな顔をして、自分の身体を見下ろす。
そりゃあ、驚くだろう、おなかの辺りにナイフが刺さっているのだから。
「──こほっ」
彼女は、口から血を吐き出す。
彼女の白い肌が赤く染まる。
なんてことはない、ただの短剣。
でも、それが貫いたのは、彼女の生命線とも言える、魔力供給機関である臓器。
よかった、裸だったおかげで狙いやすかった。
そうボクは安堵した。
ボクには、罪人テオドール・アレクシスが何で大精霊と契約できたのかは大体わかる。
多分ボクと同じだったんだ。
この国の歴史家は、きっと精霊信仰をしてるから、その真実には至らなかったのだろう。
彼はきっとボクのように大精霊と親しかった。
そして油断を誘って刺した。
普通なら、聖域に入って来たものには、最大限の警戒を払う。
更に、大精霊と言う名は伊達じゃなく、凄腕の剣士であろうと、魔法使いであろうと、傷をつけるのには、相当難しいだろう。
いや、まず不可能と言ってもいい。
精霊を崇めるのなら、大精霊と仲良くなるなんてことは、想像がつかなくても仕方たないのかもしれない。
「ごめんね。痛くして」
ただ、ボクだって彼女が傷つくのを望んでいるわけではない。
罪悪感は感じるんだ。
だから、ボクは罵られても仕方ないと思って呟いた。
「……やっとです、か」
でも、彼女は憎まれ口をたたくわけでもなく、そう言った。
「やっと」、その意味が理解できず、ボクは動きを止めてしまう。
その隙を狙ってか、彼女はボクを押し倒した。
「待っていたんですよ。私は、ずっとこうしてくれるのを」
「───?」
背中を打った痛みよりも、近くにある彼女の顔が笑った意味を理解できない。
濡れた白く美しい髪が、ボクの頬を撫でる。
「私は、ずーっと、貴方がこうしてくれないかと焦がれてました。貴方が、掟を破って、法を破って、罪を背負って、こうしてくれるのを」
僅かに、彼女の顔に朱の色が見える。
「ああ、でも大丈夫ですよ。貴方が人間として、不適切でも私は愛しています」
「不適切?」
「ええ、人間社会で生きていくものとして、法を守らないのは適切ではないと思いますが。人間と言う生き物は、無自覚に人を攻撃します。嫌われる行動をとる人の多くは気付いていない。にもかかわらず、貴方は自覚したうえで、私を刺した。まず、村の掟を破って、ここに来た。その時に、親を裏切った。昔私とした約束は良いとして。その次に、貴方は私を刺した、これは、この国では国家転覆罪と並んで重い罪です。少なくとも、貴方は、これを自覚して実行に移しました。自分の欲のために。貴方は罪人以前に、本物の悪人ですよ」
悪人?
ボクが。
わからない。
いや、わかっていたはずだ。
ボクは一度、踏みとどまったはずだ。
だって、ボクは、これは悪行だと思ったから。
でも、それでもボクは行動に移した。
ボクは悪人だ。
後悔と雑念が入り乱れる。
ボクはどうすればよかったんだ?
これしか方法がなかったんだ。
ボクは努力もしたし頑張った。
じゃあ、何でボクが──
「でも、それでも私はあなたを世界で一番愛しています」
その言葉に、頭を殴られたような衝撃が走る。
愛している?
ボクを?
自覚しながらも悪事を働くようなボクを。
そんなボクを彼女は愛してくれる。
「あなたは、私のことが好きですか?」
彼女はそんなことを訊いてくる。
そんなの分かっているだろうに。
ボクが罪を犯してまで、嫌いな人を手に入れようなんて思うわけがないだろう。
ボクは、君と初めてあった時から──
「──好きだよ。好きじゃなかったら、こんなことしないよ」
彼女の唇が、ボクの唇と重なる。
それは契約の儀。
それこそが、大精霊に愛された証であり、この国最大の罪人の証。
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