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①①

「突然出て行ってごめんなさい……実家で少し、頭冷やしてた。それでまた、一緒に住みたいって思ったから、戻ってきた」


 なんだその理由はと怒りが湧く。逃げ場にすぐ逃げ帰るのならば、また同じことを繰り返すだけではないかと。

 ずるいと思えば、咎めていた。


「何言ってんの?またお父さんと喧嘩したら、出て行くんでしょ?どうせまた、捨てるんでしょう?うちを奈緒さんの気紛れな居候場所にしないで欲しいっ」

「もう出て行かない」

「そんなの信じられないよ」

「もう絶対に、出て行かない!」


 大きな声を出されて怖気づく。だけどそれはどうしてだか、悲しみへと変わっていった。


「私、やっと人の愛を信じることができたの……それをまた、奈緒さんにかき乱されたくないっ」


 彼女には望まない。愛も、情も、何もかも。だからお願い。


「もう何も、期待させないで……」


 今にも泣いてしまいそうだった。ずっと気に掛かっていた奈緒さんとせっかく会えたのに、こんな言い方しかできない自分を情けなく思った。だけど今ここで突き放さなければ、私はもっと辛くなる。それが怖かった。



 鞄をドンッと地面に置き、彼女はそこから一枚の紙を取り出した。そしてそれを、伸ばした腕で広げて見せる。


「私、あの人にプロポーズする。乃亜ちゃんとお父さんと、本当の家族になりたいっ」


 紙には「婚姻届」と書いてあった。妻の欄には彼女の名前。


「いくら待ってても結婚しようって全っ然言ってはくれないし、初めて大きな喧嘩をすれば出てけって言われる。ほんと、呆れるくらい乃亜ちゃんのお父さんは子供よね」


 夢か現実か咄嗟に判別できず、私はその紙を受け取って、何度も見直した。


「でも、だからこそ放っておけない。乃亜ちゃんのことも大事なくせして、不器用すぎなんだよっ。私、側にいたいの。お父さんと乃亜ちゃんの側に」


 百回ほど「婚姻届」と反復して、ようやく脳が理解した。これは紛れもなく婚姻届だ。


 顔を上げて彼女を見る。必死に気持ちを伝える彼女が滲んで瞳に映り込む。


「乃亜ちゃんのお母さんになれないのは知ってる。でも、親戚の叔母さんくらいの関係にはなりたいっ。ううん、友達みたいな関係でもいいっ。なんでもいいから、私はふたりとずっと繋がっていたいっ」


 次に彼女と会ったとしても、もう話すことなどないだろうと思っていた。どれだけ謝られたとしても、絶対に許さないのだと決めていた。


「ずっと家に帰らなくてごめんね。乃亜ちゃんに寂しい思いさせて、ごめんなさい」


 だけど彼女は選んでくれた。私と父と過ごす未来を、彼女自身が選択した。


 よかったね、乃亜。


 その時、母の声が聞こえたんだ。



「べつに、私はどっちでもいいけど」


 私は素直じゃない。この不器用なところは、父譲りなのだろうか。


「じゃあ一緒に住んでもいいの!?」

「ど、どっちでも」

「やったあっ!」


 彼女を許したのか許していないかはわからない。だけど一緒にいたいと思える人。複雑な顔をしているかと思いきや、おそらく今の私は彼女と同じ笑顔だろう。



 荷物をシェアし、ふたりで歩く帰り道。


「でもさ、万が一奈緒さんのプロポーズが失敗したらどうするの?」

「あ。それは予定になかった。どうしよう」

「また出てくの?」


 うーんと顎に手をあて考え、彼女は閃く。


「そしたらもう、乃亜ちゃんに結婚申し込もうかなっ」


 心に染み入る今日という日は、陸に報告することがまた増えた。星占いは大当たりだ。

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