④
「なんか、びっくりかも……」
別れたら気まずくなって、そこで終わりだと思っていた彼との関係。
「勇太君とこんな風にお茶できる日が、また来るなんて思ってもみなかった」
「ははっ、確かに。俺達色々あったもんな」
どれもこれも鮮明に思い出せるのに、それ等はどれをとっても、遠い昔のことのよう。
指先で氷を突ついた彼は言う。
「でもべつに、不思議なことじゃないよ。だって森と乃亜も元恋人だけど、今は友達でしょ?」
「そういえばそうだ。忘れてたっ」
はははとたくさん笑って、表情を戻す彼。
「きっと本当に気が合う人とはさ、別れたってこうやって、楽しく時間を共有できるんだよ。かけがえないよね、元恋人って。相手のダメなとも良いとこも全て知ってる存在」
そう言った彼の笑顔が陽に照らされて、暑い真夏の午後でも清々しく映った。
「陸とは、うまくやってる?」
残り少ないドリンクを、くるりとカップごと回して彼が聞く。
「ああ、うん、一応……」
私はコーヒーで口を封じた。
「ならよかった。俺、乃亜の好きな相手が陸だから諦めなきゃって思った部分も、多少あるからさ」
「え?」
軟らかに笑う勇太君。続きを話す。
「陸に殴られた時さ、俺、どっかで負けを意識したんだ。ああ、陸と乃亜には強い絆があるんだなぁって。俺じゃ入ってはいけないなって、不安になった。そんなの取っ払うくらいに乃亜を振り向かせようと頑張ったけど、結局乃亜は、ずっと陸の方を向いてたよ」
「そ、そんなことっ」
「乃亜がこっちを向く努力をしてくれていたのもわかってる。その上で言ってるんだ。ふたりの間には誰も入れない、それがわかってからは、しばらく辛かったよ」
その麗しい彼の瞳に私は一瞬でもときめき、あの頃、惹かれたのかもしれない。
「勇太君」
もう少しで空になるカップを前に、最後にひとつだけ、聞いてみたいと思ってしまった。
「私との思い出は、苦い思い出ですか?」
急に畏まった私に笑いながらも、彼は丁寧に答えてくれた。
「乃亜と過ごした日々は、素敵な思い出です」
双葉が押してくれた背中に、手を添えられた気がした。
✴︎
「ただいま……」
いつも通りの静けさにプラスされる空虚。奈緒さんの部屋は昨日のまま、帰ってきた形跡はない。母が死んだ時もそうだった。何日も何十日も片付けられることのなかったこの部屋が、ある日突然掃除され空っぽになるんだ。その経験を、私はもう一度するのだろうか。
辛いから誰かに聞いて欲しい、そんなんじゃなくて。今すぐ逢って話したい。だから私の指は、陸を呼び出したんだ。
「陸?逢いたいっ」
突然寄越した電話にもかかわらず、陸は予定を切り上げて会いにきてくれた。いつもの川沿い、いつものふたり。これが一番、心安らぐ。真剣な面持ちの私に、陸は不安げだった。
「どうした乃亜。何かあったか?」
陸に話したいことは、くだらない内容も含めて無数にある。でもまずは──
「前に……話したことあったっけ。お父さんの彼女のこと」
「ああ、一緒に住んでるって言ってたよな。スナックの人だろ?」
「うん。陸にあんまり話してなかったけどさ、けっこう上手くやってたんだよ。お正月にお蕎麦用意してくれたり、高校合格した時も、みんなでご飯行ったりしてさ。なんていうか……お父さんとふたりきりじゃできなかったこと、彼女がしてくれたっていうか」
「そうなんだ」
「奈緒さんがいなかったら、もっと暗い家になってたと思う」
だから信じた。なのに。
「奈緒さん、いなくなったの……」
信じなければよかったのだろうか。
「お父さんと喧嘩して、あっさりと出て行った。馬鹿みたいだよねっ。一緒に住むのもいいかも、楽しいかもって思ったのに、結局これだもんっ」
「いつ?」
「昨日の朝」
「だからか、お前の様子が変だったの。ずっと無理して笑ってた気がしてた」
見えない風を見つめ、陸は今にも泣きそうな私にかける言葉を探している。彼の視線の先、向こう岸で飛ぶ鳥を、私は眺めていた。
川、鳥、空、そして陸。私は息を吸った。




