①①
ピンポーン。
滅多に鳴らないインターホンが、奈緒さんの出勤した静かな家に鳴り響く。どうせ宅配便だろうと無視することを選択するが、何度も鳴らされ痺れを切らす。
「はーい……」
「わ!びっくりした!急に開けないでよ乃亜っ!」
玄関の前に立っていたのは、森君だった。大きな体に大きな声。頭が「痛い」と言った。
「ど、どうしたの森君」
彼は胸に手をあてて、ふうと息を吐く。
「さっき客として店に立ち寄ったら、乃亜が風邪引いたって店長が言ってたから、これ買ってきた」
そう言うと、彼は手に提げていた袋の中からコーヒーゼリーを取り出した。
「風邪でも食べやすいようにゼリー。そんでもって、乃亜はコーヒーが好きだからコーヒー味」
思わず吹き出た間抜けな笑い。
「え、これ届ける為にわざわざ?あはは!嘘でしょ?」
「わざわざじゃないよ。乃亜の家遠くないし、友達が体調崩してるんだから当たり前」
「ありがとう。まあとにかく上がってよ。今、家に誰もいないし」
笑うと少し頭に響くけど、こんな時だからこそ余計に、森君の優しさに癒された。
居間まで来たものの、身の置き場に困っているのか、そわそわし出した彼に言う。
「座ってよ、森君」
「なんか、悪い気がしてきた。女性ひとりのとこにいきなりお邪魔するなんて……」
「ただのお見舞いなのに?気にしないでよ」
「それもそうか」と彼は頷いて、腰を下ろす。
「よく私の家わかったね。前に来たことあったっけ?」
台所で湯を沸かしながら、私は聞いた。
「マンションの下までなら来たことあるよ。ポストで部屋番号確認してから来た」
「下の自動ドアはどうやって解除したの?」
「たまたま住人がいて」
「ああ、そっか」
ふたつのマグカップを食卓に置き、彼の対面に腰を掛ける。湯気と私と森君と、なんだか和む。
「体調大丈夫?俺はすぐ帰るから、寝なよ」
「大丈夫だよ。今日ずーっと寝て、だいぶよくなった。頭はちょっと痛いけど」
「それならいいんだけどさ。この時期に風邪なんて、無理でもしたの?」
「ちょっと夜風にあたりすぎた」
「えー、乃亜ってそんな繊細だったっけ?」
「あははっ。意外でしょ?」
彼との他愛ない会話は盛り上がり、マグカップの中身は空っぽに。再び台所に立ち湯を沸かしていると、プルルと鳴る携帯電話。
「乃亜、陸から着信きてるよ」
その名前は、私の一時停止ボタン。体も思考も矢庭に止まる。唯一動くのは唇だけだ。
「そのまま放っておいて」
「え、出ないの?陸と喧嘩でもした?」
喧嘩の方が、まだマシだ。
森君は、ふふっと微笑み背を反らす。
「乃亜に引っ叩かれて謝ってる陸、俺達学年の名物だったよなあ。また見たいわ」
人の心で綺麗に残るその思い出も、私の中では泥に塗れて、今は上手に取り出せない。
ふと真面目なトーンで彼は言う。
「陸の奴、けっこう長いこと鳴らしてるけど……まじで、出ないの?」
煩い着信音に気まずい雰囲気。私は渋々電話に出た。
「……もしもし」
薄い板の向こうで、陸は私の体調を心配していた。彼の声を耳にするだけでも、体に支障をきたす。
「今、森君が家にいてくれてるから大丈夫。陸が心配することはないよ」
陸がまだ会話を続ける中、「ばいばい」を告げた。電話を切る前、最後に聞こえた陸の言葉。
「なんで森が──」
なんで森がいるんだよって疑問に感じて、少しは私のことを考えればいい。




