⑧
週末、私は勇太君の部屋にいた。ソファーに腰を掛けたふたりは互いに、「あの話」を口にするのはどちらかを、探っているような気がした。
「乃亜、お菓子でも食べる?ポテトチップス、持ってこようか」
普通に接してくれている彼だけど、口調はどこか、ぎこちない。
「ううん、大丈夫。それより勇太君、私達ってさ……」
そこまで言っておいて、その先の言葉が喉仏で引っかかってしまう。
「あのさっ。えっと……」
「わかってる」
彼は一度上げた尻を戻すと、ソファーに深く座り直す。
「別れ話、だよね」
バクバク煩い心臓は、今にも爆発してこの部屋中に散らばりそう。人を傷付けることは、精神力が必要だ。だから、責めて欲しい。
陸と私がしたこと、それは決して許される行為ではない。彼が陸に拳を向けた理由がそれならば、私だって咎められる立場にある。こんな最低な彼女と別れられてよかったと、彼にはすっきりして欲しい。
「乃亜」
名前を呼ばれて、背筋が伸びる。
「乃亜は俺と別れたら、陸と付き合うの?」
陸の文字に、体が萎縮した。
「そ、それはない。陸とは付き合わないっ」
「それじゃあ他に、好きな人がいる?」
「いないよそんなのっ。そういうのが理由なんじゃなくって──」
はなから私は、終わりを意識しながら付き合っていたんだ。
彼は私の手を握って言った。
「チャンスを下さい」
微かに震えた唇と汗ばんだ手が、彼の緊張を物語っていた。
「なん、で……?」
私は彼を裏切った。そして彼はそれを知っている。
「私、浮気したんだよ?それをずっと、隠してたんだよ?こんな最低な女、フってよ」
「最低なんかじゃないよ」
「最低だよっ」
「乃亜は最低じゃない」
そう断言されて、頭の中の疑問符が濃くなって、またもや「なんで」と聞いてしまう。柔和な瞳を私に向け、彼は言う。
「愛してくれたから」
「え……?」
「俺達の赤ちゃん、最後の最後まで、愛してくれた。だから、乃亜は最低なんかじゃないよ」
目眩がした。勇太君がその瞬間、仏様のように見えた。
「そんな、だって私……」
どうして逮捕されないのだろうと思っていた。命ある者を殺したのにもかかわらず、何故捕まりもしないのだろうと。一層のこと罪を償う場を与えてくれた方が、幾らか楽になれるかもしれないのに、それさえ出来なくて。
「私が産みたくないって言って、それで……」
罰も受けずにのうのうと暮らす自分が嫌だった。愛も情もない殺人犯と変わらないと思っていた。けれど彼は、そんな私の愛を肯定してくれた。
「乃亜?」
俯き涙を流す私の顔を、彼は覗き込んだ。
「大好きな人が愛する子を失ったばかりなのに、俺、別れるなんてできないよ」
そう言って私を抱きしめる彼。鼻を啜る音がした。
「俺だってこんなに辛いんだ。実際に手術をした乃亜が平気なわけない。だから、チャンスが欲しい。乃亜を支えるチャンス。好きになってもらえなくてもいいから、ただ隣にいさせて欲しい」
ヒックヒックと乱れた呼吸の隙間を縫って、私は答えた。
「また、また絶対勇太君を傷付ける……」
陸と付き合う気など毛頭ない。だけど私は拒めない。陸のことを、捨てられない。
「だから、別れよ……?」
もうこれ以上、自分を嫌いになりたくないんだ。
「期間限定でもいいからっ」
抱きしめられた腕に、力がこもった。
「受験が終わるまででもいい……その時までに乃亜の心を救えない情けない男なら、そんな奴、手放してくれていいからっ」
「そんなの、できないよっ」
「お願いっ」
魚のように、自分の目が見開いたのがわかった。
「お願い乃亜。もう少しだけ、乃亜の側にいさせて……」
懇願する彼の胸元で、私は彼の鼓動を聞いていた。ドキドキドキドキ速く打って、律動的だった。
「乃亜、お願いっ……」
恋愛は終わるもの、愛など続かない。そのはずなのに、何故彼は私の元を去ろうとしないのだろうか。彼の真っ直ぐな想いが、私を酷く混乱させた。




