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「お母さん、天国(そっち)に小さな命が逝ったよ。私が逝くその日まで、迷子にならないように手を繋いであげて、守ってあげて。お願い」


 うん。わかった。



 瞼を開けた先には純白の天井。一瞬、天国かと思った。

 ボーッとするのは麻酔が効いているせいだ。そのお陰でどこも痛くない、心以外は。


 日帰りで中絶手術ができる時代。一体幾つの命が、一日の間で葬られているのだろう。

 自分のお腹をさすってみた。誰もいない部屋を確かに感じて痛む胸、溢れる涙。

 もう天国には着いたのだろうか。恨んでもいい、憎んでもいい。私は死ぬまでこの十字架を背負っていく。


 学校を休んで一緒に病院へ行くと言ってくれた勇太君を、私は登校するよう言い聞かせて、ひとりでの手術を望んだ。付き添いは、彼の母。

 何故彼を拒んだかと言うと、それは本当に些細な理由だ。麻酔でぐっすり眠っている姿を、見られるのが恥ずかしいから。涎を垂らしていないとは言い切れない。


 帰宅し、ごろんと布団に寝そべる。うつ伏せにはまだ抵抗があるから、仰向けで。

 夕方のこの時間、父は仕事。奈緒さんも開店準備の為、もうスナックにいる頃だろう。


 私は幼少期の母との会話を思い出す。


「ママはなんで乃亜のママになったの?」

「あら、どうしてそんなことを聞くの?」

「だって、さっき怒られたから。乃亜じゃないほうがよかったのかなあって」

「そんなことないわよ、乃亜。ママは乃亜に会いたくて一生懸命産んだの。きっと乃亜じゃなかったら、あんなに頑張れなかったわ」

「そうなの?よかったあっ」


 耳に垂れ落ちる、(ぬる)い涙。


「ごめん、ごめんなさいっ……」


 謝ったところで、過去は消せない。けれど知識も語彙力も乏しい私の口からは、そんな言葉しか出てこない。


「ごめんなさい、赤ちゃんっ……」


 ねえお母さん。私の赤ちゃんと逢えたかな。


✴︎


「乃亜ちゃん、ちょっといい?」


 ノックの音と共に、奈緒さんの声が聞こえた。慌てて布団で顔を隠した私は、低い声で「はい」と言った。扉が開く。


「乃亜ちゃん、大丈夫?」

「うん。まだお店じゃなかったんだ」

「買い物行ってたの。でも、もうお店に行かないと」


 枕元に座る音がした。


「お父さんから聞いたよ。今日、手術だったんだね、大変だったね。何か私にできることがあれば、言ってね?」

「べつにない」

「そっか……ごめんね乃亜ちゃん。こんな時なのにお店も休めなくて。うちのスナック、私以外従業員がいないのよ。だから、急には閉められないんだ」


 奈緒さんが、私に歩み寄ろうとしてくれているのは伝わる。彼氏の娘だからって、ただそれだけの理由だろうけど、逆に言えばたったそれだけの理由で、こんな無愛想な態度をとっても、無視しても、私を見捨てない。


 返事をしない私に、彼女はまた言葉をかけた。


「スープ作ったから、もし飲めそうだったら飲んでね。そろそろ仕事行くね」

「ん」

「行ってきます、乃亜ちゃん」


 パタンと扉が閉まれば、再び訪れる静寂。酷い対応の己を正当化するは、こんな考え。


 いつか彼女も父と別れる時がくる。私が恋人の娘ではなく、他人に降格する日がくる。すると今まで築いた関係などなかったことにされる。だから、心を開かなくて正解だ。

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