表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/96

「今年の勝者は紅組!」


 白組は負けた。僅差だった。


 閉会式。隣の列の後方で整列する勇太君をふいと見る。俯いていた。筋の浮き出た拳固が震えていた。だけど明後日私は彼を傷付ける。この予定は動かせない。


 ドク、ドク、ドク。

 そんな明後日への不安からか、私の心臓はやたらと騒いだ。

 ドク、ドク、ドク。

 万華鏡のように景色が回り、実在しない物体がチラチラ瞬く。気持ちが悪い。


「の、乃亜!?」


 意識を失うその瞬間、凛花の声がした。


✴︎


 眩しい蛍光灯の光が、瞼を開ける邪魔をする。ここが保健室だと理解したのは、鼻腔から感じとった医薬品の匂い。怠い体をシーツから剥がそうとすれば、それは温もりで止められた。


「アホか、まだ寝てろよっ!」

「り、陸?」

「急に倒れるから、まじで焦った!」

「ごめん……もう、大丈夫だから」


 陸が側にいてくれた。それが、嬉しかった。


 保健室の先生は、歩けるうちに帰って寝なさいと言った。熱もないし、大丈夫でしょうと。

 

 陸と歩く帰り道。頼まなくても、彼は私の荷物を持った。


「凛花や勇太も心配してたんだけどさ、アイツらこんな日でも塾あるらしくて」

「そうだったんだ」


 未だにふらつく体を、陸が支える。陸に触れると安心する。だけど彼は不安げだ。


「乃亜、朝から体調悪かったの?」

「ううん、朝は平気だった」

「親父さん、家にいる?」

「どうだったかな……っていうか」

「ん?」

「気持ちわる──」


 ガードレールに手をかけて、胃から喉へと上がってきたものを吐き出した。陸は背中をさすってくれた。


「乃亜、まじでやばいじゃん。熱はないんだよな?」

「う、うん」


 いくら吐いてもすっきりしないこの感覚は、人生初だ。食中毒なんて言葉が頭を過ぎる。


「もしかして生理?生理でも、こんなには辛くならないか」


 生理。陸のその発言で、今月、九月と遡り、八月でようやく見えたその印。


「え……まさかお前」


 青ざめた私の横顔を見て、陸が察した。背にあてられていた彼の手は止まる。


「妊、娠……?」


 囁くにも満たない小さな声なのに、それは私の耳に矢を射った。その刹那だけ、止まる吐き気。


「嘘だ……だって、そんなっ」


 妊娠など、していないはずだ。


「気のせいだよ」と言って欲しくて顔を上げたのに、瞳に映るは鏡のように私と同じ顔をした陸だけ。彼の黒目の中の自分と目が合って、寒気がした。



「とりあえず家に来い」と陸に連れられて、彼の自宅に着く。


「乃亜ちゃん、今日見てたよおっ。あの人が乃亜ちゃんの彼氏だったんだね」


 無邪気な楓と、今は話す気にもなれない。


「楓!」


 怒声にも似た陸の声で、楓が止まる。


「乃亜調子悪いから、ちょっと俺の部屋で休ませるんだ。静かにしててくれ」

「そ、そうなの?乃亜ちゃん、大丈夫?」


 心配そうにする楓に、精一杯の笑顔を向けた。


「大丈夫だよ、楓。体育祭張り切りすぎちゃったみたいっ」



 陸に渡されたコップの水を飲みきれずにいると、彼はそれを受け取り、机に置いた。

 ベッドへと促されて横たわれば、陸の重そうな口が開く。


「乃亜……最後の生理、いつきたの?」

「八月の、後半だったと思う」

「遅れてんじゃん」


 途端に曇る、陸の顔。


「うん、遅れてる」


 遅れているだけ、遅れているだけだと私は自分に言い聞かせた。


「勇太の奴、避妊してたんだよな?」


 貫くようなその視線に束の間たじろぐ私だったが、うんと大きく頷いた。


「勇太君、ちゃんと外に出してたもん」


 陸の視線が強くなる。


「……は?」

「だから、中には出してないってば」

「ゴムは?」


 その問いに、私は口を噤んでしまう。

 陸は私の手首をとった。


「何やってんのお前。そんなの、避妊って言わねえから。赤ん坊できちゃうじゃんっ」


 妊娠が決定したような言い方をされて、ムキになる。


「で、できないよっ。何回もしたわけじゃないしっ」

「一回でも二回でも、できる時はできるだろうが」

「できないっ」

「できる」

「できないっ!」

「できんだよ!」


 その瞬間、枕元にずんと陸の拳が沈められて、私は何も言えなくなった。彼が離した私の手首にも、薄らと朱色の筋が残る。


「まじでばかかよ!乃亜も、勇太も!」


 憤慨する陸を見て、否定ができなくなる。もしかしたら、まさか、が現実になってしまう気がして、世界の色が褪せていく。


 陸の枕に顔を押しあてて、涙を流した。鼻から体の芯へと落ちていく彼の匂いに、彼とひとつになったあの夜が思い起こされる。

 けれど。


「勇太の赤ちゃん、産むの?」


 陸がそんなことを聞いてくるものだから、私は再び吐き気を催した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ