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「乃亜ちゃんっ」


 陸の自宅。真っ先に出迎えてくれたのは、パジャマ姿の楓だった。


「楓ごめんね。こんな時間に」

「全然!十時なんてうち誰も寝てないしっ」

「ありがとう」


 手を洗い、食卓に腰を掛けさせてもらうと、自室から出てきた陸が目に入る。


「ど、ども。お邪魔してます、です」


 どこかぎこちない挨拶をすると、彼は言った。


「歴史日本漫ガタリの最新刊読んだ?」


 陸もまた、彼の母と同じ。私に一切理由(わけ)を聞かない。


「よ、読んでない……発売されたの?」

「今日ゲットした。もう読んだから、貸してやろっか?優しいだろ」


 にししと得意げな陸の顔。この家族といると、心の氷が溶けていく。



「乃亜ちゃんって、今日泊まるの?」


 蕎麦を啜る私に楓が聞いた。


「お蕎麦食べたら帰るよ。明日も学校だし」

「えー、もうこんな時間なんだから泊まっていけばいいのに」

「着替えもないし、悪いよ」

「私のパジャマ貸すから!」


 彼女は私を気にかけてくれているのだろうか。それともただ単に、お泊まり会気分で誘っているのか。どちらにせよ、私が嬉しく思ったことに変わりはない。


 楓のしつこい懇願に、陸の母は私の宿泊を許可した。ただし、父に一報入れることを条件に。


 夕飯時はわあきゃあと女だけで盛り上がり、陸とは大した会話もしなかった。


「陸、おやすみ」

「じゃあなあー」


 楓の部屋の前、陸に手を振ると、彼も自室へ戻って行った。


 楓に借りた充電器に携帯電話を繋げながら、私は父へとメッセージを作成する。


『今夜は陸の家に泊まります。明日の朝に帰ります』


 画面を覗いた楓は言った。


「なんかこれ、お兄ちゃんとお泊まりして、朝帰りするみたいだね」

「え、そうかな?じゃあ、こう?」


『陸と楓とおばさんと寝てから帰ります』


 再び画面を覗く彼女。


「なんか変だけど。ま、いいんじゃない?」


 あははと笑って、電気を消した。


 ひとつの布団の中で触れ合う肌の温もりに、ふと母と添い寝していた頃を思い出す。


「乃亜ちゃん、お兄ちゃんと付き合っちゃえばいいのに」


 しんみりしていた気分を抹消したのは、唐突すぎる、楓のひとこと。


「はいっ?」

「だって絶対好きじゃん、お兄ちゃんって乃亜ちゃんのこと」

「わ、私、彼氏いるからっ」

「え!そうなの!?」

「う、うん」

「なんだあ、お兄ちゃん撃沈ー」


 妹にすっかり読まれていた陸の恋心。笑いが溢れる。


「ラブラブなの?その彼氏と」


 そして一転、ぎくりとさせてくる。しどろもどろに答えてしまう。


「ラ、ラブラブの定義がわからないからなんとも言えないけど……別れるまではそうなんじゃない?」

「え、どういう意味」

「恋愛なんかすぐ終わるじゃん、別れるじゃん。だからそれまでの期間はラブラブって言っていいんじゃない?」


「うーん」とひとつ唸った楓はこう言った。


「確かにうちのママも離婚してるしなあっ。愛が続かなかった証拠だよね」


 私が陸と楓と出逢う数年前に、母親に引き取られた彼等。「うん」とは頷けなかった。


 時計の針の音だけが、しばらく聞こえた。


「乃亜ちゃん、寝た?」

「うっすら起きてる……」


 体勢を変えた楓は、私に背を向ける。


「あのね乃亜ちゃん。私はお兄ちゃんが乃亜ちゃんのことが好きだって気付いた時、すごく嬉しかったの」

「え?」

「もしかしたら乃亜ちゃんが、私のお姉ちゃんになるかもって一瞬でも思ったら、嬉しかった」

「楓……」

「なんてね。おやすみっ」


 そう言って寝息を立て始めた彼女の背中に額をつけて、瞼を閉じる。

 楓がとても愛おしかった。

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