第四十五話 一筋縄ではいかない
「アイザック? どうしたの、こんな時間に」
「クラリスに話があってな。今いいだろうか?」
「今? いいけど、中で話す?」
「あー……さすがに女性の部屋に入るのは気が引ける。申し訳ないが出てきてもらってもいいだろうか」
言われて視線をマリアンヌに移すと「いってらっしゃい」と手を振られる。
私は既に寝間着のチュニック姿だったのでカーディガンを羽織るとアイザックと一緒に寮を出た。
「どこに行くの?」
「そんなに遠くない。……冷えるか?」
「あぁ、うん。ちょっとね」
季節は秋から冬に移り変わっていた。
日中はまだ暖かいが、夜になるとひんやりとしていて肌寒い。
するとアイザックが私の腰に手を回して引き寄せる。
「暖かいか?」
「そ、そうかもしれないけど。魔法を使ったほうが早く暖まるんじゃ……」
そう言うもアイザックは私の提案を華麗にスルーする。
こうして密着するのはあの戦いのとき以来で、異性とくっつくというのは慣れていなくてドキドキした。
そしてお目当ての場所に着いたのか、立ち止まるアイザック。
「ここだ」
「うわぁ、綺麗……っ」
寮からさほど離れていない裏庭で、闇夜の中で月に照らされるように咲き誇った花々が煌々と輝いていた。
どうやら夜にのみ輝きながら咲く花らしい。
優しい光が花の奥から漏れていて、その上を妖精達が歌いながら舞い踊っている様子はとても幻想的だ。
「クラリスに見せたくてな」
「ありがとう。でも、よくこんな場所見つけたわね」
「あぁ、妖精達から聞いたんだ。意中の人と出歩くならここがよいと」
(今なんて言った?)
自分にとって都合のいいような言葉が聞こえた気がしたが聞く勇気がなくて聞き返さずにいると、腕を引かれて座るように促される。
そのままアイザックの腕に包まれるようにすっぽりと抱かれながら、私はその場に腰を下ろした。
「えっと……アイザック、近くない?」
「嫌か?」
「……嫌じゃ、ないけど……」
「ならいいだろう?」
(いつになく強引だなぁ)
エディオンに似てきたのだろうか、なんて思いつつもこうして抱きしめられていることは気恥ずかしくも嬉しくてされるがまま。
背中からアイザックの体温を感じて、この寒さの中ではちょうどよかった。
「そういえば、話って?」
「あぁ。クラリスには話しておきたいことがあって。……俺のことなんだが」
「アイザックのこと?」
「あぁ、俺の過去について。どうして俺が魔法を使えなくなったかクラリスに知って欲しくて」
そう言うとアイザックが私の手を握る。
彼の手はやはり大きくて、そして無骨でありながらもとても温かった。
「ミドルスクールのときに母が亡くなってな。母は妖精族の出身で元々身体が弱かったのだが、父と結婚して人間世界に来たことでさらに弱くなってしまったらしい。でも父のために母は何がなんでも妖精世界には戻らなくて、よくそれで二人が喧嘩していたのを覚えている」
寂しげでありながらも懐かしげに語るアイザック。
「お互いに愛してたのね」
「今思えば、そうだな。当時はそんなことで喧嘩する二人が理解できなかったが」
「まぁ、子供からしたらそうよね」
「母はとても頑固で、気配りに長けた人で、慈しみ溢れる人だった。……亡くなる数日前に俺は母に言われたんだ。貴方は父に似て見た目で誤解されがちだから、できるだけ人に優しくしろと。人のためになることをしろと。俺はちゃんと理解もせずにわかったと頷いた。そして母が亡くなって数日後、クラスメートに絡まれたんだ。『できそこないの堕魔が死んだんだろう?』と」
「そんな……」
堕魔というのはこの世界での侮蔑用語だ。
人間未満の存在であり、権利など全て認めざるものとして評するときに使う言葉であり、口にするのもおぞましいほど強い差別用語だった。
「妖精族は神によって地に堕とされた存在と一部で信じられていたせいで忌み嫌う人もいて、そういう中傷には慣れているはずだった。だが、俺は母を亡くしたばかりで魔力が制御できなくて、魔力暴走をしてしまった。そのせいでその絡んできたクラスメートを半身不随にし、父もそのことでかなりのバッシングを受けたんだ」
ギュッとアイザックの手を握る力が籠る。当時のつらいことを思い出したのだろう。
私はそっとその手を握り返すと、アイザックが再び口を開いた。
「エディは相手が悪いのだから気にするなと言った。父も仕掛けたのは相手なのだから、お前が気にすることではないと俺を責めなかった。だが、生前の母の言葉をちゃんと守れなかった俺は自分を責めた」
「アイザック……」
「それからずっと引きこもっていた。俺の魔力は危ないものだと。決して使ってはいけないものだと。だから勉強も何もかも放棄して、ただひたすら無為に過ごした。だが、NMAから俺に招待状が来たんだ。エディにそのことを話したら『これ以上逃げるな』と言われてな。エディにはわかっていたんだろうな、俺が辞退しようとしていたこと」
「さすが幼馴染ね」
自分も身に覚えがあってつい共感してしまう。マリアンヌが私を導いてくれたように、エディオンもまたアイザックを導いたのだろう。
「NMAに入学して、初めこそ変わろうと思ったくせに過去に囚われたまま。結局また変われなかったと自分を恥じて学校生活を無為に過ごそうとしていたとき、クラリスに声をかけられたんだ。クラリスと関わっていくうちにだんだんと気持ちが変わってきて、人と関わるのが苦手だったはずがクラリスと過ごすのは楽しくて、魔法や勉強も興味を持てるようになっていった。それで、このままそれなりに勉強してそれなりの魔法を使えればそれでいいと思っていた。だが、オーガとの一件で、クラリスを守れなかった自分の無力さを思い知った。そして、己を恥じた。エディにも『変わるんじゃなかったのか!? お前はもっと凄いヤツのはずだろう!?』と言われて、そこで初めて俺はこのまま生温いままではダメだと気づいたんだ。それからは猛勉強して、必死に今までのぶんを取り戻すように勉強した。今度こそ、クラリスを守れる存在になりたくて」
「それで、あのとき闇魔法が使えたの?」
「あぁ。まぁ、あれは一か八かってとこだったが、成功できてよかった」
ふっと口元を緩めて笑う姿にドキンとときめく。
元々アイザックは賢い人なのだろう。どうりで教えたら教えたぶんだけ吸収するはずである。
「そういえば、オーガのときに駆けつけてくれたけど、どうして私の居場所がわかったの?」
「あれは妖精に教えてもらった。母が妖精族のおかげか妖精は比較的俺と懇意にしてくれてな。クラリスが地下室に消えたのを見た妖精が慌てて俺に知らせてくれたんだ」
「そうだったのね。それなら、妖精にも感謝しないと」
「あぁ、そうだな」
アイザックが色々なことを打ち明けてくれたことがなんだかとても嬉しかった。
今までよりも精神的な距離がさらに近づいたような気がして、胸が温かくなる。
「話してくれてありがとう、アイザック」
「いや。俺がただ言いたかったんだ」
「それでも。私はアイザックの過去が知れて嬉しい」
「そうか」
お互いに沈黙し合う。
なんだか離れるのが名残惜しくて、私は何も言わずにアイザックと手を握り抱きしめられたまま。
(こんな穏やかな時間がずっと続けばいいのに)
そう思いながら身動ぐこともせずに彼の腕の中で大人しくしていた。
「クラリス」
「何?」
「エディはいいやつだ」
「うん?」
「エディは第三王子で、よく気が利くし、優しいし、魔法も得意で成績も優秀でクラリスのことをとても愛していると思う」
「う、うん?」
突然何を言い出すのかと、目を丸くする。
(まさかこの流れでアイザックからエディオンを勧められるのかしら、私)
天然のアイザックならやりかねない、と思いながら彼の言葉を聞く。
勝手にいい気分になっていた私の心は冷や水を浴びたようだったが、それを必死に顔には出さないように努めた。
「男の俺から見てもエディは凄いいいやつだし、ケチのつけどころのないやつだろう」
「う、うん」
「エディはクラリスにとって婚約者として申し分ない相手だと思う」
「そ、そう……?」
(これ、いつまで聞かされるんだろう)
ギュッと胸を締めつけられる感覚。
もう愛だの何だのは真っ平だと自分に言い聞かせていたはずなのに、と思ったときだった。
なぜか肩を掴まれ、身体を向き直されてアイザックと向かい合うような形にされる。
(何ごと!?)
私が戸惑っていると、正面から抱きしめられる。
その力はとても強くて私はさらに混乱した。
「あ、アイザック? どうしたの、急に」
「クラリスにとってエディオンは相応しいのはわかっている。だが、俺もクラリスが好きだ」
「え?」
思いもよらぬ言葉に頭が真っ白になる。
あまりに急展開すぎて、理解するのに時間がかかった。
「気づいたんだ。俺にとって何が大切か。クラリスが死ぬかも知れないと思ったとき、恐怖で震えた。そこでわかったんだ、俺にとってクラリスは大事な存在だと。だから、エディオンからも好かれていることはわかっているが、できれば俺のことも異性として……一人の男として意識してほしい。……ダメだろうか?」
アイザックに愛を囁かれて、恥ずかしながらも嬉しかった。
そして、そこで初めて自分は幸せになってはいけないのだと無意識に自ら枷をつけていたことに気づく。
今まで、前世の過ちを繰り返さないために喪女として今世は生きようと、私は今までアイザックへの好意を気づかないフリをして自らグッと心の奥底に押し留めていた。
あの悲劇を繰り返さないよう、地味に生きようとそう思っていた。
けれど、こうして彼からの想いを聞いた今、押し留めていたはずの感情が溢れ出る。
私も幸せになりたい、と。
過去に囚われずに新しい未来を掴みたい、と。
アイザックとこれからも一緒にいたい、と。
「わ、私も! アイザックのことが好き……! だから、その……」
羞恥でそれ以上言葉が紡げないでいると、アイザックに少し身体を離されてまっすぐ見つめられる。
その瞳は真剣そのもので、私は何も言わずに彼の瞳を見つめ返した。
「嬉しい。あぁ、気持ちを通わせるというのはこれほどまでに幸せな気持ちになるのだな。クラリス好きだ。いや、愛してる。ずっと俺のそばにいてほしい」
「アイザック……私も、これからもずっと一緒にいたい。ううん、いさせてほしい。お願い」
頬に手が添えられ、唇が近づいてくる。
私は応えるように目を瞑り、アイザックを受け入れようと彼の背に手を回す。
吐息が唇に触れ、あともう少しでお互いの唇が重なろうとしていたときだった。
「きゃー、ノースくんいけいけー!」
「まるでドラマを見てるみたい……っ! とうとう結ばれる二人……素敵!」
「こらこら、貴女達。はしゃいだら聞こえちゃうわよ!」
聞こえてくる聴き慣れた声。
アイザックにも彼女達の声が聞こえたようでバッと二人で勢いよく振り向くと、そこにいたマリアンヌ、ハーパー、オリビアの三人と目が合った。
「あ、はは。お邪魔しちゃったかしら~?」
「もう、ハーパーが騒ぐから! せっかくいいところだったのに!!」
「本当よ! せっかくのクラリスのファーストキスだったのに!」
「マリアンヌ〜、ハーパ~、オリビア~!!!」
「きゃあ、クラリスちゃん。怒らないで!」
「悪気はなかったのよ~」
「ただ好奇心で!」
「それがダメだって言ってるの!!」
私が顔を真っ赤にしながら彼女達に憤っていると、どこからともなく別の人物達もやってくる。
「アイク。クラリスを幸せにしなかったら承知しないからな!」
「クラリスさま、おめでとうございます!」
一体どこから湧いて出てきたのかエディオンとミナも加わり、なぜかみんな私達の様子を見ていたような口ぶりに頭が痛くなる。
「キミの恋人になれなくてとても残念ではあるけど……でも、親友の座は誰にも渡さないよ!」
「はい? 何をおっしゃっているんです。いくらエディオンさまと言えど、クラリスさまの親友はわたくしです!」
「ちょっとちょっと!? 私がいることをお忘れではなくて? 私がクラリスの最初の友達であり、親友なのよ!」
突然、エディオンとミナとマリアンヌの三つ巴の争いが目の前で勃発し始める。
自分のことで争っていることは承知しているが、ここまでくるともはや私は蚊帳の外だ。
(何でこうなるんだ)
せっかくアイザックと想いが通じ合ったというのに、どうやら私の人生は一筋縄ではいかないらしい。
今までのことを思い返す。
引きこもるはずが、なぜかNMAに来ることになり。
喪女として生きるはずが、なぜかモテモテになり。
なかなかどうして、今世でも自分の思い通りにならないことの連続である。
けれど、前世とは違って自分の意思で行動するようになったからか、色々なことに巻き込まれてはいるものの毎日が充実していて楽しいと思える自分がいた。
(とはいえ、いつになったら落ち着くのやら)
目の前で繰り広げられる騒動は未だ終わる気配はない。
ふとアイザックを見ると、彼も私と同じことを思っていたのか苦笑している。
そして「このままこっそり寮に帰るか?」と耳打ちされて私は小さく頷くと、二人でこっそりとこの場を抜け出すのだった。