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トイレのノックは3回なんて誰が決めた。

作者: jima

 ロマンの欠片もない異世界譚を書こうと思い、トイレで踏ん張りながらストーリーを練りました。楽しんでもらえたらうれしいです。

 下痢腹を抱えてトイレに入って、ヒーヒーいいながら事を済ませ、ハアハアとズボンを上げてドアを開けたら、そこは異世界であった。果てしない草原が広がり、向こうには人間と妖怪の中間的なものが槍を持って立っていた。

 俺は思わず内側からドアを閉める。そんな馬鹿なことがあるだろうか。俺は交通事故にあったり、過労死をしたり、何かの迷いを持って死んだわけでもなんでもない。ただ味噌バターラーメン大盛りを食べて、腹を下し、公園のトイレに入って事を済ませただけなのだ。こんな下世話で非ドラマチックな導入で異世界ものが始まるのはいくら何でもひどすぎる。

 もう一度ドアを開ける。ああ、果てしなく広がる岩山の向こうにドラゴンが出てきて、火を噴いた。俺は慌ててドアを閉める。先程とはチュエーションが違うが、やはりこれはヤバイやつだ。何で下痢して異世界転移なのだ。トイレのロックを持つ手がガタガタ震える。このままトイレにこもっていたら、俺は何日耐えられるだろうか。水はあるが、食べ物はない。ベッドもなければテレビもない。トイレはある。当たり前だ。落ち着け、俺。

 もう一度ドアをソロリソロリと開け、外をそっと覗く。また草原だが先程よりは狭いのだろうか。向こうに山が見える。と、思ったら向こうから槍と刀を持った戦国の足軽の軍勢がこちらに突撃してきた。

 「ヒーッ」と叫んで、ドアを閉める。ヤバイヤバイヤバイ。どうしたらいいのだ。何回か開けるうちに元の世界に戻れるということはあるのだろうか。いや待て、そうでなくても、今まで見た世界よりはずいぶんましで、俺が生き残れるような安穏とした世界に当たるということがあるのか。待て待て待て、ハレム展開ということだってないとは限らないじゃないか。この無茶苦茶な話の流れなのだ。そうだ、何回も開けて、もしかしてムフフな展開があり得るというところで出て行けばいいじゃないか。

 決めた。俺は何回も開けて酒池肉林桃色極楽桃源郷を目指すのだ。少なくとも現実世界よりもましな世界に転生するのだ。

 いや、待てよ。実際どこで出て行くか、どう踏ん切りをつけたらよいのか。一度トイレから出てしまったら、終了という流れなのか。わからない。トイレから出て振り返ったら、そこにトイレのドアだけが残っているというシュールな絵面は想像しにくい。ここは慎重に行かねば。

 俺には歴史を勉強して知識があるとか、農業の技能があるとか、本が大好きとか、そういった特殊技能や性癖はないのだ。今持っているのは駅前でもらったティッシュと勤めている事務用品会社の書類、充電切れのスマホ、残高数万円のクレジットカードと歯医者の診察券だけだ。英検4級や世界遺産検定不合格の実績が役に立つ世界はきっとない。戦国時代に行ったら、3日で戦死だ。いや戦うことさえできないだろう。魔法世界では顔を緑色にして苦悶の表情で毒殺されるのだ、よくわからないで言っているが。

 とにかく、どこかの転生もののように都合良くいく設定が何も浮かばない。自分の姿をもう一度見下ろすが、けっしてゲル状になったりしていない。くたびれた背広のままだ。とにかくそんな俺でもどうにか生存していける、できればきれいなお姉ちゃんに囲まれて養ってもらえるような、そんな世界に行きたい。よし、開けてみよう。そうしよう。

 私はまたドアを開ける。

 「ブンッ」恐ろしい勢いでトマホークが飛んできた。間一髪、俺はドアを閉めることに成功したが、「ゴンッ!」という重量級の衝撃がドア板に響き、トマホークの先がトイレの内側に飛び出した。俺はせっかく履いたズボンに小便を3滴半漏らす。

 「あひゃひゃひゃっ…アフッ!●△×♪○♨!ドヘッ!ガハッ…ハアハアハア」

 声にならない声で恐怖の叫びを上げた俺は15分ほど何も考えられず、飛び出たトマホークの刃を眺めていた。自分のいる方向に殺傷能力のある武器が飛んでくる、という体験は初めてである。当たり前である。

 ようやく若干の落ち着きを取り戻した俺は戦慄する。そうだ。開けた途端の即死、という事態だってないわけではないのだ。ドラゴンの炎が吹きつけられたり、宇宙空間で真空だったり、隕石が降り注いだり、バスガス爆発だったり、それは可能性としてすべてあると思った方がいい。

 何回も開けられるチャンスがあると思わない方がいい。ある程度、安全が確認できるのなら、もう諦めてここから出て行った方が生存確率は高くなるのではないか。無論、次のガチャが即死パターンの可能性だってあるのだが。

 

 脂汗を流しながら、俺はドアをそっと開ける。いきなり全開は危険である。いやソロリソロリ開けたって危険は危険だが、それでもそうせずにはいられない。もしここがある程度生存可能であれば、もうトイレからは出よう。そう決意していた。万が一ディストピアであってもトイレで一生を終えることと、トイレから出た途端の即死よりはマシだと思おうではないか。

 何と向こうからトイレのドアを開けようとする者がいる。

 「ギョエーッ!」

 恐怖で顔を引きつらせ、さらに数滴小便をもらした俺は必死でドアを閉めようとする。しかし、向こうからも同じような力でドアを引っ張る者がいるようだ。よく聞いてみると、何と日本語だ。

 「助けて!入ってこないで!神様!」

 どういうことだ。俺はドアを思い切り押して、開けた。パッとドアが全開となり、そこには俺ではない俺がいた。ああ、こんな馬鹿な。確かに俺そっくりだ。しかし、どことなく俺ではない。それは向こうの俺も同じなのであろう。俺を呆然と見ている。

 「誰だ」

 「お前こそ誰だ」

 「怖いよ。同じ声で喋るな」

 「お前こそ。ちょっと違う声だけど」

 「そうだ。不愉快だ」

 意味不明である。二つのトイレがつながって、俺「のようなもの」が二人いる。悪夢だ。


 嫌悪感を抑えて話し合う。名前は同じでも微妙に違う。歳もひとつ違う。親の名前は同じだが、出身地が隣の町だ。俺はここまでに数滴小便を漏らしたが、奴はどうなのだ。これはどうでもいい。

 シチュエーションは同じだ。腹を壊して。公園のトイレに入り、異世界への転移口に立ってしまった。違うのは奴が食べたラーメンが味噌味でなく、醤油味であることだが、これもどうでもいい。


 「さて、どうするのだ、俺ダッシュ」

 「ダッシュとは何だ。お前の方が俺のダッシュだ」

 「不毛な話はやめよう。これではトイレの便器が二つになっただけで、事態は悪化の一途だ」

 「同意する。大小便は垂れ流し放題だが、共倒れは必至だ」

 二人で声がそろった。「こっちへ来ないか」「こっちへ来ないか」

 俺は言い争うのが嫌で、奴の個室へ移動し、ドアを閉める。次にどこへつながるのか、つながらないのかわからないが、今よりも事態はましだろう。いやましだと信じたい。

 

 「開けて見るか?」

 「狭いな。開けてどっちかが出て行くということでいいか」

 「やむを得まい。もちろん即死パターンもあるやもしれん。何とかなりそうなら、俺が出て行こう」

 「いや待て、俺が出る」

 「ちょっと待て。一緒に出るという選択肢はあるのか」

 「俺たちは無論、個で存在しているが、俺もお前も俺であることは変わりない。どちらかが生き残れば、俺が生き残ったといえるのではないか」

 「うむ。生き残れなかった方からしたら、受け入れられない理屈だが、もっともだ。可能性を高めるなら、違う場所に出て行った方が良かろう」

 「いいだろう。俺が出よう」

 「いや、だから、俺が出る」

 「待て。お前が出て大丈夫だったら、俺が出る」

 「さっきの話を理解していなかったのか。別の世界に出るべきだ」

 「一人より二人の方が生存可能性は高くないか」

 「それはその世界が最低限安全だった場合だろう。だったら、俺が後から出る」

 「いや、俺が後にする」

 もはや、俺のどっちが喋っているのか、俺自身がわからなくなっている。

 「決めた。同じ世界に俺がもう一人いるというのはやっぱり耐えられないよ。俺は後でいい」

 「それもそうだ。お前、俺だけあっていい奴だったんだな」

 「もういい。ややこしいから、ドアを開けよう」

 「わかった。いいか、開けるぞ」

 俺ダッシュがソロリソロリとドアに隙間を作る。


 「どうしてこうなった」

 俺たち8人が狭いトイレの個室にいっぱいに詰まっている。

 「もう一度同じことになってみろ。もうおしまいだぞ。16人の俺がこんなふうに密着していたら、俺はおそらく神経が保たない」

 「全員が同じ程度に心が弱いのだから、わかっている。解決策はあるのか」

 「ドアを開ける以外なかろう」

 「だから16人…」

 「待て。トイレの向こうに俺の気配を感じたら、閉めてしまおう」

 「そうだ。だいたい向こうの様子はわかるようになってきている」

 「いったん閉めたらリセットされる点も何となくな」

 「みんな理解できていることだから、喋るな。鬱陶しい」

 「何を。やるのか」

 「やめろ。このスペースで喧嘩を始めたら泥沼だ。しかも腕力もたぶん同じだから勝負はつかない」

 「そうだ。仲良くするべきだ」

 「異議なし」「異議なし」「異議なし」「ノープロブレム」

 「一人外国籍がいるようだが、もう知らん」

 「よし、そっと開けて、向こうが空間であったら、そして即死世界でなかったら、一人ずつ出て行こう」

 俺たちはうなずきあう。順番は書類に書いたアミダクジで決めた。これも狭いスペースでゴチャゴチャ言い合い、押し合い、へし合い、ようやく決められた。


 「じゃあ、まず俺だ」

 そっと俺ダッシュダッシュダッシュがドアに隙間を作る。耳を澄ませるが、何も聞こえない。

 「どうにか、よさような気がする。では俺たち、さらばだ」

 「気をつけていけ。俺ダッシュダッシュ、えーと…」

 「うるさい。俺は俺オリジナルだ」

 

 「ギャッ!やめろ!やめてくれ!うぎゃあっ」

 慌てて俺はトイレのドアを固く閉ざす。俺たちは一人残らず真っ青だ。真っ青程度に微妙な差はあれど、真っ青だ。

 「何があった。奴はどうした」

 俺ダッシュ×6が言うが、もちろん答えられる俺はいない。

 「わからないが、とにかく危険な目にあった。あっている…のだろう」

 「何となく甲高い鳥のような声がした気がする」

 「やめろ、それ以上言うな。次に出る俺がちびる」

 俺はここまでに数十滴漏らしているので、俺たち全員でもはや相当量漏らしているに違いない。自分の尿の匂いだから気にならないかというと、そうでもない。俺は俺でもやはり他人だ。


 「次は俺だ。行くぞ…行くかな。行った方がいいかな?」

 泣き笑いで俺ダッシュ×2が俺たちに尋ねる。

 「何だったら俺が先に行くか?」

 これ以上悪い状況が頭に浮かばない。早めの方が得な気がする。

 「いいや、俺が」「俺でもいいぞ」「俺も準備はできている」

 「悪かった。やっぱり俺が行く。ごめんよ。俺たち」

 もはや入り交じってダッシュいくつかだったか、判明しなくなった俺が思いきってドアを開けて、出て行く。外をそっと覗くこともしない大胆さだ。俺の中で一番大胆ないや自暴自棄な俺だろう。

 「おい、静かだぞ」

 「いい場所なんじゃないか?」

 「俺もここで出て行っていいだろうか」

 「そうだ。安全ならば、ここでみんな出よう」

 「うん、そうしよう」

 俺ダッシュいくつかが外へ踏み出そうとしたが、出られない。

 「どうした。俺」

 「わからない。足の先さえ外へ出すことができない」

 どういうわけか、誰も外へ出られない。ここのルールとして、ひとつの世界に行けるのは一人だけなのだろう。「どうして」と俺たちの誰も聞かない。俺たちの誰もわかるわけがない。ただの自問自答である。


 5人の俺がすでに出て行った。出て行った俺がどうなったか、トイレの中の俺たちはわからない。声や音で判断するに、何らかの原因で即死した者2名、外へ出て行った途端、何かに追いかけられて遠くへ逃げていった者1名、たぶん無事ではないかと推定される者1名、何故か外へ出てしばらくしてから爆笑が聞こえてきた者1名…である。笑っていた俺がいい場所に行ったかどうかはわからない。多分に狂気をはらんでいたようにも思える。残り3人の俺は顔を見合わせる。

 「はっきりと当たりの判定がでた者はいないな」

 「うむ。声がきこえない俺が当たりだったとは限らないし、爆笑してた俺はむしろヤバイ方の俺だ」

 「大丈夫なのか。これで本当に誰か助かる可能性があるのか」

 「だが、このままトイレで小便の匂いとともに朽ち果てるわけにもいくまい」

 「待っているうちに事態が好転する可能性はないのだろうか」


 俺たち3人で頭を抱える。いくら考えても答えが出るわけはない。結局次の俺もドアを開けて出て行った。耳を澄ませると、巨大な足音と俺の驚きの声が聞こえる。

 「で、でか!」「きょ、巨人?」

 どんな世界観なのかさっぱりわからない。それでも逃げる時間はあったようなのだから、まだマシな方なのかもしれない。いよいよ残るは俺と俺の二人だけだ。

 

 「では、さらばだ。少しの間だけだが、世話になった」

 「世話をした覚えはまったくないが、俺は結構律儀な人間だったのだな」

 「ああ、俺も捨てたもんじゃない。もしも生き延びることができたら、達者でな」

 「俺こそな」

 涙を拭って、俺が出て行った。途端に外に血しぶきがあがった。

 「ギャアアアアアアアアアアアッ!」

 その悲鳴に俺は思わず耳を押さえて、自分が叫ぶ。

 「◎×□△☆●×××!」

 無論何があったのかわからないが、これは酷い世界に飛び込んだのではとしか考えられない。もういやだ。この後、ドアを開ける気がまったくしない。考えろ、考えろ。何か他にないのか。


 とにかく俺は広くなった個室の中、トイレに座った。もはやパンツはビショビショだが、それでもズボンとパンツを脱いで、小便をし、水を流した。

 ふと閃くことがあった。この水はどこから来ているのだ。確かに水道管が元の世界からつながっているということではないのか。この状況はもっと不条理で、そんな論理が通じない場合だってあるだろうが、何でもいい。自分で考えて、細い糸でもそれに縋りたい。

 

 俺はまず個室の上部にあるペーパーの予備を載せてあるパイプを破壊し、そのパイプで力一杯トイレ個室の後方壁を叩き始めた。ドアから出ると異世界につながるとしても、水道がつながっているだろう世界だってあるはずだ。後ろの壁はまだビクともしないが、それでも辛抱強く叩き続ける。

 横の壁も破ってもいいかもしれないが、個室が横につながっている場合、そこでまた同じ事になる可能性がある。後ろには何もないはずだ。手の皮が擦りむけ、血がにじみ始めたが、俺は諦めず叩き続けた。

 

 何度か休憩をはさみながら、諦めかけてはもう一度思い直し、さらに壁を壊す。次第に壁がたわみ始め、ついに一部が剥がれてきた。

 「もう一息だ」

 周囲の釘が緩み始めたのを見て、俺は思いきり体当たりする。といっても便器が邪魔で勢いがつかない。それでも「もう一回」「もう一回」と肩や膝でぶつかり続けた。


 グワッシャッ!

 何度目だろうか、ついに壁が後方に敗れ、俺も体当たりの勢いごとトイレの外へ飛び出た。地面にアスファルトの感触がある。仰向けに横たわると星空が瞬いている。周囲を見渡した俺はようやく歓喜に震えた。どこの街かわからないが、とにかくここは人の住む(たぶん)平和な街だ。疲れのあまり俺は息を吐いて気を失った。


 「やっぱり俺だ」

 「確かに」

 「何人目だ」

 「最近多くないか」

 俺が目を開けると、そこには3人の人影があり、俺を見下ろしている。俺は疲れて気絶していたようだ。

 「!」

 俺が上から覗いている。俺のようで俺でない俺だ。その俺が気の毒そうな表情で言う。

 「ビックリしたか?」

 横からさらにもう一人俺がいて、俺をねぎらう。

 「でも、まあ、命だけは助かったということで、運がよかったと思えよ」

 3人目の俺も俺を見下ろして、笑顔を見せる。

 「やっぱり、俺の考えることは同じだな。トイレを破壊した俺はお前で10人目だ」

 そして3人が声を合わせた。

 「10人目の俺。俺たちがたくさん住む俺たちの街へ、ようこそ」

 俺はもう一度、気を失い、今度は脱糞した。

                       (終わり)

 

  

 どうでしょう。くだらなかったでしょう。私が楽しめたので、いいかと思っています。またこういうの書いてみたいです。

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