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届かない思い編

約束の土曜日、僕はワクワクしながらジムで汗を流し、無敵モードでpatisserie fleurへと向かった。

店内へ入ると先客が居たため、僕は少し離れた入り口の辺りからショーケースの中に目を凝らした。

通い詰めたせいで、もうほぼ全ての品を制覇していたが、毎月変わる今月のスイーツを一品と定番を一品づつ買って帰るのが、僕の毎週の楽しみになっていた。

今日は第一土曜日、まだ僕が食べた事のない新しい商品が出ている筈だ。

季節は秋、遠目から見ても葡萄が乗っているのが分かるフルーツタルトが目に入った。

よし、今日はあれと定番のコルネだな…


先客の親子連れが買い物を済ませるのを見計らって、ショーケースに近づくと

「いらっしゃいませ!水島さん」

と売り子の香純かすみちゃんが元気よく声をかけてきた。

何しろすっかり常連になっている僕は、数名のアルバイトの子全員から覚えられてしまっている。

「やぁ、今月は新商品が3種類あるんだね」

「はい!秋は美味しい果物が沢山出回るからね〜ってオーナーが言ってました♪」

確かに、秋は果物の美味しい季節だ。

葡萄のフルーツタルトとコルネを注文している時、奥から稀恵梨ちゃんが出て来た。

「あら水島さん!いつもありがとうございます」

自然に接客しているつもりだろうが、何だかいつもと違ってちょっと芝居じみている声音に、僕は思わず吹き出した。

きっと、今日もオーナーさんが居るんだろう…

稀恵梨ちゃんが素早く香純ちゃんに手渡したのは、例の試作品の様だ。

なるほど…秘密なのは、オーナーにだけって訳か…

僕も調子を合わせて

「あぁ、新しいのが出てるね〜今月のスイーツ、楽しみだなぁ」

なんて、棒読みで言ってしまった。


商品を受け取ろうとしたその時、奥から1人の男性が出て来た。

稀恵梨ちゃんが焦ったように

「水島さん!こちら、オーナーの木崎きざきさんです!

 オーナー!こちら、いつもいらしてくれてる水島さんです」

と、1オクターブ高い声で、お互いの紹介をしてくれた。

まさか、オーナーさんが店内に出てくると思っていなかったんだろう。

僕は、笑いを堪えながら

「初めまして、すっかりこちらのスイーツの虜になって、通わせてもらってます」

と挨拶した。

すると木崎さんは、ふんわりと笑って

「あぁ、稀恵梨から聞いてます。いつもご贔屓にありがとうございます」

と頭を下げた。

なに?下の名前でしかも呼び捨て?

動揺した僕は

「では、また」

とか何とか、挨拶もそこそこに店を出た。


帰りの車の中、さっきの木崎さんの一言がグルグルと頭を回っている。

稀恵梨なんて、呼び捨てにする様な仲なのか?

でも稀恵梨ちゃんは、木崎さんって呼んでたしな…

あ!でも、流石に客の前では苗字で紹介するか…

う〜2人はどんな関係なんだ〜?

2人の関係が気になって、危うく信号無視する所だった。

慌ててブレーキを踏んだ途端に、僕は思い出した。

patisserie fleurのオーナー、木崎さんは、いつだったか僕が通っているジムで見かけた、あのイケメンじゃないか!


うちに帰ってからもモヤモヤは晴れなかったが、とりあえず稀恵梨ちゃんの新作を試食しなきゃ!と、気分を入れ替え紅茶を入れる。

箱を開けると、今日僕が買ったタルトとコルネの他に、鮮やかなオレンジ色が目に飛び込んで来た。

ぱっと見、マンゴー仕立てのレアチーズケーキかと思ったが、ひと口食べて予想と違う味に一瞬

……ん?となった。

僕の予想を裏切って、上に乗っていたのは柿だった。

あぁ、これはあまり見ない組み合わせだよな…

柿を洋菓子に使っている店は、全く無いわけでは無いが、やはり和のイメージが強く、僕は今まで口にした事がなかった。

しかし、柿とカッテージチーズのサラダとかあるし、チーズと相性は悪くないはずだ。

なら、表面を覆ってるこのソースも柿か…

ソースを作る際にレモン果汁を入れているのか、ほんのり酸味がある。

レアチーズケーキの酸味とソースの酸味が柿の甘味とちょうど良いバランスの、さっぱりとしたケーキだった。


僕は、早く感想を伝えたいと思う反面、さっきの事が引っかかってしまって、夜になっても稀恵梨ちゃんに電話出来ないでいた。

8時を少し廻った頃、うだうだと考えていた僕の携帯が鳴った。

「もしもし、水島さん、今日お渡ししたケーキって、もう食べて頂けましたか?」

「あぁ、ちょうど今さっき食べたところ、僕も今稀恵梨ちゃんに電話しようと思ってたんだ」

咄嗟に嘘をついてしまった。

「そうですか?あの…それなんですけど、もう良いんで忘れて下さい」

「え?どうして?」

僕は耳を疑った。

あんなに張り切って、しかもアイデアいっぱいだって言ってたのに、急にどうしたんだ?

「もう良いんです、無理言ってすみませんでした」

稀恵梨ちゃんは、そう言って電話を切った。

僕は訳が分からず、黙ったまま携帯を見つめていた。


翌日の日曜、僕はまたpatisserie fleurの前にいた。

今までの僕なら、多分もう

自分が受け入れられなかったんだ…

と諦めて、自分から離れてしまっていたに違いない。

だけど今回の僕はまだ、告白した訳でも振られた訳でもない。

まだ始まってもいないんだ、こんな状態で終わってたまるか!

と、僕にしては珍しく、かなり鼻息が荒くなっていた。


店内に入ると、今日も香澄ちゃんがアルバイトに入っていて

「あれ?水島さん!どうしたんですか?」

と、びっくりしている。

というのも、僕が日曜日に来た事が無いからだ。

「いや、例のあれ、稀恵梨ちゃんに感想伝えたくて」

僕は、わざとヒソヒソ声で言った。

「え?あれ?昨日電話してなかったです?

 稀恵梨さん昨日の夕方から元気なかったから、私てっきり水島さんから厳しいこと言われたのかと思ってた」

「あ…いやぁ、やっぱりちょっと厳しすぎたかなぁって気になってたんだ、後からすごく良かった点が思い浮かんだんだけど、夜遅かったから、今日直接伝えようかな〜なんて思ってね」

と、苦笑いしながら話を合わせた。

「え〜だったらすぐ言ってあげたら良かったのに〜稀恵梨さんショックで寝込んじゃってますよ」

「えっ?稀恵梨ちゃんお休みなの?」

「そうですよ〜水島さんのせいですからね〜」

香純ちゃんが最後まで言い終わらないうちに、僕は慌てて店を飛び出した。


やっぱり…何かあったんだ…

勢い良く店を飛び出したのは良いけど、稀恵梨ちゃんの家は知らないし、本当に寝込んでたら電話するのも迷惑だよなぁ

弱気な思いが首をもたげて来て気持ちが揺らぐ。

車に乗り込んでからもう10分は考え込んでいた。

結局、稀恵梨ちゃんに電話する勇気が出ず、そのまま家に帰る。

はぁ〜僕って何てダメな奴なんだろう…

自己嫌悪でいっぱいになりながらアパートに戻った。

郵便受けに詰め込まれたチラシをげんなりしながら取って部屋に入る。

チラシの束と一緒に、一枚の葉書が目に入った。

そこには、綺麗な山と風情のある古民家が写っていて

「民宿はじめました」

と、でっかい字で書いてある。

何だこれ?と思いながら裏を返して差出人を見ると、葉山麗華と書いてあった。

そのまますぐに麗華さんに電話をかける。

携帯の番号は変わっていなかった。

「こーた!久しぶり〜葉書届いた?」

「はい!びっくりしました!何でまた民宿?」

「10年目の結婚記念日に行った宿が凄く良かったんだよね〜うちの旦那様が気に入っちゃって…

 定年したら自分も宿屋のオヤジになるんだって言うから、良いんじゃないの?ってさw」

「何か、麗華さんらしいですねw」

「こーた、今、出勤日ちょっと融通効くでしょ?

何泊か泊まりに来ない?見せたいものがあるの」

「えっ?見せたいもの?何ですか?」

「それは来てのお楽しみ〜」

誘われるがまま僕は、葉山夫妻が営む民宿にお世話になる事になった。


翌日早速、葉書に書かれてある住所を頼りに車を走らせる。

稀恵梨ちゃんの事は気がかりだったけど、時間が経つにつれてネガティブな自分のダメな所が勝ってしまっていた。

目的地に着く頃には

どうせ僕なんかが何か言っても、どうにかなるもんでも無いか…

という気持ちになっていた。


僕を迎えてくれたのは、葉山さんと麗華さん、そして麗華さんにそっくりな女の子…

「こんにちは、お久しぶりです」

「久しぶり!ほら未玖みく、ご挨拶は?」

麗華さんが促すと、その女の子は

「こんにちは!未玖です」

と、にかっと笑った。

「こんなおっきな子供居るなんて…そっか、でもそうですよね…」

僕は、何だか言葉に詰まってしまった。

すると麗華さんが、プーッと吹き出して

「そうだよ〜あたしもおばさんになっちゃったんだもん、こーたもおじさんになっちゃったでしょw」

と、大笑いしている。

葉山さんは隣で

「そんな事無いよな、水島くんはまだお兄さんだよな〜未玖」

と、優しげなあの笑顔で言った。

「水島くん、ゆっくりして行って下さい、未玖、お兄さんに自慢の手打ち蕎麦ご馳走しよう!」

「うん!」

中に入って行く2人の後ろを歩きながら

「可愛いでしょ?うちの子」

「はい!麗華さんそっくりですね」

「素敵でしょ?うちの旦那様」

「はい!すっげ〜かっこいいですね」

麗華さんと僕は、一気にあの頃の上司と部下に戻っていた。


葉山さんの手打ち蕎麦は実に美味かった。

なんでも、蕎麦打ち職人の元で半年修行したそうだ。

「はじめは失敗ばかりでねぇ」

照れ臭そうに笑って蕎麦を出してくれた葉山さんの腕は、がっしり筋肉がついていて、とても僕なんかがジムに通ってるなんて言い出せない程だった。

何故だか急に、稀恵梨ちゃんの事を思い出す。

僕がもっと葉山さんみたいに男らしかったら、稀恵梨ちゃんに何かしてあげられたのかなぁ…

そう思うと、不甲斐ない自分に、更に自己嫌悪を覚えてしまった。


4人で囲炉裏を囲んで楽しく食事を摂った後、麗華さんが

「さぁこーた!とっととお風呂入って寝た寝た!」

と、いきなり僕を急き立てた。

「えっ!?まだ8時ですよ?」

「明日早いから覚悟しときなさいよ〜」

驚いてる僕にお構いなしに、麗華さんは笑ってる。

未玖ちゃんも、クスクス笑いながら僕にタオルを渡してくれた。

「さぁさぁ」

背中を押されて半ば無理やり風呂場へ…

檜の香りがやけに落ち着く。

「あ゛〜」

浴槽に肩まで浸かると思わず声が出た。

ポカポカに暖まった僕を待ち構えてたのは、これまたポカポカに陽の光を浴びてふっかふかになった布団だった。

こんなの眠くならない方がおかしい。

僕はすぐに眠りに落ちて行った。


「こーた!準備するよ!」

不意に麗華さんに叩き起こされる。

時計の針はまだ3時を少し過ぎたあたりだった。

僕は、麗華さんの言う通りに、準備されてある服に着替えた。

「ん?山登りするんですか?」

僕と麗華さんの格好は、明らかに登山の装備だ。

「そうだよ〜」

鼻歌を歌いながらリュックを担いで、楽しそうに麗華さんは言った。


まだ暗い山道を麗華さんと登って行く。

麗華さんの足取りは軽やかで、僕はついて行くのに必死だ。

最近ジム通いしててほんとに良かった…と、つくづく思った。

「結構きついでしょ?」

「はい、ついてくので精一杯です」

「頑張って!登った甲斐があったって思えるもの見れるから!」

「そうだ!何見せてくれるんですか?」

「まだ内緒〜着いたら分かるって♪」

「そういうとこ、変わってないですね」

「そうだよw人間そうそう変わんないもんだよw」


確かに、麗華さんのいう通りだ。

考えてみたら、僕も全然変わってなんかいない。

稀恵梨ちゃんに、何故あんな事言ったの?って聞くこともできない、意気地なしのダメ洸太だ。

このままもうpatisserie fleurにも行かず、自分から稀恵梨ちゃんに連絡もしなければ、全部なかった事になるんだろうな…

考えれば考える程落ち込んできた…

だんだん口数も少なくなって来て、僕はただ黙々と麗華さんの後を歩いた。


もう何時間歩いただろう…

少しづつ空が明るくなって来た頃、山頂に近づいているのが僕にも分かった。

「もう少しだから頑張って」

返事も出来ない位息があがっていたが、ここは気合いと根性だ。

「こーた!着いたよ!」

ほとんど足元ばかり見ながら登り続けていた僕に、麗華さんが言った。

その声にやっと顔を上げる。

目の前にはオレンジ色に染まった雲と山間から登り始めている朝日が見えた。

僕は言葉を失い、ただ黙ってそれを眺めていた。

何だろうこれ…

ただ胸が熱くなり、泣きそうになる。

「泣くのはまだ早いよ」

日が登り切り、麗華さんが指差したそこには、一面の雲海が広がっていた。

「うわ…」

「こーた、ありがとね、今のあたしがあるのは全部こーたのお陰だよ」

「僕なんて…麗華さんに何もしてあげられなかった」

「ううん、あの時こーたがあたしの背中を押してくれたから…ほんとに感謝してる」

僕は返す言葉が見つからず、ただボロボロと泣いた。

そんな情けない僕が泣き止むまで、麗華さんは黙って待っていてくれた。


みっともないとこ見せちゃったなぁ…

急に自分が恥ずかしく思えて

「すみません!いい歳したおっさんが、みっともないとこ見せちゃいました」

と、戯けながら言うと麗華さんは

「こーたは、みっともなくなんかないよ、あんたは優しくて強くて、やる時はやる男だよ」

そう言われて僕はまためちゃくちゃ泣いた。


山を降りて行く間中、僕はまた稀恵梨ちゃんの事を考えていた。

やっぱりこのままじゃ嫌だ。

自分のダメさを言い訳にして、自分の心と向き合う事から逃げちゃダメだ。

僕から心を開かなきゃ、彼女も心を開いてくれない筈だ。

全部話して、そして何があったのか聞くんだ。

たとえ彼女に恋愛対象に見られなくても、友達にはなれるかも知れない。

僕だって、何か役にたてるかも知れないじゃないか。

僕は、帰ったらもう1度稀恵梨ちゃんに会いに行く!と、心に誓った。

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