3話(1) 『世界を殺す牙』
時刻は現在二十四時。サリュー達が姿を消してから四時間が経過した今、透間の対策拠点ビルでは、慌ただしく指示が飛び交っていた。
「ブリックビル内の避難は済ませたか⁉ 敷地外のガス施設の人間も全てだ‼」
「サリューの反応はまだキャッスルゾーンか⁉ 見失ったら終わりと思え‼」
「この戦いは透間一族、いや世界の存亡がかかっているんだ‼ 空いている戦闘員は全員この街にかき集めろ‼」
管制室の喧噪をよそに、武器庫にて装備品の確認を行っている敢七は、先程までの事を思い出す。
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葉月を攫われてしまった羽衣達は、駆け付けてきたバックアップ班と共に対策拠点ビルに戻っていた。
傷が深く意識を失っていた双一は、すぐさまビル内の治療室に運ばれ、透間一族が抱えている医者の治療を受けていた。
羽衣と敢七も傷は浅かったものの、医務室にて治療を受けていた。
羽衣は、慌ただしく動き回っているビル内の人間を見て、違和感を感じていた。そして、治療をしてくれているバックアップ班の女性に尋ねた。
「戦闘員が少ないみたいだけど、何かあったの?」
「それが、羽衣ちゃん達が戻ってくるのと入れ違いのタイミングで、各地に魔物が大量発生したのよ。しかも倒しても倒しても地面から湧いてくるらしくて……。全く、今日は帰れそうにないわね」
そう言ってため息を吐く女性。その話を聞いていた敢七は、表情をハッとさせる。
「羽衣先輩、これって……」
「サリューの仕業だろうね。恐らくは以前から準備していたんだろう」
羽衣の言葉に己の推測が正しいものであると確信する敢七。周到に用意された計画に、彼は葉月が取り戻せないのではないのかという焦燥に駆られる。
「まだサリューに逃げられたとは限らないよ。私たちには分からないことが多すぎる。まずは情報を収集しよう。上手くいけばサリューの居場所も分かるかもしれない」
「……そうですね。ここで焦っても仕方が無い」
そんな敢七の焦りを見抜くかのように話す羽衣。彼は居場所が分かるという羽衣の言葉にピクリと反応し、自身に言い聞かせるように彼女の言葉を肯定する。
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治療を終えた後、二人は会議室に案内されていた。
会議室には、剛蔵のみが座っていた。
「よくぞ、よくぞ生きて帰ってきた……‼」
羽衣達が室内に入るなり、剛蔵は開口一番そう言った。
「ただ生きているだけだよ。それ以外には全て負けた。何より葉月が攫われてしまった」
淡々と言葉を発する羽衣。しかし、一見涼し気に見えるその表情には小さく、とても小さく悔しさを滲ませていた。
「それでも……それでもじゃ! あの窮迫事象、それもよりにもよって原典覚醒者から生きて帰ってくるとは……!」
「……どうやら爺様は彼らについて知っているようだね。ここに戻った甲斐があったよ。もちろん教えてくれるよね?」
初めて聞く単語を口にする剛蔵に、羽衣は説明を求める。
「……これらの話は透間の中でも秘中の秘。しかし、ここまで大きく動かれては開示せんわけにはいかんじゃろう」
明らかに教えることを躊躇している剛蔵だったが、状況がそれを許さない。
「サリューについてじゃが、こやつは現在隔離世界にある『吸血鬼の国』に問い合わせておる最中じゃ。そのうち答えが返ってくるじゃろう。そして、あの狼」
そう前置きし、重い口を開く。
「あの狼は、世界から『殺害』という概念を与えられた星の災い。世界に現在四例のみ存在する、あらゆる異能の頂点『原典覚醒者』にして、世界を滅ぼす災害『窮迫事象』の一番目。古き者達はこう呼んでおる」
一息間を空ける剛蔵。
そして彼は、世界の禁忌に触れるその言葉を口にする。
「『 窮迫Ⅰ 〝鏖殺事象〟 フェンリル 』と。……全く、神々の言葉に合わせているとはいえ、横文字ばかりは疲れるわい」
「世界を鏖にする災害……それはまた、随分スケールが大きいね」
ともすれば滑稽に聞こえる剛蔵の発言。しかし、その身をもってあの狼の『死』を感じた羽衣は、彼のその言を一笑に付すことができなかった。
「さて、『窮迫事象』と『原典覚醒者』……どちらを先に説明するべきか……。うむ。まずは『原典』から説明をするとしようかの」
剛蔵は話す順番を考えた後、己の中で整理した情報を話す。
「『原典』というのは、その存在が成立する上でルーツとなる概念、もしくは世界に植え付けられた役割といったところじゃ。そんな原典を持って生まれた者を『原典所有者』と呼び、一つの存在に原典は一つしか持っておらん。ここまでは理解できるかの?」
「性質を付けられた魂が生まれるってこと? 魂が先なのか性質が先なのかを考えると夜も眠れなくなりそうだ。生まれる前から原典を持っているだけでフェンリルみたいになれるわけじゃないよね?」
「流石に持っているだけではあそこまではなれんのう。原典所有者の状態ではただ性格や思考が原典に若干引っ張られて、その概念に対して執着を覚えるくらいが関の山じゃ。例えば『走る』という原典を持っておる者は、広い道を見ると走りたくなってしまうとかの。まあそれも理性があれば抑制できる程度。生きていく上でさほど影響はない」
「へぇ、普段の何気ない行動も原典が作用している可能性があるんだね」
「ホッホッホ、あながち否定することもできんのう。さて、ここからが本題じゃ」
前置きを終え、いよいよフェンリルの核心に迫る。
「この者達の中から原典を能力として使うことができるようになった者が『原典覚醒者』と呼ばれておる。原典覚醒者になるための条件は二通り。一つ目は世界から原典を司るものとして役割を譲り受け、原典覚醒者としてこの世に生を受けた場合。二つ目は原典所有者の中でも己の原典を自覚した者が、強烈な意志力によって世界の理をも凌駕し、世界からその概念を奪い取った場合じゃ。フェンリルの場合は前者じゃな。そして、原典覚醒者となった者が扱う能力はある強力な特徴がある。それが、この世界に対しての能力の最優先行使権限を持っておることじゃ」
「能力の最優先行使権限?」
羽衣は聞き慣れない言葉に首を捻る。
「そうじゃ。原典覚醒者の能力は最優先で発動され、その他の事象は原典覚醒者の能力に上書きされるのじゃ。フェンリルで体感せんかったか? あやつの場合は『殺害』の原典。何かしらの事象があやつの殺害という概念に上書きされたはずじゃ」
「……双一の浮動特性と、私の闘気が殺された」
「そうか。改めてよくぞ生き残れた……。まあ体感したなら話は早い。フェンリルの『原典:殺害』は世界のあらゆるものを殺すことができる。神の権能ですらもな。覚醒した原典に対抗できるのは同じ覚醒した原典のみ。故に原典覚醒者はあらゆる異能の頂点なのじゃ」
「……世界もとんでもない役割をフェンリルに与えたものだね。一つ気になることがあるんだけど、フェンリルの『原典:殺害』はどうも牙にしか付与されていないみたいだった。今の話を聞くと、世界全体に影響を及ぼせそうなものだけど」
異能の頂点という言葉に息を呑む羽衣だったが、ここで対峙した際のことを思い出し、疑問を提示する。
「うーむ、本来原典覚醒者など生涯出会うことのない存在。儂もそこまで詳しいわけではないが……フェンリルという魔物は本来『神をも殺す牙』を持つ者として創られた存在と聞く。その性質と原典が強く結びついているのやもしれん」
「神様どころか、世界を殺す牙になってしまったという訳か……。『窮迫事象』というのも、その牙が関わっているのかな?」
「まあ概ねその通りじゃ。太古の昔から、人類は世界が滅亡する危険性を孕んでいる事象を『切迫事象』と呼び、恐れておった。現在では核戦争などが当てはまるかのう。しかし人類や神々が文明を発展させるにつれて、そのような次元には収まらない突出した存在が生まれてしまった」
「それがフェンリル……」
「その通りじゃ。フェンリルは世界が生み出した不具合。存在自体が脅威じゃ。その気になれば一匹だけで世界を滅ぼすことができる。そして、その後もフェンリルのような世界の脅威が発生するようになった。その数は全部で六つ。それらの特別な事象を『窮迫事象』と呼び、フェンリルはその始まりの一番目なのじゃ」
「ということは、あんなのが残り五ついるの? よく世界が滅びないね」
あんなものが他に五つも現存していたら、それこそ明日にでも世界は終わるのではないか。という羽衣の当然の疑問に対して、剛蔵は世界が存続している答えを示す。
「いや、今観測されておるのは二つだけじゃ。他の四つは殺されるか無力化されておる。しかし窮迫事象というのは、文明の節目や時代の転換期になると別の何かが窮迫事象となってしまうか、新しく生み出されてしまうのじゃ。いずれ他の四つも新しく発生するかもしれん」
「目下の危機はフェンリルとその二番目か……。ちなみにその二番目は?」
「『窮迫Ⅱ』についてはとりあえずは問題ない。あの『月下美人』は常に監視されておるし、こちらから何かしなければ害があるという訳ではない。利用することもできんしの」
「そう。今の話を聞くに原典覚醒者が窮迫事象になるわけでもないようだね」
「原典覚醒者にして窮迫事象となっておるのはフェンリルだけじゃな。そもそも原典覚醒者なぞそうそう生まれてたまるものか。……どうやら情報が入ったようじゃな」
コンコン、というノックの音に応じる剛蔵。
「巽か。入れ」
「失礼します」
そう言って入ってきた中年の男はこの対策拠点の責任者である透間巽。彼は手元にある資料を捲りながら、報告を開始する。
「例の吸血鬼について二つ情報が入りました。まず一つ目。吸血鬼の国に問い合わせた結果、真祖サリューは追放された元王族だということが分かりました」
「やはりそうじゃったか。して、向こうでの扱いは?」
「はい。彼は王族でありながら研究者という変わった経歴の持ち主でしたが、人格者で周りからも慕われていたそうです。しかしある日を境に豹変。それからしばらくして、同胞に対して非道な実験を行っていたことが明るみになり処刑が決定しましたが、それを察知したサリューは逃亡。以来足取りが掴めていなかったそうです」
「ところが最近になって動きがあったという訳じゃな?」
「はい。ここ数年になって各地で目撃情報が散見され、先月隔離世界の深奥にて眠りの封印を施されていたフェンリルを連れ出したそうです」
「そして今日、葉月を攫ったという訳だね」
「そういう訳じゃな。じゃが理由が分からん。なぜ葉月ちゃんなのか……」
剛蔵は、サリューの行動目的が見えないことに疑問に感じたが、その答えは既に本人が話していた。
「理由は本人が言ってたよ。彼は葉月を真祖化し、フェンリルと子作りをさせ、『殺害』と『接触』の二つの原典を持った子供を産ませるそうだ」
「は……? あの子にそんな異能は無かったはずじゃが……。もしや母親が……? まあ今結論を出すことはできんのう。後回しじゃ。それにしても、狂人とは思っておったが、そこまで狂っておったとは……」
眉間に皺を寄せる剛蔵。そのまま呆れたように言葉を続ける。
「二つの原典を持つ者は存在しない。正確には、生まれても二つの原典同士が相克し、魂という器が保てなくなって死ぬだけじゃ。そんなこと儂ですら知っておる事実じゃ。吸血鬼の元王族が知らんはずもあるまい」
「なるほど。でもそれを実行できる何かをサリューが掴んでいたら? 彼は『霧の一族は千五百年かかったけど自分なら五百年で実行できる』って言ってたよ」
その言葉に驚愕する剛蔵。
「ありえん……と言いたいところじゃが。なるほど……ここ数年各地に現れていたのはその方法を確立させるため、もしくは必要な物資を集めるためと考えると得心がいく。しかし、そこまで危険な橋を渡って一体何をしたいのやら……」
「それも言ってた。彼はお喋りだったからね。なんでも世界を救済したいそうだ」
「はっ、救済と言っておきながら世界を追いつめておるではないか。『タンゲレ』とは『触る』という意味じゃろ? 『殺害』と『接触』の二つの原典覚醒者なんぞ、逆にこの世界を滅ぼさない方が難しいわい」
そう言って吐き捨てる剛蔵。機を図ったように巽が口を開く。
「二つ目の情報ですが、現在のサリューの場所が分かりました」
「なにっ⁉ 逃げられてはおらんかったか‼」
「……どうやらすべてに負けた訳ではなかったようだね」
羽衣がここに戻ってきた理由は三つ。一つは双一の治療。二つ目はフェンリルとサリューについて聞くこと。そして三つ目は、サリューとフェンリルへのリベンジの為に現在位置を知ることだった。しかし三つ目に関しては、一撃を加えたサリューが消耗しており、隔離世界への入り口を開くだけの魔力を回復していないという前提の賭けであった。
すると先程まで糸が切れた人形のように俯いていた敢七もピクリと反応し、巽の方をちらりと見る。
「先程から『ブリックビル』内のキャッスルゾーンにて魔力反応が確認されています。また、キャッスルゾーン正門にて狼の魔物が確認されました」
その言葉を聞いた瞬間、敢七は立ち上がり会議室を後にしようとする。その様子を見た剛蔵は、慌てて引き留める。
「待つのじゃ敢七君! どこへ行くつもりじゃ⁉」
「手当てありがとうございました。葉月を取り返してきます」
「今までの話を聞いとらんかったのか⁉ 君一人で行って何になる⁉ 死ぬだけじゃ‼」
「葉月が助かればそれでいいです」
「そんなもの儂が良くないわ‼ 君の父親に顔向けできん‼」
声を荒げる剛蔵に、聞く耳を持たない敢七。そこに、羽衣が仕方がないといった様子で話に加わる。
「君だけが行ってもサリューを倒すどころか、葉月を助けることすら『不可能』だよ。やめた方が良い。それだけの力の差がある。それにまだサリューのことで分からないことがあるよ。それを聞いてからでも遅くはないんじゃない?」
「でも‼ こうしているうちにも逃げられるかもしれない‼」
羽衣は今までに見たことが無いくらいに取り乱す敢七に、鋭い視線を向ける。
「私の一撃はそこまで甘くないよ。まだ猶予はあるはずだ。それに、葉月は君が自分のせいで死んでしまったら悲しむ子だよ。それは分かっているだろう?」
「それは、……分かりました」
唇を噛み、不承不承ながらも再び席に座る敢七。羽衣が再び口を開く。
「フェンリルについてはある程度分かったとして、サリューの能力で分からないことがあるんだ。巽さん、教えてくれないかい?」
「……ちょっと待て、まさかと思ったが君達は再戦をするつもりなのか?」
羽衣は、サリューについて調査をした巽に聞こうとしたが、巽はそう訝しんだ。
「今この支部には他に戦闘員がいないだろう? 敢七はやめた方が良いと思うけど、どうしてもというなら時間稼ぎまでなら可能かな」
「そうか、では君たちに教えることはできない」
想定外の答えに眉を顰める羽衣。
「……それはどうして?」
「どうして? 決まっているだろう。この支部の長として死ぬと分かっている者を送り出すことは出来ない」
「私は大丈夫だよ? それにフェンリルに関しては対策もある」
「それを信じろと? 信じるわけが無いだろう。君達がここにいるのはあくまで情報共有の為だ。それが終わったら君達はここで待機。必要な戦力が集まり、然るべき準備をした後に突入する」
巽は対策本部の責任者として、犠牲が少ない選択を選ぶ。しかし、流石にそこまでの準備を待つ時間は無いと感じる羽衣はすぐさま反論する。
「それを待てと? そうこうしている内にサリューの魔力は回復するよ。どちらにせよ時間稼ぎを――」
「いい加減にしなさい! 君の我が儘に付き合っている場合ではないんだ! 第一、『徒花』の君が足を引っ張ったから双一君が大怪我を――」
「――巽、やめい」
机を叩き、激高しながら立ち上がる巽に対して、剛蔵が極めて冷静な声で宥める。
「ハッ⁉ す、すいません」
「謝らんで良い。お前はお前で羽衣達の身を案じてくれとるんじゃろう。その上で、じゃ。羽衣や――」
思わずといった様子で慌てて謝る巽に、理解を示す剛蔵。そして羽衣に問いかける。
「何かな?」
「……策があるんじゃな?」
「ある。あとはサリューの話を聞ければ完璧かな」
先程の巽の言葉も一切気にした様子も無く、いつもの涼し気な声音で答える羽衣。それに対し、根負けしたかのように「はぁ~」と溜息を吐く剛蔵。
「昔から羽衣はこうなると絶対曲げんからのう……。良いか、あくまで時間稼ぎじゃ。命の危険を感じたら撤退すること。分かったな」
「うん。ありがとう。爺様、巽さん」
そう言って念押しする剛蔵に、礼を言う羽衣。巽も眉間に皺を寄せていたが最終的には折れた。
「……サリューについて聞きたい事とはなんだ」
「そうだね、まずは――」
そう言って羽衣が質問し、巽が応える時間が続く。
「――うん。とりあえず事前に分かる特性は掴めたね。後は作戦だけど、まず私が正門にいるフェンリルを引き離し、敢七にはサリューの魔力回復の妨害をしてもらう。保険として――」