4話(1) 『待宵月(まちよいづき)の決戦』
「始まったか」
激しい戦闘音が響き、フェンリルと羽衣の戦いが始まったことを知る敢七と双一。
時刻は二十四時四十分。二人は郊外にあるテーマパーク『ブリックビル』に来ていた。
広大な土地に異国情緒溢れるレンガ造りの建物と石畳、園内を流れる運河が特徴的なこのテーマパークは、現在サリューによって魔物が跳梁跋扈する魔界の様相を呈していた。
そんなブリックビルにある一区画、ヨーロッパの庭園と城を再現した美術館『キャッスルゾーン』にてサリューの反応は留まっていた。
「わざわざ目立つ城に籠城するとは、未だに王族気取りのようだな」
「……まあ、この有様だと魔王って感じだけど」
軽い呆れの口調を滲ませる双一に、敢七は現在の庭園の様子を見て付け加える。
キャッスルゾーンの正門前にフェンリルがいないことを確認した二人が、庭園に入って待ち受けていたものは、魔物の大軍だった。
先の襲撃の時よりも強い圧力を放つ魔物に、敢七はサリューの固有魔法を思い出す。
巽からの情報によると、地面から湧き出たように見えたのは『影移動』という魔法。
そして禍々しいオーラを放つ魔物は吸血鬼の真祖であれば誰でも使える、己の血を与えた眷属を魔力を消費することによって召喚する『眷属化・召喚』によるもの。
それに加えてサリューは、さらに改造を加える『眷属改造』を行うことができるらしい。
それによって、サリューの眷属は身体の強化はもちろんのこと、ダメージを受けても一切怯まないように脳が改造されているのだ。これが襲撃時の異常な耐久力の原因。
ここに籠城をしているということは、恐らくこの魔物達はサリュー肝煎りの改造眷属達。そして敢七達がやるべきことは、この眷属達を一体でも多く倒し、眷属を召喚させてサリューの魔力を削ること。
今一度気合を入れ直し、刀に闘気を込める。
そして、羽衣の戦闘開始から五分後の二十四時四十五分、サリューとの戦いの火蓋が切って落とされた。
一番槍は双一。文字通り構えた槍に闘気を流すと、刀身が左右に開き、その中心からバーナーの火のように純白の闘気が勢いよく噴射される。
「透間流槍術、乙式肆の型『削牙旋撃』」
そのまま地面を豪快に抉りながら槍を回転させ、槍が魔物に接触すると、次々に地面と同じ運命を辿っていく。
「やっぱり何も気にせず槍で戦う方が良いな」
そう言いながら伸び伸びと戦う双一の横で敢七も戦果を挙げていく。
紙鳥家での襲撃の時には、一切ダメージを与えることができなかった魔物に対して攻撃が通用していた。刀もそうだが、制服にも闘気の流しやすさを感じる敢七は、内心萌に感謝する。
が、しかし――
(敵が前より硬い上に密度が厚すぎる……! いくら斬っても減った気がしない‼)
いくら敢七の武器性能が上がっているとはいえ、改造眷属の強さも増している。更には斬っても斬っても際限なく出現する敵。
「サリューに『腕輪:赤』は無理だな……」
自分の左腕に装着した『腕輪:青』を一瞥し、羽衣から言われた理想の策が早速瓦解したことを悟った。
腕輪は一旦諦め眷属討伐に専念する敢七は、ここでふととある違和感を覚える。
(地面の影から湧き出る眷属の数よりも、増加している眷属の方が多い気がする)
自身の違和感に従い街灯に飛び乗る敢七。周囲を見渡していると、その正体を見つける。
「……ビンゴ」
敢七が見つけたのは、体長二メートルほどの丸々と太った蛙のような眷属。手足が短く、移動することもままならない様子の蛙の口からは、次々と眷属が産み出されていた。
敢七ではあそこを突破するのは至難の業だが、ここにはこういう乱戦に最適な人間がいる。
「双一! 木に登ってくれ!」
双一は彼の言葉に即座に反応し一部も疑うことなく木に登る。
「何か気付いたのか?」
「ああ! 木陰に蛙がいるだろ! アイツが眷属を産んでる‼」
「アイツか。対象指定」
阿吽の呼吸で敢七の意を汲む双一は、一直線に蛙の魔物に向かい両断する。
「よし!」とガッツポーズをとる敢七だったが、次の瞬間瞳が金色に変わる。
そして見えた光景は――
(まずい……。まずい……! まずい! まずい‼)
――後十分もしないうちに、葉月が隔離世界に連れ去られる未来だった。
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――微睡みの中で、朧気な記憶を巡る。
『うわーん! おにいちゃーん‼ 風船が木に引っかかったぁ‼』
――どこかで見たことのある小さな女の子が泣いている。
『よし、お兄ちゃんに任せて!』
――そう言って、男の子は首から下げたペンダントを女の子に預ける。
――あの行動はこの男の子と女の子の間では、何か特別な意味があったような気がする。
――木によじ登り、引っかかった風船を取る男の子。
『わぁ! お兄ちゃんありがとう‼』
――喜びを全身で表現する女の子とそれを見て誇らしげな男の子。
――男の子は女の子を真っ直ぐ見つめて笑いかける。
『約束したからね!』
――そう言うと、二人は元気に声を揃える。
『ペンダントをわたしに預けるときは、おにいちゃんに任せなさいの合図!』
『ペンダントを葉月に預けるときは、僕に任せなさいの合図!』
――それは、二人だけの約束の言葉。
ああそうか、あそこにいる女の子は――
「う、ううん……」
葉月が目を覚ますと、そこは見覚えの無い景色だった。
「え……、ここ、どこ?」
最初は戸惑っていたものの、葉月は己の身に起きていることを徐々に思い出す。
「あ……そうだ! 私……‼」
「――おお! お目覚めになられましたか狼王の妃よ」
声がする方向に顔を向けると、そこには長身瘦躯の男が立っていた。
サリューは、自分の周りに漂わせている赤い液体を濁った紫の瘴気に変換し、自分の周りに取り込ませていたが、葉月が起きたことに気付くと恭しく頭を垂れる。
「このような場所で申し訳ありません。しかし、この辺りでは貴方様に相応しい寝所がこの城しかなかったのです」
サリューが現在いる場所は、王侯貴族の寝室を再現した場所。そこにあった天蓋付きのベッドに、移動中の魔力に当てられ気絶した葉月を寝かせていた。
葉月に拘束は一切されていない。彼にとっては狼王の妃たる葉月は丁重に扱うべき存在であり、行動を共にするのは世界の真理。葉月も望んでいることであると、勝手に脳内変換しているのである。
しかし、そんな事情を一切知らない葉月は、自分にいつ危害を加えてくるか分からない存在はただただ純粋な脅威でしかない。
完全に覚醒した脳内で、どうにか逃げ出すことはできないか思考を巡らせる。
周囲を見渡すと、『ここから先関係者以外立ち入り禁止 ブリックビル』と書かれた看板を見つける。
(ここはブリックビルのキャッスルゾーンなんだ‼ だったらまだ逃げるチャンスがあるはず‼)
まだ自分が見知らぬ場所まで連れていかれていないことを知り安堵する葉月。しかし、それも束の間のことであった。
「さて、ようやく準備が整いました」
サリューはそう言うと空中に手を伸ばし、掌を開くと暗い色の扉が出現する。
「羽虫共の悪足掻きのせいで、予想外に魔力を消耗してしまいましたが、貯蔵していた血液を全て魔力に変換することで補うことができました」
相も変わらず聞かれてもいないことを一方的に話すサリュー。
サリューは、自身の体を改造し、血液を魔力に変換する術を作り出していたのだ。
誰も知らない奥の手を狼王の妃たる葉月だけには惜しげもなく話す。
そして――
「隔離世界への扉が開きました。さあ! 救済への第一歩を踏み出しましょう‼」
まるでダンスに誘うかのような上品な仕草で葉月に手を差し出し、絶望的なことを言い放った。
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――どうする! どうする⁉
内心の焦りを隠すことができない敢七の異常を察知し、双一が彼の肩を揺らす。
「敢七! しっかりしろ‼ 何があった⁉」
我に返った敢七は、視えた未来を双一に話す。双一は驚きに目を見開いたが、すぐに切り替え敢七に尋ねる。
「敢七、なぜ十分後と分かった? 時計があったんじゃなかったのか? 見えたものを整理するんだ! そこから場所を割り出すぞ‼」
ここにきて透間一族としての場数の多さが生きる双一。敢七も視えた情報を思い出し整理する。
「時計が視えたのは柱時計……。近くにあったのは天蓋付きベッド……。あの場所か‼」
「分かったなら行け‼ 庭園の眷属は俺に任せろ‼」
そう言って槍の先に集約させた闘気を解き放つ。
直後に放たれる極光。その光が消えると、双一の目の前から城までの間にいた眷属が跡形もなく消え去り、道ができていた。
「早く行け! 直ぐに出現するぞ!」
「――ありがとう‼」
双一が作ってくれた道を進んだ敢七は、場内に入ることに成功する。そして、寝室展示場への階段を駆け上がる。
しかし、次の瞬間。
『ギュオオオォォォォオオ‼』
踊り場に出た瞬間、咆哮が聞こえたと思うと同時に何かに吹き飛ばされた。
「ぐあっ!」
そのまま壁を破り外まで飛ばされた敢七は、自分を飛ばした者の正体を見る。
「なん、だ? あいつは?」
そこにいたのは、獅子と狼の頭を無理やり繋ぎ合わされた三メートル程の双頭の魔物。サリューの隠し玉の一つだった。
明らかに他の魔物とは違う雰囲気。敢七は追撃に身構える。
しかし、建物から彼を見下ろすと、双頭の魔物はそのまま踵を返した。
(襲ってこない? 場内の進入者だけに反応するのか。くそ!)
外まで襲ってこないことに一先ず安堵するものの、場内に入る手段を潰されて焦る敢七。
打開策が見つからない敢七は寝室展示場の窓を見上げるのみ。
残された時間は、一分を切っていた。
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「さあ、転ばぬよう私の手をお取りください‼」
ベッドに腰掛けた状態の葉月に手を伸ばすサリュー。
そのまま隔離世界へと葉月を連れて行こうとするが、次の瞬間。
ガシャーン!
「何事だ‼」
窓ガラスが割れる音が聞こえ、サリューはそちらを振り向き警戒する。
「……石?」
そこに転がっていたのは何の変哲もない石ころ。普通と違うのは、その石に何かが巻き付けられているということ。
巻き付けられいる物はペンダント。サリューは何か特殊効果が付与されていることを警戒し、魔法を用いて調べるが特に効果が付与されていない。
サリューはさらに慎重に調べるが、何の変哲もないペンダントであることを確信すると、警戒を解く。
そしてその直後、サリューは激高した。
「ここに妃がいると知っての狼藉かぁ⁉ 不敬な輩め‼ 力が戻った暁には絶対にこの街を消し去ってくれるわ‼」
激高しているサリューを尻目に、ペンダントを見て目を見開く葉月。そして、意を決したように彼に話しかける。
「あの……サリューさん」
「はい! はい‼ ああ! 貴方様の玉を転がす様な声から私の名前を呼んでいただくとは! 何たる栄誉か‼ 何なりとお申し付けください」
呼んだ瞬間に首をグリンと葉月の方へ向けるサリュー。
そんな彼の様子に若干怖気づくものの、葉月は掌を合わせ科を作りねだる様な声を出す。
「サリューさん、私、この場所を去る前に、狼王様とあなたの眷属さん達にこの場所にある美しい花々をプレゼントしてあげたいんです。そこの窓から見える花壇を見てください。あの花壇には、ここにしか咲いていない花もあるんですよ? この場所もどうせ消し去ってしまうなら、せめて美しいものは私達で分け合いましょう?」
そう言って淑やかな笑顔を作る葉月。葉月の言葉を聞いて、突如無表情になったサリューはぬるりと葉月に顔を近付け、下から睨めつけるように葉月を見つめる。
(う……、流石にこんな話じゃ外に出してもらえないよね⁉)
息がかかるほどの超至近距離から見つめてくるサリューのプレッシャーに、流石に無理があったと諦めかける葉月だったが次の瞬間。
ブワッ‼
サリューが、突如涙を流し始める。
「なんと……なんとお優しいことか……‼ このサリュー、感涙で前を見ることができません‼ ええ、ええ‼ どうぞ摘みに行かれてください! 貴方様がここへ戻ってくるまでこの場所は私が守ってみせます‼」
(あれ、なんか上手くいった?)
葉月は、なんだか良く分からないまま作戦が上手くいったことを知る。
「つ、ついでにこの不敬な石は私の手で砕いてきますね。なるべく早く帰ってきますので」
そう言ってペンダントが巻かれた石を拾い、泣き続けているサリューをよそに部屋を出ていく。
素足のままであることも構わずにそのまま廊下を走る葉月は、石に巻かれたペンダントを大切に握りしめる。
(このペンダントは私がお兄ちゃんにプレゼントしたやつだ! お兄ちゃんが助けに来てくれてるのに私が諦めることなんてできない‼)
サリューにとっては何の変哲もないペンダント。否、きっと葉月と敢七以外には何の意味もないペンダント。
しかし、二人にとっては特別な意味を持っていた。
――ペンダントをわたしに預けるときは、おにいちゃんに任せなさいの合図!
昔の約束を思い出した葉月は、決して諦めてはなるものかと城の外へと駆け出した。
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打開策が見つからなかった敢七の行動は、実に苦し紛れなものだった。
彼の異能は『暫定未来視』。敢七自身が介入しなかった場合に確定する未来が視える。
ならば、自分が干渉することによって何かしら未来が変わるのではないか、という思いから敢七はペンダント付きの石を投げた。
賭けにもならない苦肉の策。
しかし、その心意気を汲み取った葉月がこの策を成功に導く。
再び黄金に輝く彼の瞳には、葉月が逃げている未来が視えた。
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「妃がお戻りになられない……。ハッ! もしや……‼」
なかなか戻ってこない葉月を待つサリューは、とある考えに思い至る。
「……道中で妃に何か危険が? こうしてはおれん‼」
葉月に逃げられているとは露程も思っていないサリューは、蝙蝠の眷属に命令して外を捜索させる。
暫くして、敢七が葉月と手を繋ぎ逃げているという知らせが届いた。
「羽虫如きが狼王の妃を攫いおって……縊り殺してくれる」
拳を震わせ怒りを露にするサリューは、追手の眷属達を敢七に差し向ける。
「白髪の虫は弱らせておけ。私が直々に止めを刺す」
眷属にそう命令したサリューは、影の中へと入っていった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
葉月を連れて石畳を走っている敢七は、自分たちがじわじわと追いつめられていると感じていた。
「痛っ!」
「葉月! 大丈夫か⁉」
痛みに顔を歪める葉月を心配する敢七。
素足のままで走り続けている足は血が滲んでいた。
「大丈夫だよ! こんなことじゃ諦めないんだから‼」
敢七は、そう言って気丈に振る舞う葉月の背後から迫る眷属を斬る。
サリューの追手が次々と迫ってくる現状に、このままでは逃げ切れないことを悟る。
眷属達に襲われ傷つきながらも、走る、走る。
止むことがない追撃の果てに、二人はいつの間にかブリックビルが自社で賄うためのガス施設に逃げ込んでいた。
ジリ貧の敢七は次の手を考える。
何か利用することができないかと、洞袋の持ち物を確認する。
拳銃や閃光手榴弾、使う機会が無かった腕輪を見る。
そこで、何かに気付き辺りを見渡す。そして最後に葉月とその首に下げられている自分のペンダントを見る。
次の瞬間、敢七は意を決した表情をする。
「葉月を絶対に助ける作戦を思いついた。ちょっと近くに来てくれないか」
「うん! 私にできることなら何でもするよ‼」
そう言って近づく葉月に、敢七は――
「うっ! お、お、にい……なん……で」
敢七から首筋に手刀を受けた葉月は、疑問のままに意識を失う。
「ごめんな。葉月」
そう言って葉月を見下ろす敢七の右手には、鈍く光る刀が握られていた。