【短編版】悪女だと宮廷を追放された聖女様 ~実は本物の悪女が妹だと気づいてももう遅い。価値を認めてくれる公爵と幸せなスローライフを過ごします~
連載版も始めました。短編を読んでみて面白ければ、連載版も試してみてください!!
※連載版リンクは後書きにも掲載しています
「クラリス、お前のような悪名高き聖女とは一緒に暮らせない。俺との婚約を破棄してくれ」
ハラルド王子の冷たい言葉で、クラリスの瞳から涙が零れた。
王子との出会いを思い返す。戦争で怪我をした兵士たちを治療するために、聖女として診療所へ派遣されたことがキッカケだった。
王子はお忍びで兵士たちのお見舞いに来ていた。クラリスが魔術で治療をしている間、瀕死の兵士たちの手を取り、必死に励ましていたことが印象に残っている。
彼はそれからも毎日のように診療所に顔を出し、彼女を見つけると少年のように無邪気な笑顔を浮かべた。
兵士たちの身体を拭いてやり、一緒に傷の手当てをする。共同作業は二人の心の距離を縮め、半年後には婚約を申し込まれた。
プロポーズの言葉は忘れたくても忘れられない。
『クラリスは他人の幸せが生き甲斐だろ。だからお前を幸せにする役目は俺に任せてくれ』
頬を紅潮させながらの愛の告白は何よりも嬉しい贈り物だ。この人と一生を共にしよう。彼女はそう心に誓った。
「あ、あの、私……ぐすっ……」
嗚咽が邪魔をして、言葉が声にならない。王子の怒りを鎮めようと必死に作り笑いを浮かべる。
「……っ……わ、私、きっと何か怒らせるようなことをしたのですよね。謝りますから……どうか傍に置いてください。私はあなたさえ傍にいてくれれば、それだけで幸せなのです」
他人の幸せばかりを求めてきたクラリスが唯一欲した望みだった。だが伸ばした救いを求める手は、払いのけられてしまう。
「ふん、白々しい女だ。お前の悪名を俺が知らないとでも思っているのか!?」
「悪評とはまさか……」
「お前が男たちをベッドに連れ込んでいる件だ」
「――――ッ」
王子の口にした悪名とは、王宮内に流れる根も葉もない噂の事だ。
聖女は男なら誰にでも媚び、夜を共にした異性の数は両手でも数えきれない。事実無根の悪評が流れていることは知っていたが、王子なら噂話の一つや二つ、笑い飛ばしてくれると期待していた。
だが現実は違った。身に覚えのない噂を剣にして、クラリスを切り捨てようとしていた。
「わ、私はあなた一筋です。浮気なんて絶対にしません」
「信じられるかッ」
「本当です。私が愛しているのは世界でただ一人。あなただけなんです」
信じてもらおうと必死に声を張り上げる。しかし王子の冷笑は消えない。
「ふん、噂話だけではない。俺はお前がスラムで男と手を取り合っている光景を目撃したのだ!」
「それは怪我人を治療していただけです」
貧困街に暮らす人々は治療費がないため、怪我や病気をただ耐えることしかできなかった。そんな彼らを救うために、街で無償の治療活動を行っていたのだ。
「苦しい言い訳だな」
「嘘ではありません……本当なのです……ぅ……信じて……くださいっ」
「ふん、どちらでも構わん。俺には新しい婚約者がいるからな」
「ま、待ってください……何でもしますから……だから私を捨てないでください」
「鬱陶しい女だ。やはり俺の婚約者にはあいつこそが相応しいな。お前も知っている女だから、きっと驚くぞ」
王子の婚約者と聞いて、大商家の令嬢や、帝国の姫の顔が頭に浮かぶ。しかし彼女らが婚約者であれば、そこに驚きはない。順当すぎる結果だ。
ではいったい誰なのか。その答えを王子が呼びかける名前で知る。
「リーシャ、俺の元へと来い」
「はーい♪」
部屋の外で待機していたのか、女性は扉を勢いよく開けて駆け寄ってくる。黄金を溶かしたような金髪と、海のように澄んだ青い瞳。そしてクラリスと瓜二つの容貌。見間違えるはずもない。彼女の双子の妹であるリーシャであった。
「どうしてリーシャが……」
「ごめんなさい、お姉様。王子様は私が貰うことにしたの♪」
「う、嘘ですよね。あなたがこんな酷いことをするなんて……」
クラリスとリーシャは双子であるが、性格は真逆であった。どちらかといえば内向的なクラリスと、明るくて天真爛漫な性格のリーシャ。両親はより女の子らしいという理由から妹のリーシャを溺愛した。
両親から十分な愛情を与えられずに育ったクラリスであったが、彼女の心が曲がることはなかった。
それもすべて妹のリーシャのおかげであった。彼女はいつも一人ぼっちのクラリスを心配し、声をかけてくれたのだ。
自分もリーシャのように人に優しく生きたいとの願いが、彼女の人格を形成したのである。
だが尊敬する妹のリーシャが裏切り、自分の最愛の人を奪い取ろうとしている。理解できない現実に視界がグラグラと歪む。
「リーシャはお前と同じ聖女だ。大臣たちも婚約には賛成するだろう。誰もが望む美しい花嫁になる」
「王子様、好きッ♪」
「ははは、愛い奴だ」
二人は愛おしげに視線を交差する。その眼はかつての自分に向けられていたモノで、クラリスへの愛が失われたことを実感させられた。
「リーシャ、愛しているぞ」
「私もです♪」
二人はよりにもよってクラリスの眼の前で唇を重ねる。ストレスが心臓に早鐘を打たせ、胃の中から吐瀉物を吐き出していた。
「……ぅぇ……こんなのって、いくらなんでもあんまりです……」
心の傷は聖女の回復魔法でも癒せない。目尻から涙が零れ、頬を伝った。
「そう泣くな。お前には代わりの婚約者を紹介してやる。俺の弟で地位は公爵だ。顔があまりにも醜いために、嫁の成り手がいなくて困っていたのだ」
「王子様ったら優しい♪」
二人は恐悦の笑みを浮かべながら、泣き崩れるクラリスを見下ろす。彼女はただ泣き叫ぶことしかできなかった。
●
畦道を荷馬車が進む。窓から見える景色は一面黄金の麦畑だ。普段ならその美しさに感動できたのだろうが、半ば売られるに等しい形で辺境に送られる彼女にその余裕はなかった。
「私はこれから会ったこともない人と結婚するのですね……」
公爵は王族の血を引く分家筋の者たちであるが、ハラルド王子の弟は分家の出身ではない。血の繋がった宗家の王族だ。
それにも関わらず、顔があまりに醜いため、子供のいない公爵家へと養子に出されてしまったのだ。今では両親から当主の座を引き継いでおり、公爵領を収めているという。
「いったいどんな人なのでしょうか」
その顔は見る者を不快にさせるほどに醜悪なのだという。今までも嫁候補として、貴族の令嬢が何人も送り込まれたが、そのすべてが耐えられずに逃げ出している。
「王子の弟なのですから……きっと優しい人ですよね……」
裏切られても尚、クラリスはハラルド王子のことを愛していた。瞼を閉じると鮮明に彼との思い出が浮かんでくる。
剣舞をお披露目したいと呼び出された日のことだ。麦畑で剣を華麗に操る姿は、まるで武神のようだった。
才能だけでできることではない。その証拠に彼の剣を握る手は切り傷で痛んでいた。自分のために血の滲むような努力をしてくれたのだと知る。
「ここが公爵様のお屋敷ですか……」
荷馬車から降りると、目の前には全体像が掴み切れないほどに広大な屋敷が待ち構えていた。だが広さに反して、手入れが行き届いていないのか、庭は荒れ放題で、建物も傷んでいる。
「本当にここに人が住んでいるのでしょうか?」
「ええ。間違いなく」
声をかけたのは荷馬車を引いていた老人だ。白髭を撫でながら、茫洋とした眼を向ける。
「あなたは?」
「私はグラン。王に雇われている召使いの一人です。そして王宮から多くの令嬢を公爵様の元へと送った荷馬車乗りでもあります」
「私以外にも大勢の女性が逃げたのですよね?」
「両手で数え切れぬほどに。それほどにアルト公爵の顔は醜いのです」
「内面はどうなのですか?」
「昔は体調の悪い召使いがいれば、お休みを与えてくれるような人格者でした……ですが今は周囲からの冷遇で性格も歪み、お世辞にも接しやすい人間とはいえません」
「昔は優しかったのなら、きっと性根は善き人です……」
その言葉は願いだ。ハラルド王子も性根は優しい人で、婚約破棄は気の迷いに違いないと期待するための誤魔化しだ。
いつかきっと正気を取り戻した王子が迎えに来てくれる。夢のような淡い希望を胸に、公爵家の屋敷へ足を踏み入れる覚悟を決める。
「聖女様、どうかお幸せに!」
「こちらこそ、ありがとうございました」
礼を伝えると、グランは荷馬車を引いて、その場を後にする。頼れるものは誰もいない。自分の力だけでこれからは生きていかなければならない。
「ふぅ、ごめんくださーい」
屋敷の玄関扉の前で声を張り上げる。しかし反応は返ってこない。仕方ないと、扉を開けて、中へと足を踏み入れた。
「……この家に嫁ぐのですから、不法侵入ではありませんよね」
恐る恐る中の様子を伺う。天井に浮かぶシャンデリアには蜘蛛の糸が張り、敷かれた赤絨毯も色が濁っている。人のいる気配を感じなかった。
「あのぉ、誰かいませんかー」
再度呼びかけてみるが、自分の声が反響するだけ。本当に無人なのかもしれないと、屋敷の探索を開始する。
「さすが公爵様の屋敷ですね。外から見た印象よりも遥かに広いです」
大理石の廊下を歩くが突き当りが見えないほどに広い。これほどの屋敷なら使用人が少なくとも十名は必要だ。だが誰も雇っていないと主張するように、埃が宙を舞っていた。
「まるで廃屋ですね。魔物が住み着いていそうな雰囲気です」
特に公爵が統治するアルト領は魔物が活動的で有名な場所だ。凶悪なゴブリンやオークが人里に現れることも珍しくない。廃屋を根城にしている魔物がいても不思議ではなかった。
「そこの君はいったい誰だ?」
背中から声をかけられる。公爵かと思い振り返ると、そこには化け物としか表現できない顔の男がいた。
悲鳴をあげそうになるのを必死に抑え込む。男の顔はオークのような豚顔や、王宮の大臣のように下卑た顔でもない。
一言で表現するなら歪んだ顔だった。両目が本来あるはずの位置になく、鼻先の隣にある。その鼻も曲がり、数字の6のような形をしていた。
キメ細かな透明な肌をしているだけに、その醜さは強調されていた。背が高いことも本来なら魅力の一つなのだろうが、醜すぎる顔のせいで、不気味さを増している。
「私の顔が可笑しいなら笑いたまえ。公爵だからと遠慮することはない」
「笑ったりなんてしません」
「外面だけは優しいタイプか。今までもいたよ。三日で私の元から去ったがね」
皮肉な言動は強がっている証拠だ。婚約者が逃げ出す度に、彼の心が傷ついてきたからこそ、性根も曲がってしまったのだ。
だからこそ正面からアルト公爵を見据える。醜すぎる顔からも視線を逸らさない。
「私は逃げたりしません。他に行く当てなんてありませんから」
「最初は皆そういうのさ。だがこの屋敷を見てみなよ。婚約者だけじゃない。使用人たちまで逃げ出したんだ。それほどに私の顔は醜いのさ」
「でも私は逃げません」
「だが……」
「約束しましょう。指切りです」
「そんな子供騙しで」
「やってみれば分かりますよ。ほら」
「……今回だけだぞ」
クラリスが小指を差し出すと、アルト公爵は戸惑いながらも小指を絡める。約束の言葉を口にして、指を離した。
「私に触れるのを嫌がらないのだな……」
「どうして嫌がるのですか?」
「……こんな顔をしている男に普通の女は触れたがらないものだろ」
「なら私は普通ではないのかもしれませんね」
貴族の令嬢たちは周囲に美しいモノが溢れている。宝石や美術品、異性も貴族の血を引く者には美男子が多い。だからこそ醜いことに忌避感を抱く。
だが顔を火傷した者や、剣で鼻を切り落とされた者など、瀕死の怪我人を治療してきたクラリスにとって、顔が醜いことには些末な問題でしかなかった。
「……私は君を束縛する気はない。この屋敷にいる間は自由に過ごしてくれていい」
「それなら私、人助けがしたいです」
「人助け?」
「こう見えても聖女ですから」
クラリスは裏切られた悲しみを一旦忘れ、前向きに生きて行こうと胸を張る。その瞳には希望の輝きが宿っていた。
●
アルト領の診療所は病人や怪我人で溢れていた。ベッドに寝かされた人たちは、痛みに唸り声をあげている。
「ここが領地で唯一の診療所だ。薬師の数が少なくて手が回らなくてな。猫の手でも借りたいくらいさ」
「私は猫ではありませんよ。なにせ聖女ですからね。獅子のような働きをしてみせます」
「聖女か……ということは、君が尻軽で有名な――」
「あれは違います。私は浮気なんてしていません」
「だろうな」
「え?」
「少し話しただけでも、君の人間性は理解したつもりだ。男遊びをするような悪女じゃない」
「公爵様……」
「アルトでいい。その代わり、私も君の事はクラリスと呼ぶ。それでいいな?」
「ふふふ、ではアルト様とお呼びしますね」
「様を付けなくても。アルトでいいんだぞ」
「腐っても私も生まれは貴族の令嬢ですからね。殿方を名前で呼ぶのは憚られます」
「そうか。まぁ、クラリスが納得しているならいいさ」
「それよりも早速、治療を始めましょう」
苦しんでいる病人を救うのが先決だと、苦悶の声をあげる怪我人に回復魔法を使用する。怪我で足が動かなくなっていた男は、先ほどまでの苦痛が嘘だったかのように、自分の足で立ち上がる。
他にも打つ手がないと診断された人の病を癒したり、利き手を失い絶望する怪我人の腕を元通りにしたりと、八面六臂の活躍をみせる。
「聖女というのは凄いものだな。失われた腕まで生やせるとは思わなかったぞ」
「私の力は歴代でも最高クラスだそうですから。おかげでたくさんの人を救えるので、才能に感謝ですね」
「……なぁ、私にも手伝えることはないか?」
「でもアルト様は公爵ですよ」
「だからこそだ。怪我をしているのは私の領民だからな」
「ふふふ、アルト様は優しい人ですね」
「むぅ、私のことを馬鹿にしているのか?」
「まさか。むしろ逆ですよ。領民のためとはいえ、治療の手伝いができる主君は多くありませんから」
それこそ昔のハラルド王子くらいのものだ。それ以外の領主は汚らしいと診療所に近づこうとさえしなかった。
「ではアルト様は病人の身体を拭いてあげてください」
「任せておけ」
クラリスが治療し、アルトが看病をする。二人の協力のおかげで、診療所の人たちは元気を取り戻していく。
「クラリス、次はこの人だ」
「腕が曲がっていますね……ただ折れているわけでもなさそうです」
老婆が不安げに曲がった腕をクラリスに差し出す。その腕はまるで最初からそうであるかのように変形していた。
「聖女様、この腕は治りますか?」
「治してみせます。ただ症状が……」
回復魔法は怪我や病気を修復する力だ。曲がっているのが元の形なら、それを治療することはできない。
「いつからこの症状が?」
「三日ほど前から」
「後天的なものですか……いったい、何が原因で……」
「呪いだ」
クラリスの疑問に答えるように、アルトが口を挟む。
「呪いですか?」
「魔物が集まる地域では稀に起こる現象だ。殺された同胞の無念を晴らすために、正体不明の身体の異変を引き起こすのだそうだ」
知能の高い鳥が殺されると、仲間たちへ復讐を乞うように、魔物もまた冒険者たちに討伐された結果、種族としての怨念が降り注ぐ。
その恨みには一貫性がなく、冒険者個人に降り注ぐこともあれば、人間という種族が対象に選ばれることもある。
事実、この老婆も魔物に恨まれる心当たりはなかった。巻き添えのような形での呪いは、あまりに理不尽である。
「呪いに私の魔法が通じるか分かりませんが、何事も挑戦です」
老婆の腕にクラリスの回復魔法を発動する。すると曲がっていた腕が正しい形へと修復され、腕に感じていた苦痛も消え去る。
「ありがとうございます、聖女様!」
「いえいえ、当然のことをしたまでです」
「それと公爵様もありがとうございます」
「私は何もしてないぞ」
「それでもお礼を伝えたいのです。あなたは私の呪いの回復を祈ってくれた。弱っている心を癒せたのは、あなたがいてくれたおかげです」
「そ、そうか……私は役に立てたのか」
迫害を受けてきたアルト公爵にとって、他人から感謝される経験は新鮮だった。耳まで顔を赤く染めながら、頬を掻く。
「人助けも悪くないものだな」
「ふふふ、そうでしょうとも。なにせ私の生き甲斐ですからね」
アルト公爵は外見で忌避されているものの、中身は愛すべき人物だった。
「さぁ、次の患者を治療しましょう」
「サポートなら私に任せておけ」
「頼もしいですね」
二人は診療所で治療を続ける。アルト公爵の口元には、自然に笑みが浮かんでいた。その笑みに釣られるように、クラリスも笑う。
「……兄から聞いていた印象とは大違いだな」
「ハラルド王子は私の事を何と?」
「根暗で男には媚を売る希代の悪女だと。人を見る目がない兄だからな。馬鹿な男だよ」
「……あの人のことを悪く言うのはやめてください」
「婚約破棄されたんだろ?」
「でも心根は善い人なのです……っ……私は捨てられてしまいましたが、それでもあの人の事が……ぐすっ……」
涙が不意に溢れ出す。あれほど恋焦がれた人を婚約破棄されたからとすぐに諦めきれるはずもない。アルト公爵は気まずそうに頬を掻くと、慰めるように自分の外套をクラリスの肩にかけた。
「女の扱いに慣れていなくてな。慰め方がこれで正しいかも分からん。もし私の外套が穢らわしいと思うなら捨ててくれて構わない」
「いえ、お心遣いありがとうございます……あなたは優しいのですね」
「私は別に優しくなどない。近くで女に泣かれるのが嫌なだけだ」
「それを優しいというのですよ」
アルト公爵と話していると、優しかった頃の王子を思い出す。彼もまた寒い夜の日は外套を貸してくれたものだ。
「まだ兄のことが好きなんだな?」
「私は……その……」
「婚約者だからと誤魔化さなくてもいい。本当のことを話してくれ」
「……はい……私はまだ王子の事が好きです」
「なら応援してやる」
「応援?」
「いつか兄が迎えに来るまで、私が形だけの婚約者になってやる。公爵家の婚約者なら王族と会う機会も多いからな。兄を振り向かせて……そして誰よりも幸せになってくれ」
醜い顔の公爵は声を震わせる。クラリスはその言葉に応えるようにギュッと彼の手を握りしめるのだった。
●
クラリスが嫁いできてから一年が経過した。領内では鴛鴦夫婦として有名になった二人だが、まだ正式に婚姻は結んでいない。
「お茶を淹れたんですよ。召し上がってください」
「クラリスの淹れるお茶は絶品だからな」
屋敷の窓から内庭の景色を眺める。手入れされた庭には公爵家に相応しい深紅の薔薇が咲いていた。
「使用人の皆さんが戻ってきてくれて良かったですね」
「これもすべてクラリスのおかげだ」
「いいえ、あなたが笑うようになったからですよ」
以前のアルト公爵は醜い顔を卑下し、いつもムスっとしていた。そこに使用人たちは恐怖を覚えていたのだ。
だが笑えば愛嬌のある顔になる。見慣れたクラリスは愛らしいとさえ思えるようになっていた。
「君が来てからは毎日が本当に楽しいよ。こんな日々が訪れるなんて思いもしなかった」
「アルト様……」
「宮廷に招かれれば、貴族たちから醜いと後ろ指を差される。婚約者たちも顔を見るだけで悲鳴を上げる始末だ。だが……君だけは私をまともな人間として扱ってくれた。本当にありがとう」
「あ、頭を上げてください。それに感謝するのは私の方ですから」
「君が私に感謝することなんて……」
「ありますとも。婚約破棄されて行き場を失っていた私を拾ってくれました。この恩は一生忘れませんから」
「……なんだか私たちは似た者同士だな」
「ふふふ、きっとそうなのでしょうね」
紅茶を啜ると、幸せを実感する。こんな時間がいつまでも続けばいいのにと、屋敷の外を眺めていると、荷馬車が屋敷へと駆けこんでくる。
「どうやら客が来たようだな」
「何の用事でしょうか?」
「年貢の催促か。はたまた舞踏会のお誘いか。いずれにしろ下らない内容さ」
とはいえ、王宮の使者を無下にするわけにもいかない。屋敷の中へと案内すると、客人に紅茶を振舞う。
「お久しぶりですね、聖女様」
「あなたは……」
「お忘れですか? あなたを屋敷へとお連れしたグランです」
立派だった白髭がなくなり、顔に刻まれた皺の数も増えていたため、一見すると分からなかったが、客人はクラリスをここまで連れてきた老人だった。
「私も老けましたからね。分からぬのも無理はありません」
「今日はどういったご用件で?」
「実は聖女様に朗報をお持ちしました」
「私に?」
「実は王子の婚約者であるリーシャ様が浮気をされまして。しかも一人ではなく、両の手で数え切れぬ男に手を出した放蕩振り。これに激怒した王子は婚約を破棄されました。そして新しい婚約者として、あなたをと指名されたのです」
「王子がどうして私を……」
「距離を置いたことで、聖女様の価値を再認識されたそうです。幸運にも、あなた様はまだ婚約止まりで、婚姻を済ませておりません。王子の妃になる資格は十分にあります」
一年前のクラリスなら泣いて喜ぶ朗報だ。だが今の彼女にはもう一人大切な人がいた。
「申し出はありがたいのですが、私には……」
「良かったじゃないか。兄のことが好きなんだろ。自分の気持ちに正直になるべきだ」
「ですが私は……」
「遠慮するな。私のような醜男より兄のような美男を選ぶのは当然だ。私も納得している。愛し合う者同士で暮らすんだ」
「アルト様……ッ」
「さぁ、グラン。兄の元へと連れて行け。そして伝えろ。この人を必ず幸せにしろとな」
「身命に変えましても」
有無を言わさぬ迫力で屋敷から去るように命じる。グランはクラリスの手を引き、彼の元から立ち去った。
「ははは、私は本当に馬鹿な男だ!」
紅茶の乗ったテーブルに頭を叩きつける。痛みが心の苦しさを忘れさせてくれることに期待して、額から血が流れても自傷を繰り返した。
「これでまた一人だ……っ……私の味方はいなくなってしまった……」
目尻から涙が零れる。生まれてから母親にさえ「気持ち悪い」と侮蔑されてきた彼は、人に愛されたことがなかった。
だがクラリスは醜さに嫌悪を抱かないでいてくれた。この娘と婚姻を結べれば、どれほど幸せだろうかと何度も夢を見た。
「……ぅ……愛していたよ、クラリス」
「私もですよ、アルト様」
「――――ッ」
幻聴かと思い、顔を上げると、そこには失ったはずの婚約者がいた。
「どうして? 兄の元へと帰ったはずでは?」
「縁談の話はお断りました」
「な、なぜだ? 兄の事が好きなんだろ?」
「好きですよ。でも王子よりアルト様の方が何倍も好きなんです」
「わ、私のことが……」
好きだと伝えられたのは初めての経験だった。戸惑いと感動で涙の勢いが強くなる。
「一年間、一緒に暮らして分かりました。あなたは誰よりも優しい人です。私が落ち込んでいると慰めてくれますし、困っている領民がいれば馳せ参じる。知っていますか? 診療所の皆さんはあなたへの感謝ばかり口にするんですよ。あなたは決して一人ぼっちではありません」
「……っ……本当に私でいいのか? こんなにも醜い顔なのだぞ?」
「構いませんとも。あなたは人に負けない美しい心を持っています。それだけで十分ではありませんか」
「……ぅ……ありがとう」
心の底から出てきた感謝であった。彼女が自分を選んでくれた喜びで、涙が止まらなかった。
「おでこも怪我をしているようですね」
「これくらいの怪我なら放っておけば治るさ」
「私があなたのために治療したいのです。駄目ですか?」
「そんな風に頼まれたら断れないじゃないか」
額に手を近づけると、回復魔法を発動させる。活性化した細胞が傷口を修復し、怪我など最初からなかったかのように元通りにする。
「あれ?」
そしてもう一つ異変が起きた。醜い形をしていた彼の顔が、本来あるべき位置に戻るかのように変貌し始めたのだ。
「この症状はまさか呪いでしょうか」
以前治療した老婆は骨折したわけでもないのに腕が曲がっていた。彼の鼻や眼も魔物の呪いによって形が歪められていただけだとしたら。
呪いを祓い、公爵の顔は本来の形へと変化する。白磁のような肌に映える凛々しい瞳、色素の薄い唇と筋の通った鼻は芸術品のように美しい。
その顔は見覚えのある容貌だ。王国の宝とまで称された王子の容貌にそっくりなのだ。王子と兄弟なのだから、それも当然だと納得する。
「アルト様、鏡に映った顔を見てください。この顔が本当のあなただったんです」
「この顔が私……ははは、随分と男前じゃないか」
姿鏡に映る自分の顔に感動し、肩を震わせる。醜さで迫害されてきた人生は幕を閉じたのだ。
「この顔なら自信を持って、伝えられる。クラリス、君を愛している。私と結婚してくれ」
「もちろん。喜んでお受けいたします」
二人の美男美女は喜びを噛み締めるように抱きしめあう。婚約破棄された聖女は、価値を認めてくれる公爵と共に幸せな人生を過ごすのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
要望が多かったので長編版も執筆開始しました
短編版とは大きくシナリオを変更し、そちらはざまぁ展開もあるので楽しんでみてください!
(作者のマイページからでも飛べます)
【連載版】悪女だと宮廷を追放された聖女様 ~実は本物の悪女が妹だと気づいてももう遅い。価値を認めてくれる公爵と幸せなスローライフを過ごします~
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