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 大学生としての新生活が始まった。しかし倶利伽羅でのそれは、おれが思い描いたものとは全く違ったスタイルで進んでいった。

 玲香の授業を受けることはできるが、彼女と会うことはできない。瀬戸熊はそういった。その理由はすぐに判明した。倶利伽羅では、教室で受ける授業が基本的に存在しなかった。

 新入生は全員、学期前にパソコン、タブレット、スマートフォンが無料で支給される。専用のフォーマットにログインした後は、各自がオンラインで授業を進めていくことになる。すり鉢状に広がる講堂に、大勢の学生が集まる。そんな光景は、とうの昔に無くなったそうだ。

 授業といっても、録画された動画を見るだけの一方向なものではなかった。倶利伽羅の英知を結集して創られたAIによって、授業は進行する。各教授はBotとして登録されており、分からない所があればリアルタイムで質問に返答してくれる。回答率は驚きの九十九パーセント。おれたちのような新入生がする質問など、たかが知れているというわけだ。莫大な量のデータの蓄積により、生身の人間がする授業となんら遜色のない――いや、それよりも精度の高い授業が、展開されていた。

 AIによる授業の導入は、コストパフォーマンスを倶利伽羅が重視した結果だった。倶利伽羅に所属している教授達は、だれもがその分野のトップランナーだ。彼らの時間を一般の学生への授業に使うというのは、限りある貴重な資源をドブに捨てるようなもの――少なくとも倶利伽羅の上層部はそう考えたらしい。可能な限り効率的に、貴重な資源を無駄にすることなく、質の高い授業を担保する。そのための、AIの導入だった。対面での授業が受けられるのは、学生の中でもトップクラスに優秀な者に限られた。倶利伽羅に入りたてのおれにとって、玲香は遠い存在だった。

 人数オーバーで授業が受けられない、ということはない。遅刻も、もちろん代返という慣習もない。一年だろうが四年だろうが、大学院生であろうが卒業生だろうが、倶利伽羅に所属、または所属していた人には、常に最高の知識を得る機会が存在した。

 それは喜ばしいことと同時に、大変なことでもあった。何のごまかしもきかない、超実力主義の世界がそこにはあった。やる気のある学生は、時間割などという概念を無視して、あらゆる授業を受けまくっていた。朝でも、夜中でも、食事中でも、休日でも。瀬戸熊や玲香が飛び級で進学した理由が分かった気がした。二人はやると決めたらとことんまで追求できる、集中力と持続力を持っていた。アニメを四画面で視聴したり、図書館の本を全て読みつくしたりするような奴らだ。倶利伽羅でも、その才能は遺憾なく発揮されただろう。

 おれがさらに困ったのは授業のレベルだった。おれは経済学部に所属しているのだが、高校の授業とは全く別物の、専門的な分野をいきなり学ぶことになった。用語一つとっても分からないことだらけで、なかなか授業を進めることができなかった。各分野の基礎知識が、準備段階で必要となった。

 そんな時、出番が来るのは専門書だ。倶利伽羅の学生は図書館で生活するといわれるほど、本とは密接な関係にあった。世界でもトップクラスの蔵書数を誇る倶利伽羅には、八十もの図書館が存在する。蔵書数は二千五百万冊を超えていた。

 おれの倶利伽羅での生活サイクルはこうだ。授業を受けたくても基礎知識が不足しているので、まずはAIによって推薦された、関連書籍を読み漁る。そして授業を受ける。授業を受けたあとはレポートの提出が義務づけられているので、それを書いて教授のBotに送信する。すぐに添削され、不合格ならやり直し、合格なら次に進む。次のステップはディスカッション――同じ授業を同時期に受けた学生同士が、身につけた知識で議論をするのだ。人前で話すことの苦手なおれは、とくにかくこのディスカッションが嫌だった。恥をかかないためには、とにかく真面目に知識を吸収し、自分の言葉で話せるようにするしかなかった。

 根が不真面目なおれにとって、つらい毎日だった。だがサボることなど、許されなかった。倶利伽羅には、そうできないようなシステムが組み込まれていた。半期ごとの成績によって、強制的に退学となる可能性があるのだ。理事長がいっていた『ふるい』とはこのことだった。単位数に加え、AからFまでの成績がそれぞれの授業で付けられる。量に加えて質までも要求される――ダブルパンチだ。

 常に貪欲に、ハードに動け。それが倶利伽羅の大原則だった。


 その日、おれと村田は典獄寮のすぐ近くにある松沢図書館に向かった。倶利伽羅の図書館には、人名が付いていることが多い。それはその名前の卒業生の寄付金によって、図書館が建てられたことを意味する。寄付金だけで毎年四兆円とも呼ばれる金が倶利伽羅に集まる。常に最新で最高の環境を倶利伽羅が維持している、大きな要因の一つだった。

 オンラインでの授業なので、場所はどこでも良いし、一人で受けても何の問題もないのだが、おれはよく村田とつるんだ。単純に一人だとつまらない、そんな理由だった。倶利伽羅にもようやく遅い春がやってきたようで、珍しく朗らかな陽気だった。定位置となりつつある二階の奥の窓際の席に、おれたちは座った。天気はよいのだが、おれの気持ちはあまり晴れやかではなかった。講師が親戚の変わり者だからだ。猿川忠人のグロースハック講座――倶利伽羅で取らない人はいないと言われるほど、人気の授業らしい。

「楽しみだよ。噂のあの人の授業が受けられるなんて」

「別に本人じゃない。ただのBotさ」

「猿川は会った事があるんだろ。実際はどんな人なんだ?」

「確かに抜群に優秀だと思う。だけど自由で、身勝手で、非常識な人だ」

「……そんなにヤバイ人なの?」

 授業が始まった。画面の向こうにいる伯父さんは、アバターとは思えないほど滑らかな動きと発声だった。本人と会話をしたことがあるおれでも、違和感は覚えなかった。

『この講義では、グロースハックの基礎を学んでもらう。この分野の研究は歴史が浅いものの、今では主流な研究分野、マジョリティリサーチだといえる。学んでおいて損はない。では早速始めよう』

『君たちは子供のころ、こんなことを考えたことはないだろうか。この世で最高の特殊能力とは何だろうか、と。わたしは他人より優れている。それも、圧倒的に。ほとんどすべての分野で最高とよぶにふさわしいが、できないこともある。空を飛ぶこと。一瞬で移動すること。身体を伸ばすこと。姿を消すこと。時を止めること。目からレーザーを照射すること。空想の中のスーパーヒーローやヴィランはできても、わたしにはできない。おかしいと思ったものだよ。なぜできないんだと。凡人の君たちならともかく、わたしならば、できても何ら不思議ではないからな』

「お前の伯父さん、面白いな」

 村田は横で笑っていた。たぶん冗談好きなおじさんだと思っているのだろう。伯父さんはそんな人じゃない。マジでそう考えているんだろう。

『もし神様などという偶像の産物が目の前に現れ、君に何か一つ能力を授けると言ったら、何を選ぶだろうか。よく考えてみてほしい――。ちなみに、天才のわたしならこう答える。未来を予知する力をくれと。長年の空想により、未来予知こそが最高だという結論は、わたしの中で揺るがないものになった。未来を見ることができれば、あらゆるチャンスをものにできる。そして同時に、あらゆるリスクを回避できる。絶対の成功が約束され、君は完璧な存在になる。欠点があるとすれば、あまりにも高く積み重なる成功によって、人生に飽きてしまうことくらいだろうか』

 伯父さんは淡々と話を続けた。おれはこの講義がどう進むのか、興味を持ち始めていた。

『残念ながら、現時点で神の存在は確認できていない。君たちや、そしてこのわたしでさえ、力を授かることはない。しかし、諦めることを知らないのが、人間という生き物だ。発達しすぎた脳は、考えうるすべてを実現しなければ気がすまない、そんな傲慢さを併せ持っている。未来が予知できないとすれば、どうするのか。そう考えた愚かな人類が発明したのが――予測だ』

『確実ではないとしても、その確率を限りなく百に近づける。それが予測だ。明日の天気。今夜の試合の勝敗。思いを寄せている彼女の返事。売れ筋商品の仕入れ。株の上がり下がり。勝ちそうな馬。コインの裏表――。根本的なことを言えば、わたし達の日々の暮らしは、全て予測の上に成り立っている。どうすればより良い人生を歩めるのか、知らず知らずのうちに、わたし達は常に考えてしまっている』

『当然、君たちも例外ではない。ログインデータによると……猿川君と村田君。君たちはなぜそこにいるのだろうか。なぜ倶利伽羅に入って、わたしの授業を受けているのか。答えてくれるかな?』

 おれと村田は顔を合わせた。何となく答えるのが恥ずかしかったので、村田に言わせることにした。

「ええっと……おれは単純に、お金持ちになりたいからです。倶利伽羅の卒業生は、世界でも有数の企業や組織に就職していますから」

『村田君。君は哀しいほどに愚かだな』

 Botでも、伯父さんの口の悪さは変わらなかった。村田はおれを見て、なんだこいつはと口パクで伝えてきた。

『まあいい。それはつまり、倶利伽羅に入ることが自らの人生に利すると予測されたから、ということだろう。ではその予測は、いったいどこから来たものだろうか?』

 その質問には、おれも村田も答えられなかった。

『天気の予測は、これまでに蓄積した天候のデータからくるものだ。今夜の試合の勝敗は、チームの調子と、対戦成績から予測される。思いを寄せている彼女の返事は……まあなかなかに難しい。なぜなら、蓄積したデータが少ないし、信用できないからだ。では、君達が倶利伽羅を選んだのは?残念ながら、これもデータ不足と言える。愚かにも君たちは、信用するにはあまりにも貧弱なデータをもとに、今そこに座っている。倶利伽羅が有名だから。卒業生たちがみな成功しているから。世間的にもステータスだとされているから。親や先生が勧めたから。わたしからすれば、そんなものはデータではない。何の価値もない、ゴミくずのような先入観だ』

 おれも村田も、何も喋らなくなっていた。ただ伯父さんの言葉の一つ一つを、聞き逃さないように集中していた。

『完全なる予知に限りなく近づくには、莫大なデータの蓄積が必要不可欠だ。そしてそれは、不可能に思えた。ある発明がなされるまでは。その発明は全てを変えた。人類の歴史上、これほど確実で大量のデータが蓄積されたことはない。わたしはあの時、確実に歴史の転換点にいた。そしてそれを利用することを思いついた。そしてそれは、爆発的な成功をもたらした。それは今も倶利伽羅に恩恵を与え続けている――。愚かな君たちも分かるだろう。そう、インターネットだ』

『わたしが倶利伽羅で要職に就いた時、課されたミッションは至極単純なものだった。とにかく倶利伽羅に利益をもたらす事。その一点のみだった。法を犯さなければ、手段は選ばなくてもよい。必要があれば、法すらも捻じ曲げる。そう言われていた。わたしは彼らに言った。そんなことをしなくても、十二分に材料は揃っていると。愚かな民衆に普及しだしたパソコンやスマートフォン。無限に増殖するように広がるネットワーク。わたしが用意するのは、確実に、しかも爆発的に儲かる仕組みだけでよかった。人々が無自覚に垂れ流す貴重なデータを、わたしはひたすらに貯め込んでいった。そして人々が起こすアクションとの関連性を調べた。個人には性格という特性がある。細かくパターン化すれば、予測をすることは容易だった。チョコレートを買った人には、飴をすすめる。シャツを買った人には、ジャケットをすすめる。スマートフォンを買った人には、ケースをすすめる。そんな単純なアルゴリズムでも、十分に儲かった。最初は待ち構えるだけだったが、わたしはそれで満足しなかった。人々を、誘導できないかと考えた。わたしは積極的に罠をはることにした。関連サイト、関連商品、関連動画。人々は無意識に、同じような匂いを辿る。それは我々が動物だった原初の際のなごり――本能的なものだ。わたしは本能に訴えかける仕組みを作った。神のつくりし設計図に、いたずらを施したのだ』

『グロースハックとは、ユーザーから得た製品やサービスについてのデータを分析し、マーケティングに活かすことだ。もっと簡単に言えば、人間心理をビジネスに転用するということだ。わたしはこの言葉が存在するはるか前から、それを延々と繰り返していた。だからこうしてわたしは今、偉そうに君たちの前でふんぞり返っているわけだ』

『今の時代、インターネットと切り離して生活をすることは不可能に近い。人々は常に、その影響下にいる。わたしの授業では、どうすれば人々を誘導できるのか、その具体的な手法を伝える。誘導先は、商品という単純な物だけではない。趣味や嗜好、そして脳の中――人々の根本的な考えまでコントロールするのが目的だ。そして同時に、その呪縛から逃れる方法も伝える。君たちは恐らく、一度考え方を改める必要がある。例えば好きなもの――本や漫画、音楽、映画、アイドル、俳優、ブランド、食べ物。それらは本当に、自分で選んだものだろうか。他人やメディアやSNSに誘導されていないだろうか。疑問を持つこと。それがグロースハックから逃れる第一歩だ』

『これからの世界で成功したいのなら――。人々を誘導すればいい。気づかれないようにこっそりと近づき、情報を与え、自分の利する方向へ導く。人々の心の弱さにつけこみ、操る。無数の人間を誘導できれば、それは予知と何ら変わらない。絶大な効果を発揮するだろう。そして自分自身は、絶対に誘導されてはならない。常に疑問を持つ必要がある。自分の行動は、果たして自分自身の意志によるものなのか、誰かに惑わされていないか、そもそも自分とは何者なのか。何かを決定するには、莫大なデータと絶対的な自我が必要だ――。次の授業までに、以下の関連資料を読んでおくように。間違いなく君たちの将来に役立つ、おすすめできる資料だと保証しよう。ではまた、次の授業で――』

 動画が終わった。おれは自分の来ている服を見た。確かこれは、大学生におすすめのファッションという動画で紹介されていたシャツだ。別に好きなブランドでもないのに、なぜおれは買ったのだろう。思い出そうとしても、すでにそんな記憶は消去されていた。その代わり――ネット上のおれの個人データには、しっかりと履歴が残っているだろう。

 おれと瀬戸熊は何も言わず、すぐに関連資料を読み始めた。


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