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会場は果てしなく広かった。なにせ三千人近い人間が集合するのだ。おれは目立たないよう、後ろの方のテーブルに座ろうとしたが、どこも満席だった。しかたなく前方に進むと、空いている席を見つけることができた。恐る恐る座ると、同卓の新入生が笑顔で迎えてくれた。みな緊張と興奮が混じった、良い表情をしていた。おれも自然と、身が引き締まる思いがした。
少し経つと会場が暗くなり、前方の巨大なスクリーンに有名な俳優が映し出された。新入生に向けた、ビデオメッセージだった。次もその次も、出てくるのは誰もが知っている有名人ばかりだった。歌手、スポーツ選手、タレント、政治家、経営者。各界で活躍する倶利伽羅出身者は、快挙にいとまがなかった。
最初は新鮮味と感動があったメッセージも、同じような内容と尺の長さで、若干の飽きが生じていた。だが最後に現れた人物によって、その空気は一変した。それは録画されたものではなく、ライブ映像だった。
「もう始まっているのか?」
画面の向こうの恰幅の良い初老の男性がいった。スタッフと思われる声で、お願いしますという声が聞こえた。
「諸君。まずは入学おめでとう。わたしはこの大学の理事長を務める、宇田川壮一だ」
宇田川――。確かこの倶利伽羅大学を今の姿に変貌させた張本人だ。表舞台に出てこない世界でも有数の資産家という話だが、理事長を務めていたのか。
「みなさん知ってのとおり、この倶利伽羅はもともと、大学になる前は刑務所だった。辺境のこの地に幽閉されたのは、数ある罪の中でも重罪を犯した人々だ。この鳳雛会館も、昔は囚徒第一宿泊所と呼ばれていた。時の流れとは興味深い。大罪人が閉じ込められていた場所に、今は君達が座っている。……鳳雛。素晴らしい言葉だ。我々は鳳雛を歓迎する。倶利伽羅の目指す完璧な世界には、不可欠な存在だ」
宇田川理事長の声は独特だった。低く良く通るその声は、頭の奥に響く心地よいものだった。貫禄のある風貌と相まって、威圧感が滲み出ていた。
「ただ……それはあくまで鳳雛と呼ぶにふさわしい人物ならば、だ。はっきりとここで申し上げておこう。わたしにとって囚人と君達は、取るに足らない存在だという点で、何も変わらない」
一瞬の間があって、会場がざわついた。
「勘違いをされても困るので、親切で先に伝えておくのだ。倶利伽羅は、凡人の君達に何の期待もしていない。鳳凰の雛は、簡単には見つからないのだ。この先の学生生活で挫折をしたとしても、君達は落ち込む必要はない。それは、当たり前のことなのだから」
ざわつきはどんどん大きくなっていった。おかまいなしに、理事長は淡々と話を続けた。
「倶利伽羅の学生はみな優秀で素晴らしいと世間で言われているが、それは事実と異なる。入ったばかりの君達は、まだ何の実績も残していない、どこにでもいる平凡な人間だ。なぜ倶利伽羅が、毎年これだけ莫大な人数の学生を迎えるのか、その意味を考えてみるといい。それは、歯車が必要だからだ。天才は限られた数人で事足りる。そして倶利伽羅は、既にそれを保有している。わたしが君達に願うのは、優秀な歯車として、天才の犠牲になることだ。それくらいは、凡人にも可能だろう。そのための支援を、倶利伽羅は惜しまない。最高の設備と知識を、君達に提供しよう。初等部だろうが外部生だろうが留学生だろうが、そこに差別はない。自由に、無限に、存分に利用してくれ」
会場のざわつきはいつのまにか収まり、静まり返っていた。理事長は最後に忠告を付け加えた。
「忘れるところだった。これは毎回言っていることなのだが……。毎年少数の学生が、分別をわきまえずに倶利伽羅に泥を塗るような行為を犯す。歯車にもなれないような愚か者は、半期ごとにふるいにかけられるのだが、いかんせんその前に事を起こす輩がいるのだ。忠告しておく。倶利伽羅は、すべてを見ている。粗末な頭脳で惨めな人生を送るくらいなら、いっそ神様に返却をしたらどうだろうか。それが愚か者にできる、人類への唯一の奉仕だ」
会場を外と変わらぬ氷点下に冷やした理事長は、颯爽と画面から消え、スクリーンは漆黒に包まれた。
会場に灯りが戻った。司会の学生が何か言っているが、おれの耳には届かなかった。理事長のスピーチは、最初から最後までおれたち新入生をこき下ろすものだった。倶利伽羅流のジョークだとでもいうのだろうか。いや、とてもそうは思えない。宇田川は、なにも偽ることなく本音を話した。なぜかおれはそう確信した。
ざわつきが収まらない中、新入生歓迎のパーティーが始まった。一人ぼっちのおれは肩身が狭かった。周りを見てみると、既にグループらしきものを組んでいる人たちがいた。同じ高校の出身なのか、昔からの知り合いなのかは分からない。何にせよその中に一人で入っていくのは――。コミュニケーション能力が高いとは言えないおれには、高いハードルだった。
おれは三千人の中から瀬戸熊と玲香を探そうとも思ったが、早々に諦めた。あまりにも人が多すぎるし、そもそもいるかどうかも分からないからだ。
イタリアンやフレンチの豪華な食事も、一人ではただむなしいだけだった。周りが盛りあがっている中、黙々と食事をする勇気もなく、おれはあてもなくテーブルの間を彷徨っていた。ありがたいことに何人かが声をかけてくれた。最初のうちは何とか話が繋がるのだが、次第にテンポがずれていき、最後には耐えられないほどの不協和音になってしまった。列車で出会ったメガネスーツの男のように、面倒な人というわけではなかった。むしろみな気が回って、コミュ力の高い良い人達なのだが――どうにもおれとはそりが合わなかった。生まれ育った環境が違いすぎるし、そもそもの能力にも大きな差を感じた。彼らはみな一様に、洗練されていた。振る舞いが一つ一つスマートで、高い壁を感じた。悪いのは、明らかにおれだった。どんどんと気持ちが沈んでいくのが、自分でも分かった。
あまりにも場違いだった。受付に戻って帰ろうとした時、おれはまた声をかけられた。おれと同じようにラフな格好をした、気の良さそうな青年だった。
「どうも。はじめまして」
「……どうも」
「村田隆一です。よろしく」
倶利伽羅に来て、はじめて似た匂いを感じた。フランクな話し方が、なんだか嬉しかった。
「猿川和馬です。こちらこそ……よろしく」
「君は、外部生だよね?」
「……そうだけど」
外部生とは、大学から倶利伽羅に入学した人たちの通称だ。倶利伽羅には、小学校から高校までの一貫校が存在し、それぞれ初等部、中等部、高等部と呼ばれている。
「ダメだよ、後ろの席にいなきゃ。ここら辺は初等部や中等部のやつのエリアだから、話なんか合わないよ」
「……そうなの?でも、何でおれが外部生だと」
「分かるよそりゃ。言っちゃ悪いけど、目立ってるから」
確かに、とおれは納得せざるを得なかった。周りの洗練された新入生とおれとでは、服装から髪型まで、全身まるっと全てが違っていた。村田はそんなおれをサルベージしてくれた、救助人だった。
急いでおれたちは後方のテーブルに移動した。村田はおれと良く似た境遇で、田舎から一人倶利伽羅に進学した新入生だった。おれは大した成績も実績もないことを正直に話したが、村田はそれを全く問題にしなかった。
「珍しいけど、卑屈になる必要はないでしょ。おれは物理のコンクールの賞も取ったし、生徒会長として活動もしたけど、それは倶利伽羅に入るために仕方なくやったことさ。ようするに、せこい点数稼ぎだよ。猿川みたいに、堂々となにもせず受かる方が、よほどかっこいい」
話をしていて分かったのは、村田がめちゃくちゃいい奴ということだった。面白いし、馬鹿な話しもできるし、何より賢い。どんな環境でも上手く適応できる、器用な奴だと思った。
「そういえば、さっき話してたことなんだけど」
「どうした?」
「村田は、初等部や中等部について詳しいのか?」
「どうだろう。特別詳しいわけではないし、たぶん偏った知識だと思うけど」
「頼む。少しでいいから教えてくれよ」
おれはあまりにも、倶利伽羅について知らなさすぎた。そういう意味では、このタイミングで村田と知り合えたことは、幸運だった。
「初等部出身の奴らに言えることは、漏れなく全員、裕福な家の生まれってことかな。何せ庶民には絶対に不可能な学費を、小学校から払い続けているんだからな」
「そうなのか?でも、倶利伽羅の学費は援助があるだろ?」
「確かに大学の学費は、親の所得に応じて援助が出るよ。おれの家なんか実質無料だ。でもそりゃ、大学の期間に限定される話だよ。高等部までは、そりゃもうすごい額の学費が要求されるみたいだぜ」
「みんな良いとこの子供達だったのか。どおりで話が合わないわけだ」
「おれたち庶民とは、スタート地点から違うのさ。まあだからといって、悪い奴らではないけどな。育ちが良いってことは、卑屈さや惨めさとは無縁ってことだから」
その意見にはおれも賛成だった。明らかに浮いているおれに、多くの人が声をかけてくれたのは、単純に優しさからくる気遣いだろう。
「中等部や高等部は、裕福の度合いが比例して薄くなっていく感じかな。まあそれでも、世間一般でいう上流階級の人達しかいないだろうけど。まあそもそも、数がそんなに多くはないし、気にするほどのことでもないとは思うぜ。周りを見ろよ」
後方のテーブルには、多くの外部生がいた。それはおれがイメージしていた、大学一年生の姿そのものだった。自分がいても浮かない場所だった。
「高等部まであわせても、内部合格者は全体の二割ってとこだからな。おれたち外部生は、最大勢力なわけだ。気楽なもんよ」
「なるほどね。少し安心したよ」
「そういえば、猿川はどこに住むんだ?やっぱり寮だよな?」
倶利伽羅はその立地の影響もあり、ほとんどの学生が寮生活を選択する。もちろんおれもその一人だった。
「そうだよ。変な名前の寮で……」
「まじかよ。典獄寮だろ、それ」
「そうそう。あの世じゃないのに、てんごくって読むんだよな」
村田はにやっと笑っておれの肩を叩いた。
「奇遇だな。おれも同じ寮だよ」
パーティーが終わり、おれたちは寮に向かった。これからの生活のベースとなる場所に、期待が高まっていた。自動運転のバスに揺られる間、村田が一から寮について教えてくれた。倶利伽羅には、四つの寮が存在した。そしてそれぞれに、明確な序列も存在した。
最高位に輝くのは、主に初等部出身者が住む『白川宿舎』だ。内装の画像を見る限り、それはもはや寮というより高級ホテルだった。スポーツジム、温泉施設、ルームサービス、二十四時間在中するコンシェルジュ。文字通り、住む世界が違いすぎて、おれは寮費を見ることもしなかった。
『アーク国際学生寮区』は、留学生や中高等部出身者が多く住む寮だ。こちらは住宅エリア全体の総称だ。モダンな造りの一軒家がいくつも存在し、学生は好きな物件を選んで住むことができる。贅沢に一人で住んでもよし、共同生活を楽しんでもよし。自由度の高さにおれは憧れたが、寮費もそれに比例して高額だった。四人でシェアしたとしても、おれには到底無理だった。
『住吉寮』はもっとも多くの学生が住む寮だ。個室か相部屋を選べ、必要十分な設備があり、希望すれば朝昼晩の三食が付いている。普通の学生にとっては、申し分のない環境だ。寮生が自由に参加できるイベントも多数あり、付き合い下手な人でも、友人を作るのは難しくないだろう。おれの第一希望もこの寮だった。親父もお袋も、食事付きという点に魅力を感じていた。すんなりと決めようかと思ったが、最終的におれは住吉を選ばなかった。遥かに寮費の安いところを、見つけてしまったからだ。
おれは両親に負担をかけたくなかった。学生の本分は勉強で、屋根があって横になれるのなら、どんな部屋でも良いと考えた。というわけで、おれは寮費を最優先にして、『典獄寮』に決めたのだった。
典獄という聞きなれない熟語は、監獄の長や事務を司る人々を指す言葉らしい。つまり典獄寮とは、その昔倶利伽羅が刑務所だった時、看守が暮らしていた建物のことだった。鳳雛会館と同じように、百年以上の歴史を持つ由緒正しい建物なのだが――。どうやら手入れを忘れたようで、その外観は今にも崩れそうな廃墟同然といったありさまだった。どうりで画像がホームページに載っていないわけだ。
おれと村田、そして同じように騙された新入生――合わせて二十人ほどは、恐る恐る典獄寮のゲートをくぐった。
「典獄寮には、あれが出るっていう噂もあるらしいぞ」
村田がぽつりとつぶやいた。場を和ませるための冗談だとは思うが、この場では全くの逆効果だった。不安が全員に伝染して、一気に空気が凍り付いた。雑草が生い茂る中庭を抜けて、入口と思われる扉にたどり着いたが、全く人気を感じなかった。得体のしれない鳥の鳴き声が聞こえる中、おれは大声をあげながら扉を叩いた。
「すいません。誰かいますか?」
何の反応もなかった。身体はすでに限界が近づいていた。つま先から回った寒気は、不安も相まって身体中に回っていた。このままここでおろおろしていても、凍えて倒れるだけだった。後悔が頭をよぎり、寮の選択をやり直したくなった。何人かの女子は、今にも泣き出しそうだった。おれも同じ気持ちだったが、もう後には引けなかった。意を決したおれは、ガタついて少し斜めになった扉をゆっくりと引いた。
扉から溢れ出たのは、暖かな空気だった。身体が温もりを感じた後、遠くからぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。それは次第に大きくなり、おれたち新入生を包み込んだ。
「ようこそ典獄寮へ」
寮生の輪の中心に、見慣れた顔があった。受付でおれに赤い羽根を渡してくれた、あの先輩だった。
ささやかなドッキリで迎え入れられたおれたちは、寮の先輩たちが用意してくれた歓迎会に参加した。比べるのもどうかと思うが、大学主催のものとは違って、とてもアットホームな会だった。個人的には、こちらのほうが断然楽しかった。喋る相手も沢山いるし、料理も自分の舌にちょうど合っていた。名前も言えない高級料理よりも、唐揚げや焼きそばが嬉しい年ごろだった。
「外観を見た時は、本気で帰ろうと思いましたよ」
「典獄寮の洗礼みたいなものだよ。面白かっただろ?」
先輩の名前は蜂須賀博といった。初対面の印象通り、とても面倒見の良い人だった。理学部に所属しており、三年生ながら典獄寮の寮長も務めていた。みんなからは蜂さんと呼ばれていた。周りからのいじられ具合から察するに、かなり人望があるようだ。
「それにしてもすごい建物ですね。幽霊が出るっていう噂が、冗談に聞こえませんでしたよ」
「それについては否定できないね。寮生の中には、最近変な人影を見たっていうやつがいるし」
「……本当ですか?」
「まあ気にすることないよ。倶利伽羅に入ったんだ。そんな非科学的なものは信じないようにしないとね」
霊感的なものを信じてはいないが――。夜に一人で行動するのはやめておこうと、おれは思った。
「そうだ。そんなことよりも、もっと気を付けないといけないことがあるんだ」
「何ですか?」
隣で唐揚げを頬張っていた村田が聞いた。
「見ての通り、この典獄寮は老朽化が進んでいてね。幽霊よりも怖いスポットが沢山あるんだ。底が抜けている廊下があったり、入ると出られなくなる部屋があったりね。寮の見取り図にしるしをつけておいたので、近づかないようにしてくれ」
配られた紙には、いくつものバツ印が付けられていた。避けて通るとなると、寮内の移動に結構な気を使わなければいけないことになる。
「何にせよ、慣れてしまえばここは文字通り天国だ。新入生が少しでもはやく馴染めるように、ぼくたち先輩ができるだけサポートするよ」
歓迎会は盛り上がり続け、時計の針は新しい日を迎え入れようとしていた。おれたちは最後に、今後を占う重要なミーティングをすることになった。寮の部屋割だ。典獄寮は部屋数に余裕があった。基本的に四人の相部屋なのだが、一年であっても半数は二人部屋が割り当てられることになっていた。話し合いの結果、まずは二人部屋か四人部屋か、くじ引きで決めることになった。手作り感満載の箱に、新入生が次々と手を入れた。悲喜こもごもの声の中、おれの順番が来た。
クジには大きく二と書かれていた。どうやら当たりを引いたようだ。
「村田はどうだった?」
「二人部屋だよ」
「おれもだ。どうせなら、一緒の部屋にするか?」
「そうだな。でも、もし四人部屋を引いて落ち込んでるやつがいれば、代わってやろうかな」
「どうして?」
「おれはどっちでもいいからさ」
「ふーん。お前って気がきくんだな」
もしかしたら、おれはとんでもないラッキーボーイなのかもしれない。そう思うくらい、村田はいい奴だった。
だれか代わってほしいやつはいるか――村田がそう声を上げようとした時、入口のドアが大きな音を立てて開いた。寮にいた全員の視線が、入口に集中した。入って来たのは、黒いロングコートを着た、スタイルの良い高身長の男だった。
「おお、瀬戸熊か」
蜂須賀先輩の口から聞こえたのは、意外な人物の名前だった。