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 出発の朝。親父もお袋も、神妙な顔をしていた。合格の驚きは喜びに変わり、最後には一抹の寂しさとなったようだ。自分では気づかなかったが、どうやら両親はおれのことをかなり可愛がっていたようだ。そういうおれも、親元を離れるのは不安だった。十八年も同じ場所に住んでいたのだ。何の特徴もない田舎だが、それなりの愛着はある。失わないと気づけないことがあると、おれはこの時はじめて知った。

「身体に気をつけてな」

「お酒は飲んじゃだめよ」

「ちゃんと勉強に集中しろよ」

「忠人さんとは、仲良くしなさいよ」

「夏休みには帰ってこいよ」

「変な女に騙されるんじゃないよ」

 残念ながら両親との約束は、何一つとして守れなかった――。


 倶利伽羅大学は、北の辺境の地にあった。お世辞にも、アクセスは良いとはいえない。おれは一時間ほどバスと電車を乗り継ぎ、まずは名古屋に向かった。倶利伽羅へ直行する列車があるからだ。

 少し遅い昼飯をきしめん屋で済ませ、おれは群衆をかきわけながら指定されたホームを目指した。階段を上がって目に飛び込んできたのは、見たことのない車両だった。近未来を思わせる流線型のフォルムに、ガンメタリックの派手な塗装。新幹線のスマートさと比べると、やけに主張の強いデザインだった。撮り鉄と思われるマニアが何枚も写真を撮っている中、出発を告げるベルがけたたましくなった。おれは慌てて列車へ飛び乗った。

 車内は外観と違い、高級ホテルを思わせるような豪華な造りになっていた。大の大人が横になって寝られるほどスペースに余裕があり、一つ一つの座席にはテレビが備えられていた。おれはすぐに間違いに気づいた。そこはAランクと呼ばれる最高クラスの車両で、おれが予約したのは最も一般的なCランクだった。周囲の視線をかわしながら、おれはそそくさとCランクの車両を目指した。

 十分に豪勢な造りのBランクを抜け、おれはCランクの車両にたどり着いた。Cはごく庶民的というか、必要十分な造りになっていた。新幹線の内装をそのまま持ってきたようだった。何にせよ、快適には違いなかった。三人掛けでだれもいない席を発見したおれは、窓側の椅子に腰をおろした。

 周りには、おれと同じような学生が多く乗っていた。みな一様に、不安と期待が入り混じったような複雑な表情をしていた。余裕がありそうな顔をしているのは、先輩達だろう。

「隣、いいですか?」

 そういっておれに声をかけてきたのは、育ちの良さそうな青年だった。高そうなスーツは、親に買ってもらったのだろうか。メガネもおれの安物とは違い、ブランドのロゴが入っていた。断る理由もないおれは、どうぞと返事をした。

「新入生ですか?」

「ええ、そうです」

「ぼくもなんです。どうぞよろしく」

 ペラペラと良く喋る男だった。最初はおれも熱心に相槌を打っていたが、次第に聞いていられなくなった。ようするに、彼は自慢がしたいのだった。自分がいかに優秀で、倶利伽羅にふさわしいのかを延々と話し続けた。

「――まあそういうわけで、他にも選択肢はいくつもあったんですが、結局は倶利伽羅を選びました。ここ三十年で見れば、最も実績のある大学ですからね」

 聞きたくもない話をどうもありがとう、と言いたかったが、おれは最後まで愛想笑いを貫いた。どんなに優秀でもこいつとは絶対に友達になれないと分かっていたが、入学前から変なトラブルになるのも嫌だった。

「ところで、君はどうして倶利伽羅を選んだのですか?」

「おれですか。……まああなたと同じです。素晴らしい大学ですから」

 適当な答えを言ったのは、少しでも早く話を終わらせたいからだった。だが空気の読めないメガネスーツは、面倒な質問をふってきた。

「そうですよね。やはり倶利伽羅は素晴らしい。あなたはさぞかし優秀な方なんでしょうね」

 ぼくには勝てないけどな、と目の奥が語っていた。面倒なやつだった。どうやら入学前に、とんでもない貧乏くじを引いてしまったようだ。

「いえいえ。おれは大したことありません。凡人ですよ」

「ご謙遜を。普通の人間は倶利伽羅に入れませんよ。何か素晴らしい経歴があるのでしょう?」

「本当にないんですよ」

「国際的な賞などは?」

「ありません」

「では、部活動や生徒会などでご活躍を?」

「帰宅部でしたね」

「……ではボランティアや、すでに起業を――」

「していません。残念ですが」

 途中までは勝ち誇った顔をしていたメガネスーツも、次第に表情が変化していった。なんでこんな奴が倶利伽羅に、という心の声が聞こえてきた。それはおれも聞きたいのだ。代わりにお前が大学に問い合わせてくれ。

 そういえば友達が待っているんだったと呟きながら、メガネスーツは去っていった。お勉強ができる代わりに、嘘は絶望的に下手だった。

 おれは携帯を取り出した。おれにも、友達が待っているはずだった。最高にいかしている二人の友達が。画面に表示されている履歴には、おれのメッセージと未読表示だけが続いていた。別れてから二年以上、音信不通が続いていた。倶利伽羅のハードルの高さに絶望した時も、まさかの合格を果たした時も、倶利伽羅へと出発した今朝も、おれは二人にメッセージを送った。しかし、返信は返ってこなかった。二人に何があったのかは分からない。携帯が壊れたのか、何らかの理由でおれとの連絡が禁じられているのか、はたまた急におれのことが嫌いになったのか、それとも――。おれは一刻も早く確かめたかった。二人に何があったのかを。もう倶利伽羅にはいないのかもしれないが……。

 ほとんど揺れることのない列車は、すさまじいスピードで倶利伽羅への距離を縮めていた。静寂を取り戻したおれは、窓の外に目をやった。のどかな風景がひたすら広がり、建物がほとんど見当たらなくなっていた。その代わりに、もう四月は目前にも関わらず、雪が目立っていた。地形の関係で、倶利伽羅は北海道と変わらない極寒の地だった。それにしても――。見渡す限りの大自然は、最先端の研究施設である倶利伽羅のイメージとはかけ離れていた。倶利伽羅には、大学と学生街以外は何もないらしい。閉ざされた環境にある、極めて特殊な場所だった。だがこれではあまりにも、とおれは思った。

「すごい……」

 その時、後ろの座席から感嘆の声がもれた。車内の学生が全員、右側の窓を見ていた。そこに見えたのは、険しい山の中に鎮座する倶利伽羅大学だった。調和とは程遠い景観だった。山を無理矢理くりぬいて、そこに最新型のビルを何棟も突き刺した――そんなイメージをもった。科学と大自然がぶつかり合っているような、混在しているような、不思議な光景だった。

 車内にアナウンスが響いた。

『まもなく、倶利伽羅です』

 おれは一つ大きく息を吐いた。今までとは全く違う新しい生活が、これから始まるのだ――。


 列車から降りると、そこには想像を遥かに超える人々がいた。おれの隣はたまたま空いていただけで、車内には千人ほどの学生が乗っていた。倶利伽羅の学生数は大学院も合わせると三万人を超えるので、不思議な数ではなかった。その中には、外国人も多く含まれていた。全体の二十五パーセントは留学生なので、それも納得だった。

 外は想像通りの寒さだった。四月でも平均気温は五度。最低気温は氷点下だ。身体をしっかりと包み込んでくれるダウンジャケットが頼もしかった。

 ブランド物のこのジャケットは、伯父さんからのプレゼントだった。散々無理だとおれをあおっていたが、合格を知った時の伯父さんの反応は素直だった。このジャケットに加え、お小遣いまで親に内緒でくれた。おかげさまで、当分金に困ることはなさそうだ。

 大きな人の流れができていた。みな目的地は一緒だった。倶利伽羅駅から大学へは、直行するバスが出ていた。千人の学生が、次々にバスへと飲み込まれていった。

 ほとんど待つことなく、おれの番がきた。バス自体は特別変わったところはないと思って見ていたが、中に入ってみると異変に気付いた。運転席は空席だった。倶利伽羅では、自動運転技術が実用化されていた。

 席が一杯になると、バスはひとりでに発進した。小心者のおれは、ほんとうに大丈夫なのかと不安に思った。田んぼや畑に囲まれた田舎から、辺境にある最新の設備が整った街へ。浦島太郎が実在したのなら、こんな気分だったのだろう。

 五分ほど走り、要塞のような巨大な門をくぐると、アナウンスが響いた。まず停車したのは、正門前のバス停だった。四分の一ほどの学生がここで降りた。おれの目的地は、新入生歓迎のパーティーが開かれる、鳳雛会館前だった。

 倶利伽羅大学の敷地面積は日本でも最大級で、キャンパス内の移動に車を使うことは珍しいことではなかった。気候も相まって、毎年遭難者が出るという話だ。スケールまでもが段違いだった。

 二つほどバス停を通過した後、鳳雛会館前に到着した。おれと一緒にぞろぞろと降りたのは、同じ新入生だろう。鳳雛会館は、倶利伽羅大学が設立された当初からある建物の一つだった。レンガ建築の重厚な外観は、歴史を感じさせるには十分な威圧感を備えていた。列車から見た最新のビルも、長い年月を経て健在のこの建物も、どちらも倶利伽羅大学の持つ多様性を象徴しているような気がした。

 建物の入口にはセキュリティゲートが設置されていた。おれはカバンの中に、入学前に貰ったカードキーがあるかを確認してから、ゲートをくぐった。倶利伽羅ではあらゆる建物に同様のゲートがあり、それで学生の行動を把握しているそうだ。だれが、いつ、どの建物に入り、そして出たのか。全ての記録がチェックされていた。

 エントランスには多くの新入生が集まっていた。おれはまず入口近くの受付に向かった。

「この度は、おめでとうございます」

 受付の男性が深々と頭を下げた。落ちついた雰囲気から察するに、有志の先輩だろう。

「ありがとうございます」

「お名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「ええっと。猿川和馬です」

「猿川様……。外部生の方ですね。確認できました。向かって右手の廊下を進んだところに、会場の入り口がございます」

「分かりました」

「上着をお預かりいたします」

「……お願いします」

 周りを見渡して、おれはしまったと思った。服装の指定はなかったとはいえ、多くの人がジャケットを羽織っていた。おれはスウェットにジーパンというラフすぎる格好だった。

「こんな格好で、大丈夫ですかね?」

「問題ありません。倶利伽羅は、そんな些末なことを気にするような場所ではありませんから」

「そうですか」

「もし気になるのなら、お貸しすることもできますが」

「いえ、大丈夫です」

「堂々としているのが一番です。万が一そんなことを気にするような学生がいたら、距離を取ることをお勧めします」

 そういって、先輩は笑顔を浮かべた。短時間だが、おれはこの先輩に好感を持った。緊張感がほぐれ、おれは妙に安心した気持ちになった。

「分かりました。ありがとうございます」

「つかぬことを伺いますが。猿川さんの親戚の方で、倶利伽羅の卒業生という方はいらっしゃいますか?」

 倶利伽羅でこの質問を何度もされることは、想定済みだった。

「ええ。伯父が卒業生です」

「やはりそうでしたか。あなたがあの――」

 何か言いかけて、先輩は言葉を濁した。おれは表情が曇ったのを見逃さなかった。

「すみません。無駄口はこの辺にしておきましょう。ところで猿川さんは、この建物の名前にある、鳳雛の意味をご存じですか?」

「いえ……知りません」

「聞きなれない言葉ですからね。鳳雛とは、読んで字のごとく伝説上の霊鳥である鳳凰の雛のことです。つまり、将来希少で優秀な人材になることが期待される、子供のことです」

「なるほど……」

 先輩は優しい笑みとともに、赤い羽根のブローチをおれに渡した。

「ようこそ、倶利伽羅大学へ」


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