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夏休みは、あっという間に過ぎた。予想していたことではあったが、瀬戸熊と玲香は休みが明けても、学校に通わなかった。よほどやんごとない事情があるらしい。でもおれは、それでいいと思っていた。二人に高校レベルの教育を施すのは、適切ではない気がした。
おれはダラダラと汗をかきながら、必死でペダルを漕いで学校に向かった。友人に久しぶりに会うのはそれなりに楽しみだったが、実際に会ってみると、おれは物足りなさを感じた。自分を含め、なぜか学校にいる生徒がみな子供に見えた。
それまでおれは、学校に何か特別な感情を持っていたわけではなかった。当たり前のように、飽きもせず、毎日毎日登校していた。それが当然だと、どこかで思っていた。だが二人に会ってしまったせいで、おれの中で何かが狂った。友人との会話はつまらないし、授業は相変わらず退屈だった。
理由は明確だった。瀬戸熊や玲香と一緒にいるほうが、単純に刺激的で楽しいからだ。
昼休みの時間になり、夏休みの話題でクラスは盛り上がった。みんな楽しそうに、それぞれ体験した楽しい思い出をしゃべっていた。北海道に行った、沖縄に行った。彼女ができた、花火を一緒に見に行った。純情を捧げた――。
そんな中、おれは一人黙っていた。自分の経験を話すことが、何かひけらかすようで気が引けたのだ。
世界大会への招待状に気づいたのは、夏休みが終わる一週間前だった。ゲームの運営会社から届いたメールには、英文が長々と載っていた。分かるわけもないおれは、とりあえず翻訳ソフトに全文をぶちこんだ。一分後、おれは椅子から転げ落ちていた。
おれが教えたオンラインゲームで、瀬戸熊は世界ランキング八位に君臨していた。瀬戸熊本人は乗り気ではなかったが、おれはどうしても行きたかった。ラスベガスに行けるチャンスなど、これから先そう多くはなかった。しかも航空チケットとホテルまで付いてくるのだ。行かないという選択肢はあり得なかった。両親、そして伯父さんを必死に説得して、行くことが決まったのは翌日のことだった。ただしそれには条件が付いていた。伯父さんも旅に同行するという条件だ。
はじめてのラスベガスは、あまりにも眩しかった。映画で見たことのある、ウェルカムと書かれたサイン。何の脈絡もなく鎮座しているピラミッドにスフィンクス。ホテルベラージオの噴水。眠らない街は半端ではなかった。
それ以上に凄かったのは、大会の会場の熱気だった。あまりにも巨大な会場には、五万人の観衆が詰めかけていた。田舎に住んでいたら一生見ることのない人の量だった。野球やサッカーの中継などで見るのとは、まるで違った。あれはあくまでも画面越しで、フィルターがかかっている。実際に会場の中にいると、自分がとてもちっぽけで、小さな存在だということがよくわかった。
人がゴミのようだという名言をおれは思い出した。残念ながらおれは主役ではなく、ラピュタから空中に放り出された兵士だった。おれと伯父さんと玲香は、関係者席から静かに、王になるかもしれない瀬戸熊の雄姿を見守った。
瀬戸熊は順調に駒を進めた。惜しくもベスト8で敗退したが、参加者で唯一の高校生にもかかわらず快進撃を見せた瀬戸熊に、観客は熱狂していた。五万人にクマ!クマ!とコールされ、五十万ドルの賞金を手にした瀬戸熊は、少し恥ずかしそうだった。ここにいる人達だけではなく、画面の向こうには何百、何千万人という視聴者もいる。瀬戸熊はその華麗なプレイで、とんでもない人数に衝撃を与えた。
薄々感じてはいたが、瀬戸熊は神に選ばれた人間なのだと、おれはこの時にはっきりと理解した。普通に就職したとして、おれが五十万ドルを稼ぐのに、一体何年かかるのだろうか。
おれには瀬戸熊のような才能があるのかと、不安になった。もし無いとしたら、この先の長い人生を、どう生きればよいのだろうか。そもそも、ほとんどの人間は才能を持っていない。恐らくおれも、持っていないだろう。しかし今日おれは、持っている人だけが享受できる、とんでもない刺激的な体験を間近で見てしまった。高校生のおれは、簡単に諦めることができなかった。おれもいつか、瀬戸熊と同じ場所に立てるのだろうか――。
表彰式が終わり、おれたちはホテルの部屋に戻った。一泊して、朝一の飛行機で日本に戻ることになっていた。観客の熱気が移ったのか、その夜はなかなか寝付けなかった。三度目を覚ましたおれは、バルコニーに出て涼むことにした。二十四階から見るラスベガスの夜景は、眠らない街にふさわしい豪勢なものだった。瀬戸熊がいなければ、こんな遠くに来ることはなかっただろう。そして――惨めな思いをすることもなかっただろう。おれは少しだけ、ラスベガスに来たことを後悔した。
扉が開く音がした。振り返ると、玲香がそこにいた。ホテルのルームウェアを身にまとった姿は、まるでモデルのようだった。光沢のある高級な白い生地が、彫刻のような綺麗な顔に良く似合っていた。同じものを着ているというのに、この違いは何だろうか。
「眠れないのか?」
「ちょっとね」
玲香がおれの隣に立った。美しい髪が、ラスベガスの風で揺れた。
「すごかったね、瀬戸熊」
「うん。……というか、凄すぎだよ」
「あんまり、うれしそうじゃないね」
玲香は鋭かった。友達の活躍を素直に喜べない自分と、それを見透かされたことが恥ずかしかった。でもそれは、紛れもない事実だった。
「何ていうか……。こうも見せつけられると、心にくるものがあるよ」
「悔しいの?それとも、羨ましい?」
「どうだろう。どちらも正しいし、違う気もする」
「複雑な心境なのね」
「そう、だね。自分のことが、自分でもよく分からないんだ。ふわふわと心が浮かんで、居心地が悪い……そんな感じ」
自分の頭の悪さが嫌になった。上手く言語化ができなかった。言葉にできないということは、整理ができていないということだ。
玲香は持っていたミネラルウォーターをおれに渡した。
「わたしで良ければ、話を聞こうか?」
大人びたその表情は、とても同い年とは思えなかった。玲香の言葉を聞いただけで、少しだけ心が軽くなった気がした。上手く話せるか分からないが、おれは心に詰まった気持ちを正直に話すことにした。
「今まで、おれは自分の人生に疑問を持ったことはなかったんだけど……。関心がなかったと言えるかもしれない。地元の高校に入ったのも、なんとなくなんだ。そのあとは適当に都会の大学に進学するつもりだった。そうして遊ぶだけ遊んだら地元に戻ればいいと、そんな風に考えてた。何にせよ、結局は親父の跡をつぐんだろうと思っていた」
玲香は静かに相槌を打った。おれは話を続けた。
「言って見れば、自分の周りのごく狭い世界の中だけで生きてきたんだと思う。でも玲香に会って、本を読むようになって、少しずつ新しい考え方や知識が増えてきて。ありきたりなんだけど……分かり切った未来に向かうレールの上を進んでいて、いいのだろうかって思うようになった。そんな時に、この旅行に行くことになって、それで瀬戸熊のあんな姿を見せられて……。ごめん、やっぱり上手く話せないや」
本が与える影響は凄まじかった。自分の意見や意志が固まっていない、高校生のおれには尚更だった。新しい本に触れるたび、自分の考えがコロコロと変わった。あれも良さそう、これは絶対にやりたくない、そんな世界もあるのか――。まるで磁気のせいで狂ってしまったコンパスのようだった。どれが正しい方角なのか、おれにはもう分からなかった。
玲香は肯定も否定もしなかった。ただ静かに、じっとおれの話を聞いていた。何も喋らなくても絵になる女性だなと、おれはそんなことを考えていた。夜風にあたり物憂げな表情を浮かべる彼女は、まるで映画のワンシーンのようだった。
そういえば――異常と呼べるほど本に憑りつかれている玲香は、何を目指しているのだろうかと、ふと疑問に思った。おれにとってみれば、玲香は才能を持っている人だった。
聞いてみると、玲香は少し恥ずかしそうに、倶利伽羅大学で研究職につくことだと答えた。
「だって、忠人さんがいるから」
おれはその時まで、伯父さんが研究者であることを知らなかった。そして玲香が伯父さんに特別な感情を抱いていたことも、知らなかった。それが恋愛感情を含んでいるという意味かどうかは分からないが、おれは少しだけ伯父さんに嫉妬した。
伯父さんの出身校ということは知っていたが、おれは倶利伽羅についてそれ以上の情報を持っていなかった。後で調べて知ったのだが、倶利伽羅大学は百年以上前に設立された私立大学だった。初めのうちは、今のように目立った存在ではなかった。状況が変わったのは四十年前。経営が厳しく破綻寸前になっていた倶利伽羅を、ある男が買い取ってからだ。男の名前は宇田川壮一。表舞台に顔を出すことはなく、日本有数の資産家であることくらいしか、情報が載っていない大物だ。
宇田川は圧倒的な資金力をバックに、各国の優秀な研究者を倶利伽羅に集めた。大学は生まれ変わり、今では世界でも有数の研究設備とスタッフを有している――。ちなみに倶利伽羅と検索サイトで調べると、難関という関連ワードがトップに出てくる。名前を書けば入れるようなレベルの大学から、日本でも有数の大学に、倶利伽羅は出世したのだ。
選ばれし者がさらに研鑽を重ねて、ようやく入れるかどうかのラインに立てる。そんな大学だった。おれの学力を考えると、縁はないように思えたが――たった一言で、全てが変わることになった。
「羨ましいよ。やりたいことが明確にある人が」
「和馬は瀬戸熊みたいに、みんなの注目を浴びたいの?」
「それは……違うかな」
今日のあの光景を見て、確かに圧倒された。だが、自分がそうなりたいのかといえば話は別だった。人前に出ることは、昔から苦手だ。それはこれから先も変わらないだろう。
「自分に何もないから。すぐに何かに影響されて。フラフラするんだと思う。でも本当にやりたいことなんて、おれにはないんだ」
「そう……。簡単に、見つかるものでもないしね」
答えはどこにもない。それだけは分かっていた。何しろ自分にどれだけの選択肢があるのかすら、分かっていないのだ。できないこと、叶えられないことは沢山あるだろう。しかし今の時点では、可能性という点では無限大だった。それが問題を難しくしていた。捨てきれない選択肢の中に、自分の進むべき道があるかもしれない。そう考えてしまうと、身動きがとれなくなっていた。
「じゃあとりあえず、倶利伽羅に入ってみたら?」
コンビニに寄るくらいの気軽さで、玲香がいった。その選択肢を、おれは最初から除外していた。
「そりゃ……。入ることができれば、その先の道は広がるけど……」
玲香が突然、おれの方を向いた。付き合いは浅いが、それが大事な話をするサインであることを、おれは知っていた。彼女はおれの目をまっすぐ見る癖があった。
「いつになるのかまだ分からないけれど、わたし達は倶利伽羅に行くわ」
「……え?」
突然すぎる宣告に、おれは口をぽかんと開けた。完全に予想外の話だった。
「忠人さんが、交渉してくれているの」
交渉?いったい何の交渉なのか。というか、あまりに突拍子もない話ではないか。そりゃいつまでも田舎に引きこもっているわけはないと思っていたが――。
「なんで倶利伽羅なんだ?伯父さんの職場だから?」
「うん。それが一番の理由。やっぱり向こうで暮らす方が、わたしと瀬戸熊にはいいだろうって」
愕然とした。まだ二か月も経っていなかったが、おれの中で二人の存在は、替えが効かないものになっていた。もっと一緒にいたい。話をしたい。やりたいことは山ほどあった。
「もし和馬が倶利伽羅に来てくれれば、また一緒にいられるわ」
甘い香りと共に、玲香の言葉が響いた。それはおれの脳を貫いて、後ろのベラージオにまで届くほど、クリティカルな一撃だった。おれの進路は、その瞬間に決定した。先ほどまでのじれったい悩みは何だったのか。哀しいほど、おれは単純な生き物だった。
「分かった。絶対に、倶利伽羅に入るよ」
おれはまだ知らなかった。自分がどれほど無謀な山へ挑戦しようとしているかに。
部屋に戻ると、暗がりの中からかすかに声が聞こえた。近づいてみると、瀬戸熊と伯父さんがそこにいた。テーブルの上には、空になった瓶がいくつも並んでいた。
「いつから……いたんですか」
伯父さんの顔は少しだけ赤らんでいた。
「二時間前くらいからか。こっちには、気づきもしなかったな」
「……見てたんですか?」
「邪魔しちゃ悪いと思ってな。なあ瀬戸熊」
驚いたことに、横にいる瀬戸熊も伯父さんと同じウィスキーを飲んでいた。しかもストレートで。
「お前、何してんだよ」
「何って。眠れないから飲んでいる」
そんな堂々と答えられても。かなり出来上がっているように見えるが……。
「まだ未成年だろうが」
机に突っ伏した瀬戸熊を伯父さんが擁護した。
「いいんだよ、瀬戸熊は。十五歳から飲める国もあるし、固いこと言うなよ」
少なくとも日本では二十歳からだ。確かアメリカは二十一歳からだったような。
「和馬はダメだぞ。猿川家は代々下戸の一族だからな。おれは例外だが」
何でもそうだった。伯父さんはいつでも、例外の男だった。なぜ猿川家に生まれ落ちたのか、今でもみな不思議がっている。もしかしたら、実の子供ではないのかもという噂が立つほどだ。
「和馬はまあ間違いなく、NNだろうな。瀬戸熊はDDだから、問題ない」
「……何の話ですか?」
「ALDH2の話だ」
「だから……すみません。分かりやすく教えてください」
伯父さんの話は、過程が飛ぶという癖がある。自分と同じレベルの人間が相手だと、勘違いしているのだ。凡人の目線に立てないのは、天才の特徴なのかもしれない。
「ALDH2っていうのは、まあ簡単に言えば遺伝子にコードされているタンパク質のことだ。アルコールの分解能力は、この遺伝子によって決定される。DD、DN、NNの三種類が存在して、DNはDDに対して十六分の一の分解能力しかない。NNに至っては、ゼロだ」
「なんだか、血液型みたいですね」
「考え方は同じだ。両親からそれぞれの特性を引き継ぐことによって、決定される。世界的に見て、DNやNNはかなり少ない。ほぼ東アジアにしかいないからな。和馬はある意味、希少な存在なんだよ」
嬉しくなかった。希少だろうが、劣性の遺伝子ということに変わりはない。
「瀬戸熊は、本当に大丈夫なんですか?何だか様子がおかしいですけど」
「こいつは間違いなく遺伝的には優性だが……。飲みすぎというより単純に疲れが溜まっているんだろうな。集中力を強引にブーストしたつけだ。おい熊。お前はもう寝たほうがいい」
瀬戸熊はあいまいな返事をして、ベッドに戻っていった。
「介抱したほうが良いような……」
「大丈夫だよ。あいつはちょっとやそっとじゃ、壊れない」
瀬戸熊を物のように扱うその言葉に、おれは違和感を覚えた。その太鼓判はどこから来るのだろう。未成年に酒を飲ましておいて、無責任な人だと思った。どうしても心配になったおれは、瀬戸熊のあとを追った。ベッドルームに入ると、瀬戸熊はすでに寝息を立てていた。しばらく様子を見たが、問題はなさそうだった。
リビングに戻ると、伯父さんは五本目の瓶を開けている所だった。このウィスキーがどれほどの強さかは分からないが、一般的な量を逸脱しているのは間違いないだろう。
「まだ飲むんですか」
「まるで足りないよ」
「相変わらずですね。自由で、身勝手で、非常識だ」
「弟みたいなことを言うんだな」
親父の気持ちが少しだけ分かった。この人が兄だとしたら、頭が痛いだろう。
「玲香から、話は聞いたよな」
「何のことですか?」
「さっき言っていたと思うが」
「……倶利伽羅に引っ越すことですか」
「そうだ」
「この距離で……聞こえてたんですか?」
「まさか。さすがのおれでもそれは無理だ」
「じゃあどうして?」
「読んだのさ。ここを」
伯父さんは、おれの唇を指さした。冗談だろうと思ったが、伯父さんならあり得ない話ではない。普通の物差しで、計ってはいけない人なのだ。
「一時的とはいえ、世話になったな。礼を言うよ」
「思ってもないくせに。表面的な弁明はいりませんよ」
「良く分かってるじゃないか。ますます弟に似てきたな」
伯父さんは笑いながら、ウィスキーを流し込んだ。
「あの……いつごろ倶利伽羅に行くんですか」
「まだ決まっていない。早ければ来月かもしれないし……向こうが悪あがきをすれば、一年後になるかもしれない」
おれはため息をついた。裏事情は知りたくもないが、少しでも延びればいいと心から願った。
「そうですか」
「……何だ、寂しいのか」
「そりゃあ……まあそうです。おれに初めて出来た、友達ですから」
「そうなのか?和馬は社交的なやつだと思っていたが」
おれは伯父さんの隣に座った。
「周りからはそう見えるかもしれないですけど、本当のおれは違うんです。学校では上手く立ち回っていますが……友達と呼べる人はいません。でも別にそれでいいと思ってました。一人は気楽だし、何となくおれは周りを――」
「見下していたのか」
「……ええ。恥ずかしいんですが、その通りです。おれはどこかで、自分が特別だと思ってました。勉強もできるし、スポーツもそれなりでしたから。適当にやっていてこのレベルなら、本気を出せば――。そんな風に考えていました」
「いいじゃないか。おれは今でも、自分が特別だと思って生きているぞ」
そりゃあそうだろう。おじさんは自分の才能が勘違いではなく真実だったという、特例中の特例なのだから。
「そんなどうしようもない勘違いをしてました。でも、おれはやっと気づけたんです。自分は平凡だと。だから瀬戸熊と玲香に会えて……良かったです」
「なるほど。二人は和馬に、自分の立場をわきまえろと教えてくれたわけだ」
「嫌な言い方をすれば、そういうことになりますね」
おれは気になっていたことを聞くことにした。伯父さんと会うチャンスは限られている。
「本当のところ、伯父さんと二人は、どういう関係なんですか?」
「気になるか」
「そりゃあ、まあ」
「戸籍上は、赤の他人だ」
「……そうですか。じゃあ他に何か、特別な関係があるんですね」
「まあ、そういうことになるな」
「教えて、くれないんですね」
伯父さんはニヤッと笑った。いつも見せる笑顔だった。四十を超えたおっさんに対して、適切な表現ではないが――その笑顔には、人を惹きつける不思議な魅力があった。
「和馬はたぶん、猿川のやつらの中で、一番おれを理解しているな」
「伯父さんはいつもそうでしょう。肝心なことは何一つ教えてくれない。真面目な話は徹底的に避ける。いつも口でやり込めて、最後には煙に巻く」
「別に避けてるわけじゃない。言っても理解できないだろうし、言う必要性がないからだ」
それはつまり、おれのことを子供だと思っているということだ。そう言われてしまっては、返す言葉がなかった。
微妙な沈黙が続いたあと、伯父さんが話を切り出した。
「倶利伽羅に入りたいのか?」
「……それも、読み取ったんですか」
「職業病なんだ。目指すのは自由だが、難しいぞ。一般人には」
「その言い方は、とげがありますね」
「おれは事実を言っているだけだ。今の成績はどうなんだ?」
「学校ではトップクラスですけど……全国の偏差値だと中の上くらいです」
「和馬。お前はおれにとってかわいい甥っ子だ。だからはっきりと言う。やめておけ。徒労に終わるだけだ」
誰が相手でも、常に自分が正しいと思ったことを、忖度せずに言う。伯父さんの特徴の一つだ。しょうもない嘘や慰めを受けるよりはずっとましだが――悔しかった。
「無謀かもしれません。でも、最初から諦めるつもりはないです」
「なぜだ?猿川家は代々、向上心やハングリーさとは無縁だと思っていたが」
「伯父さんにはたぶん、理解できません」
恥ずかしくて言えなかった。自分には手の届かない場所かもしれないが、おれはそこに行ってみたかった。同じ景色を見たかった。伯父さんや、瀬戸熊や玲香の見ている景色を。
「倶利伽羅に憧れを抱いているのかもしれないが、そんなにいいところでもないぞ。自信過剰で、見栄っ張りで、ひねくれた変わり者の巣窟だ」
「……その意見は、世間一般でいうところの偏見というやつだと思いますが」
「違う。おれはあくまで事実を言っている」
伯父さんのコピーみたいな学生がうじゃうじゃいるとしたら、さすがに行きたくないな。
「フフッ……」
「どうしたんですか?」
「いや。和馬に話をしていたら、昔のことを思い出してな。おれが入った時、ひどいやつがいたんだよ。そいつは統一テストで全国一位を取った男だった。何かにつけておれを敵対視していたな。倶利伽羅の負の部分を体現するような、憐れな男だった」
「伯父さんが何かしたんじゃないんですか?」
「それは否定しないが、やつの異常性も相当なものだったぞ。過去の栄光にしがみつき、どんどん落ちぶれていった。今は誰にも相手にされず、離れ小島に追いやられたはずだ。名前は思い出せないが……。まあ倶利伽羅は、良くも悪くも厳密な実力主義だ。もし入ったとしても、常に結果が求められる厳しい環境だぞ」
「…………」
「どうした。怖気づいたか?」
「いえ。そんなことはないです」
「そうか。まあ頑張ってくれ。努力は否定しない。肯定もしないがな」
「割とすんなり、説得を諦めるんですね」
「無謀は若者の特権だからな。和馬がそうと決めたなら、もう何も言わない」
「……せいぜいあがいてみます」
おうっといって、おじさんは新しい瓶をまた開けた。
「おれはもう寝ます。伯父さんもお酒はそれでやめにして、早く寝てください」
「問題ない。睡眠は三時間で足りる」
「そんな人間、いませんよ」
「知らないのか?ナポレオンもエジソンもダ・ヴィンチも、世界の偉人はみなそうなんだぞ」
まるで自分もその偉人達と同格だと言わんばかりだった。まあ伯父さんの言うことだから、本当に三時間で十分なのだろうな。そういえば、瀬戸熊も玲香も睡眠時間がかなり少ない。長い人生で見ると、それはとんでもないアドバンテージになる――神様は不公平だ。
凡人のおれは大人しくベッドにもぐりこんで、あまりに刺激的な夜に終わりを告げた。