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 アーク国際学生寮区に来るのは初めてだった。海外の住宅街のように、寮地に入るにはガードマンが常駐しているゲートを通過しなければならなかった。高い家賃に見合うだけのセキュリティ体制ではあったが、エクレシアの協力があれば侵入することは容易だった。なにせ、いくらでも正規のパスを発行できるのだから。瀬戸熊の言う通り、倶利伽羅においてエクレシアは、法そのものだった。

 国際学生寮の名にふさわしく、寮地には世界各国の伝統的な住居が建ち並んでいた。街並みや景観といった観点から見れば、決してよろしいとは言えないが、様々な異文化が融合しているという点でみれば、興味深い場所だとおれは思った。

 間宮の家は、他の建物と比べると少し地味な、平屋の一軒家だった。チャイムを鳴らすと、少し怯えたような表情で彼女が出迎えた。

 ルームメイト二人に見守られながら、聞き取りは始まった。支援センターにボランティアで参加している学生だと名乗ったおれたちを、彼女達は少しも疑いはしなかった。

「繰り返しになってしまい申し訳ありませんが、一からお話を聞かせていただきます。松井誠司の付きまとい行為は、いつから始まったんですか?」

「彼とは、去年のクリスマスパーティーで知り合いました……。連絡先を聞かれて、断れなくて。同じ工学部ということもあって、最初は勉強の相談をしてもらったりしていたんですが、徐々に彼の行動が、エスカレートしていったんです」

「……過剰な数のメールや電話ですか」

「そうです。あと、私達がよく行く食堂で、待ち伏せをされたことも何度かありました。それと……」

 間宮の表情が曇った。おれはゆっくりと、丁寧な口調で声をかけた。

「話しづらいのであれば、無理をしなくてもいいんですよ」

「いえ……大丈夫です。松井は、私宛に荷物を送りつけてきたんです。それがその、とても――」

 間宮は途中でこらえきれなくなってしまい、肩を震わせて涙を流した。

 聞き取りは一時中断した。ルームメイトの一人が、その荷物をおれたちに見せてくれた。おれの想像を遥かに超えた悪意の塊が、そこには詰まっていた――。

 間宮だけでなく、おれにも時間が必要になった。これまでの人生で、一番醜いものを直視してしまった。外に出たおれは、きれいな空気を一杯に吸い込んだあと、水をゆっくりと少しずつ飲んだ。時間の経過によって落ち着きを取り戻したが、あの悪意の残像はしばらく消えることはないなと思った。夢に出てきたとしたら、最悪だ――。

 おれとは対照的に、瀬戸熊はいつもと何ら変わらない表情で、たばこを燻らせていた。考えてみると、こいつが感情的になった場面を、おれはほとんど見たことがなかった。ラスベガスの大会でベスト8に入った時でさえ、少し照れた表情を見せるだけだった。あるとすれば、高二のはじめにおれと別れた時くらいだろうか――。精神的なタフさにおいても、おれと瀬戸熊には明確な差が存在した。

「とんでもない仕事だな……」

「どういう意味だ?」

「いやさ。警察や探偵は、こんなことを永遠に繰り返すんだろう?まともな人間は耐えられないなと思ってさ」

「そうかな」瀬戸熊は真っ青な空に煙を吐いた。

「人間は環境に適応する生き物だ。彼らからしたら、こんな毎日が日常に感じるんだろうよ」

「おれはごめんだね。慣れるとしても、絶対に向いていない」

「そうか?ぼくは和馬の対応に感心したけどな。横で聞いていて、嘘をついているとはとても思えなかった。おれが間宮さんの立場だとしても、恐らく騙されたと思う」

「それは……褒めているのか?」

「もちろん。嘘が上手いということも、一種の才能さ」

 部屋に戻って聞き取りを再開したものの、間宮の精神状態は不安定なままだった。おれは彼女を安心させるために、嘘を重ねた。

「松井誠司は、こちらで厳正に対処します。今後あなたに近づくことはないということを、お約束します。もしおれが奴にあったら、きついのを一発、お見舞いしておきます」

 現段階では真っ赤な嘘だが、エクレシアと交渉すればそれくらいは可能だろうとおれは踏んでいた。瀬戸熊という切り札も、こちらにはある。

「ありがとうございます……。でも実は、春休み以降は落ち着いているんです。待ち伏せもされていませんし、メールや電話も急にこなくなったので」

 それはそうだろう。その時期に、松井は失踪したのだから。

「実はこちらにも、そういった情報が寄せられているんです。どうやら松井は、倶利伽羅を離れたようでして……。間宮さんは、それについて何か心当たりはありますか?」

「……関係ないかもしれないんですが」

「いいですよ。何でも気になることがあれば、おっしゃってください」

「最後に会った時、彼が言ってました。もうすぐおれは、特別な男になると。君なんかが近づけないような存在になる、と……」


 おれたちは間宮春奈の家を後にして、松井誠司の住んでいた寮に向かった。

「勘違い野郎だという瀬戸熊の推理は、当たっていたようだな」

「そうだろう?もしかしたら、ぼくは探偵に向いているのかもしれない」

「瀬戸熊が望むのなら、なんだってなれるだろうよ。できればその類まれな頭脳は、人類の明るい未来のために使ってほしいところだけどね」

「それだけはごめんだな」

「……どうして?」

「そんなことを口にする人間にろくな奴はいないと、歴史が証明しているからさ。ぼくはこれからも、自分に準じて生きるよ」

 その妙にかしこまった言い回しに、おれは伯父さんと同じ匂いを感じた。


 松井誠司は住吉寮の小さな部屋に住んでいた。支援センターでカードキーをコピーしておいたおれたちは、何食わぬ顔で松井の部屋へ潜り込んだ。サイコなストーカーの部屋ということでおれは身構えていたが、意外にも整理整頓が行き届いた清潔な部屋だった。失踪してから三か月近く経っていることもあり、部屋の空気は澱んでいたが、特に不審な点は見当たらなかった。きれい好きの、極めて平凡な一人暮らしの男の部屋だった。目立つものといえば倶利伽羅から支給されたパソコンぐらいだったが、こちらはすでに、中身のチェックが済んでいるので、今は関係がなかった。

「和馬、面白いものを見つけたぞ」

 隣の部屋に行くと、瀬戸熊が一通の封筒を持っていた。高級そうなその封筒には、見覚えのある鳳凰の封印が押されていた。

「これで合点がいった。幽玄が松井を探している理由は、試験の最中に失踪したからだ」

「しかし……なぜ幽玄は松井のような社会不適合者に試験を?」

「松井が変態野郎という情報を、幽玄は持っていないんだよ。二年程前から、幽玄とエクレシアとの交流は途絶えているからね。試験を受けることを許可したのは、恐らく単純に成績が優秀だったからだろう。それに……もし松井の本性を知ったとしても、幽玄は問題なく採用しただろうな」

「そんな。どうしてだ?」

「蜂須賀先輩が言っていただろう?幽玄は極めて純粋な実力主義だと。あのクラブでは、結果を出すことが全てに優先されるんだ。裏を返せば、あとは何をやっても許されるということさ。松井が会員名簿に加わったとしても、ぼくは驚かないよ」

 どうやら幽玄は、おれの想像を遥かに超えたヤバい連中のようだ。松井の捜索に成功したとすれば、おれもその組織の一員になる。大いなる力には、大いなる責任が伴うというが――果たしておれに、背負いきれるものなのだろうか。

「松井の失踪に、幽玄が何か絡んでいると思うか?」

 瀬戸熊は首を捻りながら答えた。

「今の時点では、何とも言えない。他に試験を受けた奴とトラブルになったとか、いくらでも理由は考えつくが、それはあくまであてずっぽうな妄想だからな」

「幽玄の入会試験はどんな内容なんだ?おれたちの試験は、あくまで特例なんだろ?」

「ぼくもそれは知らない。……他に試験を受けた奴らのことも含め、真一さんに聞いてみるか」

 十分ほどして、真一から短い返信が瀬戸熊の携帯に届いた。

 ――幽玄の機密情報を流すわけにはいかない。

「冷たいね……。こういうところがあるんだよな、あの人は」

「これからどうする?」

「こうなったらしょうがない。もう一度、始めに戻るしかないな」


 おれたちは支援センターに戻って、松井の情報を洗いなおすことにした。今回はSNSだけでなく、より広範囲な調査だ。おれたちは、松井が世界中のサイトにアクセスした膨大な履歴を辿ることにした。途方もない作業だった。いくら他人の秘密を覗き見るのが刺激的だとしても――まるでドブさらいのようだった。

「まったく……どれほどの時間がかかるのやら」

 この中に求めている答えがあるのかすら、分からないのだ。おれは始まる前から気持ちが萎えていた。

「松井のインターネットの利用時間は、平均して四時間か」

「呆れるな。倶利伽羅に通いながら、そんなにも時間があるものか?」

「以前ニュースで見たが、日本人の平均利用時間は四時間弱らしい。松井はごく普通だといえるな」

「……瀬戸熊は、一度見たニュースの内容を、数字まで覚えているのか?」

「興味のあるものなら、忘れることはない。ちなみに世界の平均は七時間弱で、一番多いフィリピンは十時間だったかな?」

 根本的に脳のスペックが違っていた。おれの場合、昨日食べた夕飯を思い出すのでも、もっと時間がかかるだろう。

「松井がフィリピン人ではなく日本人だったことに感謝して……始めるか」

 おれは自分の気持ちを無理矢理奮い立たせ、キーボードを打ち始めた。


 エナジードリンクを摂取しながら、二時間ほど作業を続けた。おれがウトウトしていると、瀬戸熊が肩を叩いた。

「和馬、大丈夫か?」

「……おお。もしかしておれ、寝てた?」

「もしかしなくても寝てたよ」

「……すまん」

「どうだ?進捗状況は」

「松井がろくでもないってことがはっきりしただけ。さっきからエロサイトばかり見ているよ」

「ほんと、どうしようもない奴だな」

「まあそんなもんさ、大学生の男なんてのは」

「和馬もそうなのか?」

「……ノーコメントだ」

「それは自白と取らせてもらうが」

「おれのことはほっといてくれ……」

 画面をスクロールしていると、きれいなお姉さんたちの中に、冴えない風貌のおじさんが現れた。

「何だこれ……大学の教授名簿か。黒木貴史。瀬戸熊は知っているか?」

「いや、知らないな」

「なんでまた、教授名簿なんかにアクセスしたんだろう」

「さあな。黒木は理学部の准教授か。この年齢で准教授ってことは、あまり能力は高くないようだな」

「そうなのか?」

「教授は限られた人しかなれない。倶利伽羅の激しい競争に負けたんだろう」

「松井は確か工学部の学生だろ?どうしてうだつの上がらない理学部の准教授に……」

「おい和馬」

「どうした?」

「黒木の研究室は、第三総合研究棟にあるらしい」

 それは松井が失踪する前、最後に訪れた場所だった。点と点が繋がり線になった。あとは、その線を辿っていくだけだった。


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