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「和馬なら、分かってくれると思っていたよ」
「おだてる必要はない。瀬戸熊は、おれなら簡単に説得できると思っていたんだろ?」
「言い方が悪いな。和馬はぼくたちと同じ、選ばれた側の人間だと信じていただけさ」
「選ばれた側ね……。だから他人の生活を覗き見てもいいし、大麻を吸っても捕まらないと」
「なあ和馬。それ以上突っかかるのはやめてくれ。やると決めたんだろ?」
「……分かったよ」
「今は幽玄の試験をクリアすることだけを考えよう。倫理と道徳について議論を交わすのは、それからでもいいだろう」
おれと瀬戸熊は支援センターを訪れていた。鈴木はおれたちに専用の部屋を用意していた。
「申し訳ありませんが、システムの利用はこの部屋に限定させていただきます。映像、音声、その他のデータもすべて、外部に持ち出すことはできません。ご容赦ください」
机と椅子、それにパソコン以外は何もない、無機質な部屋だった。ただ間違いなく、部屋のどこかに監視カメラが設置されているだろう。
「分かりました。ありがとうございます」
「いえいえ。わたしなどに礼など不要でございます。それでは、ごゆっくり」
おれはまず松井誠司に関する個人情報を閲覧した。松井は地方出身の工学部に所属する二年生だった。実家は老舗の呉服屋で、経済状況は良好。地元の進学校に通い、大学から倶利伽羅に来た外部生だった。一年の前期、後期ともに優秀な成績を収めており、前途は有望だったといえる。学生生活が嫌になって失踪した可能性は低そうだ。
インターネットの閲覧履歴やSNSの利用状況によると、社交的で目立ちたがり屋な性格が透けて見えた。横にいる瀬戸熊が、倶利伽羅によくいるタイプだと呟いた。
「自分が特別だと勘違いしているんだ。世の中の物は、全て手に入れられるとね」
本当にそうだったのか分からないが、松井の交友関係は派手だった。わざわざ名古屋まで頻繁に出向き、クラブ通いをしていた形跡が残っていた。倶利伽羅の学生という立場を利用して、女を引っかけまくっていたようだ。
松井の存在が最後に確認されたのは、一月三十一日。春休みに入る前の日だった。カードキーの履歴によれば、第三総合研究棟を訪ねたことになっている。そこで何が起こったのかは分からないが――松井はそれ以降、忽然と姿を消していた。
瀬戸熊はこの情報を見て、首を傾げた。
「何だってあんな場所に。工学部の学生が行くようなところではないけどな」
「第三総合研究棟ってのは、どんな場所なんだ」
「倶利伽羅の離れ小島だよ」
「なんだそれ?」
「金にもならない、未来があるのかも分からない。そんな研究をしているような奴らが集められる場所さ。まあ、みんな最初は第三から始めるんだがな。おれもポジションが上がれば、そこに研究室を持つことになる」
「なるほどね。第三で履歴が途絶えたってことは、そこで何かがあったのか?」
「そうとも言えない。寄っただけで、そこから車で倶利伽羅を出たのかもしれない。松井の車も見つかっていないし、その可能性は高いぞ」
「そうか。車だと追跡はできないからな」
「誰かに襲われて、車のトランクに押し込まれて連れ出された。そういう可能性もあるな」
「……怖いこと言うなよ」
「あくまで可能性の話さ。松井の失踪に事件性があるのかないのか、まだ何も分からないだろう?」
「まあ、そうだが」
「ちなみに、松井の両親が異変に気付いたのが失踪から一週間後。すぐに捜索願が出されたが、これはエクレシアが裏で手を回して対応したようだ。色々と詮索されるのは面倒だからな。……それにしても、そのお鉢が和馬に回ってくるとは」
「本当だよ。でもパソコンやスマートフォンの情報が全て見られるのであれば、警察よりも先に見つけることができるかもしれない」
「贅沢な悩みだが……どこから手をつける?」
「まずは交友関係を調べたい。SNSから始めよう」
システムを使い始めると、おれは少しずつその虜になっていった。他人の生活を覗くことは、あまりにも下品だが刺激的な体験だった。人は誰しも、表に出せないような秘密を抱えている。それをクリック一つで簡単に見ることができるのだ。おれは自分が神になったような錯覚すら覚えた。
しばらくSNSの海に潜っていると、松井の異常性が浮かび上がってきた。松井の女好きは、ここでも存分に発揮されていた。気になった女性には、ダイレクトメールをばんばん飛ばしていた。
年が明けたあたりから、松井は一人の女性にターゲットを絞っていた。メールは毎日十通以上送り、電話も頻繁にかけていた。恋人同士でもないのに――明らかに異常な行動だった。相手の女性は間宮春奈といって、同じ工学部の二年生だった。
「メールの内容は……こりゃキツイ。全部確認していたら、頭がおかしくなっちまう。和馬、代わりに見てくれよ」
「遠慮しておくよ。しかし松井は何でまたこんなことを。別にモテないタイプってわけでもなさそうだが」
「さっきも言っただろ。お勉強はできても、健全な精神を持っているとは限らないのさ。こいつはただの阿呆で、勘違い野郎なのさ」
間宮春奈はあろうことか、学生支援センターへ松井のストーキング行為を相談していた。支援センターは、警察への連絡はこちらからしておくと間宮に告げ、その後は何の処置もしていなかった。想像どおり、名ばかりのお飾りにすぎない施設のようだ。
そのあとも松井に関しての情報を漁ってみたが、他にこれといったものは見つからなかった。そこでおれたちは、間宮春奈が失踪に関わっていないかを確認するため、彼女の情報も洗い出すことにした。ありがたいことに、確認作業は三十分ほどで終わった。彼女は表裏のない人間だった。違法行為もしていない。過激な思想も持っていない。データ上は、純朴で真面目な学生だった。
「どうする和馬?念のため、会って話を聞いてみるか?」
「そうしよう。他に有力なあてもないことだし」
「アポを取るよ。学生支援センターの関係者だと名乗れば、彼女も信じて話をしてくれるだろう。……その後に、松井の寮の部屋ものぞいておこうか。何か手掛かりがあるかもしれない」
「……さらっと法を犯すんだな」
「何を言っているんだ。ここでは、ぼくたちが法なんだよ」
瀬戸熊はにやりと笑った。おれが見たことのない、悪意に満ちた顔だった。
「……まあいいが。でも行く意味があるのか?これだけの情報が揃っているんだぜ」
「和馬、知らないのか?」
「え?」
「現場百遍。刑事の鉄則だろ?」
おれたちがやろうとしていることは、刑事の捜査ではなくただの空き巣行為だと思うのだが――。気乗りはしなかったが、おれは渋々瀬戸熊の提案に乗ることにした。