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 翌朝。おれは伯父さんに短いメールを打った。倶利伽羅での研究者という立場の他に、どんな仕事をしているのかと。だが予想していたとおり、返信はなかった。

 イラつきを覚えながら、おれはひとまず瀬戸熊と、白川宿舎近くのレイディアント図書館に向かった。百合沢に会って、松井誠司についての情報を聞き出すことにしたのだ。しかしおれは、なぜエクレシアが情報を持っているのか、そもそもの理由を知らなかった。

「エクレシアは、倶利伽羅において重要な役割を担っているんだ」

「役割?」

「金持ちの社交クラブってだけじゃないんだよ、あそこは。百聞は一見に如かず。すぐに分かるさ」

「……そうか。それはそうと瀬戸熊。いいのかお前は?おれとこんなことをしていて」

「うん?」

「こんな探偵みたいな真似事をする暇が、助教授のお前にあるのかって聞いているんだ」

「しょうがないだろ。エクレシアとのパイプ役は、ぼくにしかできないんだし」

「それもそうだが……」

「和馬がやると決めたのなら、応援するに決まってるさ」

 おれは若干の後ろめたさを感じていた。幽玄がおれに試験を受けさせたのは、明らかに瀬戸熊を利用するためだった。おれが首を縦にふれば、瀬戸熊も付き合うだろう。そういった魂胆が見え透いているのに、それに乗ってしまっている自分が嫌だった。

「それに、この前忠人さんに頼まれたからな」

「……伯父さんに?何を?」

「メールが届いたんだよ。和馬がもし困っていたら、助けてやってくれって」

 まさか伯父さんがそんなメールを打っていたとは。だったらおれの質問にも早く返信をよこせと、おれは思った。

「ありがたい話だが。ヤク中に言われても、嬉しさ半減だな」

「……悪かったよ。きっぱりとやめるから、勘弁してくれ」

 その言葉を信じたいが――そう簡単にはやめられないとおれは思っていた。ただそれでも、おれは友達として見守ってあげるのが正しいと信じていた。本来なら、自首を勧めるべきだった。おれは自分にも身内にも、甘い男だった。


 世界で最も美しい図書館に選ばれたこともあるレイディアント図書館は、倶利伽羅の建物の中でも異彩を放っていた。真っ白な箱を複雑に重ねたようなモダンな外観。コンクリートやガラスで構成された清潔で堅牢なデザイン。吹き抜け五階建ての建物は、確かに美しかった。

 おれは瀬戸熊のあとに付いて、最上階奥の部屋に向かった。部屋の扉には、関係者以外立ち入り禁止とあった。近づくと、警備員のホログラムが現れ、警告メッセージが流れた。

『ここから先は、立ち入り禁止区域となります。速やかに離れてください』

 瀬戸熊は近くにあったセンサーに自分の右手を添えた。ホログラムは消え、鍵の開く音がした。恐る恐る、おれは部屋の中へと入った。

 真っ白な部屋に男が一人、ぽつんと座っていた。鋭い目つきでこちらをにらんだ後、男はたずねた。

「どんなご用件で?」

「瀬戸熊です。百合沢さんと会う約束をしています」

 男は面倒くさそうにこちらへどうぞ、とおれたちを案内した。長い迷路のような廊下を抜け、エレベーターに乗った。かなりの時間降りたあとに、ドアが開いた。そこにはまた真っ白な空間が広がっていた。さっきの部屋と違うのは、内装がやけに豪華という点だ。大理石の床に、アンティークと思われる家具、誰のものか分からない絵画。金持ちの代表的な趣味を、部屋に詰め込んだようだった。

「あなたから連絡が来るとはね」

 百合沢は部屋の奥の椅子に座っていた。頬杖をついたその姿は、妙な威圧感を放っていた。

「百合沢さん、お久しぶりです。今回はありがとうございます」

「まあ他ならぬ、あなたの頼みならね。聞かないわけにはいかないわ」

 百合沢の目は妖しく濡れていた。瀬戸熊に特別な感情を抱いているようだった。その反面おれを見る目は、魚の死骸を見るような冷たいものだった。百合沢は取り巻きの男の一人に、顎で指示を出した。おれに渡されたのは、カードキーだった。

「それで玲香のいる研究室に入れるわ。期限はあと三十分。急いだほうがいいんじゃない?」

 おれはちらりと瀬戸熊の方を見た。

「どういうことだ?」

「せっかくエクレシアに来たんだ。ついでに友人のモヤモヤも解消したほうがいいと思ってね。仲直りは、早いうちにしたほうがいい」

「おれは……どうすれば……」

「簡単さ。玲香に会って謝ればいい。その後、彼女から情報をもらってくれ」

 突然のことで戸惑った。心の準備が出来ていなかった。まさかこんなにも早く、玲香と会うチャンスが巡ってくるとは。

「ぼくのことは心配するな。早くいって謝ってこい」

「そうよ。わたし達はゆっくりと楽しむから、気にしないで」

 瀬戸熊と百合沢を同じ空間に置いておくのは気が引けたが、ここは指示に従うことにした。おれは急いで、玲香のいる研究室に向かった。


 玲香の研究室は倶利伽羅の東にある、第二総合研究棟にあった。バスに乗っているだけで随分と時間を使ってしまった。入口に着くと、警告メッセージが発せられた。

『あなたはこの研究棟への入場を、許可されていません』

 おれは横に備え付けられているセンサーに、先ほど渡されたカードキーをかざした。エラーが解除され、入口のドアが開いた。

 玲香の研究室は九階にあった。エレベーターに乗る前も、降りた後も、おれは走った。少しでも玲香と話す時間が欲しかった。研究室の入口にたどり着き、おれは呼吸を整えた。ゆっくりと扉をノックした。どうぞ、と部屋の中から小さな返事が聞こえた。

 扉を開けると、玲香がソファに座っていた。その隣には、見覚えのある長身の女性がいた。食堂でおれに罵声を浴びせた、取り巻きの女だ。おれは玲香の向かいのソファに座った。玲香はおれの目を見ながら、取り巻きに声をかけた。

「二人にしてくれる?」

 意外な言葉だった。それは取り巻きの女も同じだったらしく、見るからに動揺していた。

「いいのですか?こんな奴を……」

「いいから。すぐに終わります」

 女はしぶしぶといった感じで、部屋をあとにした。出て行く前に、おれの耳元でこうささやいた。

「少しでも変な真似をしてみろ。ただではすまないぞ」

 女性とは思えない、ドスの効いた声だった。


「久しぶり……じゃないね」

 この前と比べ、穏やかな声で玲香は話した。そんな些細な変化が、おれの緊張感を少し和らげた。

「久しぶりだよ。この前のは、会ったうちに入らない」

「そうね……」

「話は瀬戸熊から聞いたよ」

「…………」

「本当にすまなかった。何も知らずに、あんなことをしてしまって」

 おれは深々と頭を下げた。そして玲香の顔をはじめて真っすぐ見た。この前は緊張とショックで気づくことができなかったが――玲香はひどく痩せていた。瀬戸熊の言ったとおりだった。首筋など、少し力を入れて握れば折れてしまいそうなほどだ。目の下のクマ、疲れ切った表情。倶利伽羅の仕事が過酷なのか、それとも――。玲香はそれでも美しかった。ただ少なくとも、幸せな毎日を送っているわけではなさそうだ。

「分かってるのよ、自分でも。自意識過剰だってことは」

「今でも、怖いのか?……その何というか、男性と接するのが」

「怖くはないわ。でも、気持ち悪いの」

「気持ち……悪い?」

「異性の目を感じると……。あのじろじろとこちらを覗くような目を見ると、とても嫌な気持ちと一緒に、衝動に駆られるの。普通の人は想像もしないような、とてもひどい考えが頭をよぎるの。その人は、ただ普通にこちらを見ているだけなのかもしれないのに……おかしいでしょ?」

 全てを壊したくなる時がある。玲香はそう言った。あの頃よりずっと、症状がひどくなっているのかもしれない。素人のおれから見ても、玲香は精神を病んでいた。恐らく精神科を受診すれば、長々と色んな病名をカルテに書かれるだろう。何とかして力になってあげたいが――おれにそんな力はなかった。

「仕事は……大変そうだな」

「そうね。准教授ともなると、やることも多くて」

「もう姿も見えないくらい、遠くに行ってしまったんだな」

「……そんなことないわ」

 話が続かなかった。何と声をかけていいのか、分からなかった。おれには彼女の苦労や悩みを理解してあげることができなかった。立場も、能力も、性別も違った。思いやることはできても、それが彼女の助けになるとは思えなかった。できることと言えば、高一のころのように、取り留めもない話をすることだけだった。

「中心部から少し離れた場所にあるんだな、玲香の研究室」

「わたしの研究分野は、マイノリティだから」

「マイノリティ……少数派ってことか」

「そう。まだ発展途上の分野がここ第二研究棟には集められているの。和馬は、忠人さんの講義は受けた?」

「ああ受けたよ。なんていうか、面白いけど少し怖かった」

「忠人さんのグロースハックみたいな研究は、マジョリティリサーチと呼ばれているの。テクノロジー産業においては、必須の分野でしょ?だから携わっている研究員も、投入される研究費も、わたしのとは桁が違うわ」

「マイノリティとマジョリティか……」

「まあそれでも、倶利伽羅は恵まれた環境だけどね。マイノリティな研究にも、十分な資金が援助されるのだから」

「玲香の研究は、そんなにマイナーなものなのか?」

「倶利伽羅の中での優先順位は低いということよ。なにせまだ、お金にならないから。でもわたしは、これからの世の中に必要だと信じてる」

 扉がノックされた。外から取り巻きの女の声がした。

「そろそろ時間です」

 玲香のことが心配で、肝心の用件を忘れていた。ここに来れば玲香から情報がもらえると瀬戸熊は言っていたが――。

「分かりました」

 玲香は静かに返事をすると、おれに真っ白な封筒を渡した。裏にはエクレシアの剣と盾の封印が押してあった。

「そこに書いてある場所に行けば、必要な情報は手に入るわ」

 場所?何のことか理解できていなかったが、おれはとりあえず礼を言った。

「ありがとう、玲香。それと……」

「何?」

「最後にこれだけ言わせてくれ。いらぬ心配だとは思うけど。もし何かあった時は、連絡をくれ。おれと瀬戸熊が、いつでも相談にのるから」

「……ありがとう」

「それと、ちゃんと規則正しい生活をしてくれ。仕事は忙しくても、三食とって、しっかり寝ろ。どんなに優秀でも、身体を壊したら元も子もないだろ?倶利伽羅の鳳雛なんだから、玲香は」

「何よそれ。和馬は私の保護者?」

「……そうだよ。エクレシアの連中は知らないだろうけど、玲香は意外と抜けているところがあるからな。おれは本気で心配なんだ」

「……分かったわ。善処する」

 取り巻きの女がしびれを切らして、部屋に入ってきた。

「時間です。お引き取りを」

 おれは玲香に頭を下げて、部屋を出ようとした。

「和馬、このピアスに見覚えはある?」

 振り向いたその先には、安物のピアスが輝いていた。

「また、今度ね」

 玲香は最後に微笑んだ。今度とは、どのくらい先のことを言っているんだろう。おれは、そう先のことではないような気がした。玲香の耳元で揺れていたピアスは、おれと瀬戸熊が彼女にプレゼントしたものだった。

 おれは自分の処理能力の低さに文句を言いながら、レイディアント図書館へと向かった。もっと伝えなきゃいけないことがあるだろうに――飯食ってちゃんと寝ろなんて……。バスから降りると、入口に瀬戸熊がいた。気のせいだろうか、少しだけ顔がやつれていた。

「おい……大丈夫か?」

「ああ。何の問題もない」

「百合沢に、何かされたのか?」

「別に。少し彼女の趣味に付き合っただけだ」

「どういう意味だ?」

「これが初めてってわけでもない」

「…………」

「用件は無事に終わったのか?」

「ああ……。玲香からこれを預かった」

 封筒を開けると、中には簡単な地図が入っていた。

「ここは……学生支援センターか」

「なるほど、そんなところにあったとはね。じゃあ、早速行こうか」

 おれは瀬戸熊の手首に、何かしばられたような生々しい跡が残っていることに気づいたが、見て見ぬふりをした。百合沢がどんな趣味を持っているのかなど、想像するだけでゾッとした。


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