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 部屋に戻る間、おれは先ほど起きたことを整理しようとしたが、感情があちこちに散らばって、上手くまとまらなかった。ただ一つ分かったことは、みなみの男の趣味は変わっているということだ。

 恋愛は絶対評価。周りの評価は必ずしもあてにならない。おれの顔を好きだといってくれる女性も、少なからず地球には存在しているということだ。そういうおれも、女性の顔の好みには確固たる一貫性がある。歴代の彼女(二人)は、一重の涼しげな目と白い肌という特徴があった。玲香のような完成された美人にも惹かれるが、付き合うとなると話は別だった。

 もしあそこに恭子さんが現れなかったら――おれは何をしていただろうか。恐らく、身体から湧き上がる衝動を抑えることはできなかっただろう。そういう意味では、良いタイミングだったのかもしれない。

 みなみがおれのことを本当に好きだとしたら、素直に嬉しい。しかし問題もあった。おれの立場が倶利伽羅の新入生で最底辺だという問題だ。付き合い始めても、すぐに倶利伽羅を追い出されることになるだろう。残念ながらおれには、彼女を作る余裕はなかった。今の最優先事項は、この半期を乗り越えることなのだ。

 朝からとんでもないことが起き、おれはぐったりしていた。みんなが起きるまでもうひと眠りしようと、おれは布団にもぐり込んだ。その時、誰かが廊下を歩いてくる音がした。典獄寮はその造りの古さから、廊下がよく軋むのだ。音はだんだんと近づき、部屋の前で止まった。

 入口の扉の隙間から、何かが投げ入れられた。ベッドの上から覗くと、それは封筒だった。宛名は瀬戸熊とおれだった。差出人の名は書かれていなかった。裏返して見ると、見慣れない封印が押されていた。この鳥は、鳳凰だろうか?

「ゆうれいの幽に、げんぶの玄……ゆうげん」

 おれは扉をあけて廊下を見渡したが、そこにはだれもいなかった。


 三十分後。目を覚ました村田が、縁起の悪いことをつぶやいた。

「念のため聞いておくが……不幸の手紙ではないよな?カミソリ入りの」

「令和の時代に、しかもこの倶利伽羅で、そんなことするやついるか?」

「意外とあるかもよ。猿川は、心当たりはないのか?変な女とのトラブルとか」

「あるわけないだろ」

 みなみとは、何かが起こりそうではあるが。

「とりあえず、開けてみろよ」

 村田に言われるがまま、慎重に封筒を開けた。中には高そうな便せんが入っており、簡潔なメッセージが載っていた。

『鳳雛会館北詰所 午後十時』

「中身はそれだけか?」

「そうみたいだな」

「……猿川と瀬戸熊君の都合もおかまいなしに、時間と場所だけが書いてあるとは。面倒なのが相手みたいだな」

「よおし。持ってきたぞ」

 蜂さんが、いつぞやのホワイトボードとともに部屋に入って来た。おれと村田はすでに察しがついていた。このメッセージの送り主が、どういう相手かということに――。


「幽玄は、倶利伽羅発祥の唯一のシークレットクラブだ」

 エクレシアの時と同様の講義が始まった。説明大好き蜂さんの前で、おれと村田は体操座りをした。

「そのため、歴史がそれほどあるクラブではないのだけれど、学内での勢力と残してきた実績では群を抜いているね。あくまで噂ではあるけれど、倶利伽羅のトップの教授たちや、世界的テック企業の役員の多くが、幽玄の関係者という話もある」

 倶利伽羅のトップの教授――伯父さんもそうなのだろうか。

「エクレシアは警察や司法のように、国の中枢機関と結びつきが強いけれど、幽玄は完全に内を向いている組織だ。倶利伽羅という自分たちの母体を強化するために最先端の研究を重ねて、それを利用して利益を生む。そしてまた新しい研究に資金をつぎ込む。ここ四十年で倶利伽羅がここまで大きくなったのも、幽玄の会員の努力の賜物だって話だ」

「そんなエリート集団が、なんでまたおれなんかに」

「どうだろう。それは向こうに聞いてみないとわからない。家柄や資産や品格が大きく影響するエクレシアと違って、幽玄は極めて純粋な実力主義だと言われている。成績表の上から順に声をかけるという噂もあるくらいだ」

 そういうことならば、この招待状は何らかの特別な事情があってのことだということになる。おれがまず思いついたのは、伯父さんが関係している可能性だ。あの無茶苦茶な性格を横に置いてよいのなら、伯父さんは幽玄の条件にもっとも適した人材だ。その甥っ子ということで、試験を受ける資格を手に入れたのかもしれない。しかし、そんなことがあるものなのか。伯父さんは特別だとしても、おれは全くの凡人だ。入試の結果でも、この二か月の成績でもそれは明らかだ。なぜこのタイミングで――。

「なんにせよ、すごいことだよ。シークレットクラブはどれも入会条件が厳しいけれど、その中でも幽玄はナンバーワンだ。猿川はどうするつもりなんだい?」

「うーん。降って湧いたような話なんで……」

「おいおい。迷うことなんかないだろ。損をするわけじゃないんだし、とりあえず行ってみるべきだろ」

 村田の意見も分かるのだが、おれにはどうしても疑問が残った。

「それはどうかな」

 瀬戸熊が二段ベッドの上から、不機嫌そうに顔を覗かせた。

「なんだよ、起きてたのか」

「……途中からな。幽玄は決して、品行方正な素晴らしいクラブってわけじゃない。そうですよね、蜂須賀先輩」

 蜂さんは渋い顔をして頷いた。

「確かに……悪い噂もあるにはある。倶利伽羅での権力があり過ぎるがゆえに、不正に資金を流用しているとか。違法な研究に手を染めているとか。でも正直、ぼくは詳しく知らないんだ。どれも都市伝説みたいなものだよ。そもそも幽玄の存在自体が、オフィシャルなものではないからね」

「瀬戸熊は、何か知っているみたいだな」

 おれの質問に、瀬戸熊は露骨に表情を曇らせた。いいイメージを持っていないのは明白だった。

「別に。ただ忠告されたんだよ、忠人さんに。幽玄には気を付けろって」

「伯父さんが?」

「忠人さんは幽玄のメンバーの一人だったらしい。今はもう違うみたいだが」


 結局、おれは幽玄の誘いに乗ることにした。瀬戸熊は最初反対していたが、渋々同行することになった。おれとしては、やはりこれは願ってもないチャンスだった。半期までに劇的な成績の伸びが期待できない以上、幽玄という巨大な庇護の下に身を置いてふるいを回避するのは、有効な選択肢のように思えたからだ。

 約束の時間に指定された詰所に行くと、小さな窓から光が漏れていた。カードキーでは扉が開かないので、おれはチャイムを鳴らした。一分ほど待たされた後、ゆっくりと扉が開いた。

 詰所の中は広いとは言えなかった。色々な物が乱雑に置かれ、整理が行き届いていなかった。部屋の奥には男が五人。中央の男だけ、安いパイプ椅子に座っていた。

「どうも。こんばんは」

 パイプ椅子の男は、顔も声も若かった。後ろにいた瀬戸熊が、おれより先に返事をした。

「やっぱり、真一さんでしたか」

「そう嫌そうな顔をするなよ。久しぶりの再会だろう?」

「…………」

「猿川君。はじめまして。宇田川真一です」

 名字でピンときた。男は理事長である宇田川壮一の孫だった。工学部の三年で、首席のエリートだった。だがそれよりも、おれは瀬戸熊との関係が気になった。

 詰所は埃っぽい場所だった。訝しげに周囲を見渡すおれに、真一はいった。

「すまない。ここは幽玄の建物ではなく、ただの物置なんだ。会員じゃない人間は、クラブの私有地には立ち入りできない決まりでね」

「そう……なんですか」

 おれは二人の間に漂う不穏な空気に飲まれていた。

「こんなところはお互い一刻も早く立ち去りたいだろう。早速用件に入っていいかな?一度しか言わないからよく聞いてくれ。二人には、松井誠司という男を捜索してもらいたい」

「捜索……ですか」

「そうだ。二月から連絡が取れないんだ。問題の多い男でね。警察も動いているが、どうにも進展がない。そこで、君たちの出番というわけだ」

「……待ってください」

 瀬戸熊が声を上げた。

「まだこちらは、試験を受けると決めたわけではありませんよ」

「ぼくは信じているよ。瀬戸熊なら受けてくれると。まさか、あの時の恩を忘れたわけじゃないだろう?」

 瀬戸熊がふーっと息を吐いた。おれは思わず、声に出してしまった。

「あの時?」

「猿川君は、聞いていないのか?」

 瀬戸熊は観念したように俯いていた。真一はやれやれといったジェスチャーをした後、話を始めた。

「ぼくと瀬戸熊は、ルームメイトだったんだ。昔はよくつるんでいたよ。だから、瀬戸熊のことは何でも知っているんだ。彼が捕まりそうになった時のこともね」

「……なんだって?」

 おれは瀬戸熊の方を睨んだが、やつは目を合わせようとはしなかった。

「大麻だよ。ぼくが何度言っても、彼はやめようとしなくてね。ついにはお縄がかかる寸前になった。まあそこから色々とあって……ぼくも口裏を合わせたり協力をして、どうにかこうにか丸く収めたわけ。そうだよな?瀬戸熊」

「……もちろん忘れていません。真一さんには感謝しています。でも、それとこれとは話は別です」

「そんなことを言わずに頼むよ。分かるだろう?我々には手を出しづらい案件なんだ。瀬戸熊なら、あのエクレシアの女に頼んで、情報を引っ張れるだろう」

 全く知らない瀬戸熊がそこにはいた。おれは少しも話についていけなかった。

「困ったな。どうだい猿川君。君の意見も聞いてみたいな」

 どうと言われても――。おれは率直な疑問を口にした。

「試験を受けるかは迷っていますが……その前に聞かせてください。なぜおれなんですか?誰かも知らない人の捜索なんて、素人に頼むことじゃないと思いますが」

「それはもちろん、猿川忠人氏の甥というのが、大きな理由だろうね」

「……伯父さんが?どうして?」

「君は、自分の伯父がどんな人なのか、知らないのか?」

「……倶利伽羅の研究者だとばかり」

 おれの言葉を聞いて真一は笑った。その笑いにははっきりと、嘲りが込められていた。

「まさか、何も知らないとは。本気であの人が、ただの研究者だとでも?」

「……違うんですか」

「教えてあげよう。あの人は、全てを可能にする怪物だよ」

 真一の笑い声だけが、部屋の中に響いた。おれは言葉を発することができなかった。伯父さんについて何も知らないということ。そして真一は伯父さんの本当の姿を知っているということ。二つの事実が、重く肩にのしかかった。

「さて。お喋りはここまでにしよう。猿川君。君の人生でこれ以上のチャンスはないかもしれないよ。あの猿川忠人と同じ血を引き継いでいるのなら、こんな調査など容易なはずだ。幸運を祈るよ」

 おれたちの返事も聞かず、真一たちは詰所を後にした。


「何だよ、大麻って」

 複雑な気持ちを抱えて、おれは寮に戻るバスに乗っていた。おれは瀬戸熊を問いただした。無視をするには、あまりにインパクトが大きすぎる言葉だった。

「……ハッパ、マリファナ、グラス、チョコ。呼び方は色々あるな」

「まさか……なんてことを」

「大丈夫だよ。大麻なんて、合法な国もあるんだから」

 そういう問題じゃあないだろう。一万歩譲って飲酒は目をつむるとしても、薬物は完全にアウトだ。話を聞いていくと、驚くべき過去が明らかになった。大麻の使用がばれてしまった瀬戸熊は、何とエクレシアの百合沢に助けられていた。まさか蜂さんの元カノと、瀬戸熊が繋がっていたとは――。

「エクレシアの幹部様はすごいよ。大抵のことは、揉み消してくれる」

「お前……頭がおかしくなっちまったのか?」

「まあそう怒るなよ。おかげでエクレシアから、情報が引っ張れる」

「どんな因果関係だよ。というか、大麻なんてどうやって覚えたんだよ。普通に生きてりゃ、エンカウントしないだろ」

「そんなことはない。今の競争社会を勝ち抜くには、ドーピングは常識さ」

「そんな常識があってたまるか」

「田舎にいた和馬には縁がないかもしれないけど、本当に身近なものなんだ。聞いたことはないか?アデロールにモダフィニルにリタリン。ADHDや睡眠障害の治療に使われる薬だ。処方されなくても、海外からの輸入で簡単に手に入る。集中力、活力、興奮状態、幸福感。お手軽で簡単な方法だから、学生がはまるのもしょうがない」

「……それは、あくまでも正式な認可を得た薬だろう」

「変わらないさ。アデロールには、覚せい剤の成分であるアンフェタミンがちゃんと含まれている。一歩足を踏み入れたら最後、どんどん深みに潜ることになる」

 瀬戸熊の表情には、一ミリも反省の色が見られなかった。伯父さんといい瀬戸熊といい、頭が良すぎる連中は、才能と引き換えに何かが欠陥しているのがデフォルトなのだろうか。そのあと延々と大学の薬物汚染について話を聞かされ、おれは気分が悪くなってきた。

 バスは静かに進み、寮のすぐ近くまでやってきた。おれは瀬戸熊に聞いた。

「宇田川真一とは、どういう関係なんだ?」

「ぼくが飛び級で大学に入った時、知り合ったんだ。まあ友達……ということになるのかな。悪い人ではないが、善人でもない。癖がありすぎるんだ。容易に信用しちゃあいけない人だ」

「真一が言っていた、伯父さんのことだけど……瀬戸熊は何か知ってるのか?」

「忠人さんが、どんな人なのかって話か」

「そうだ」

「ぼくが知っている忠人さんは、倶利伽羅の教授で、元幽玄所属で……ぼくと玲香の命の恩人ってことだ」

「なあ、聞いてもいいか?」

「どうぞ」

「伯父さんとはどうやって知り合ったんだ?何で伯父さんが、命の恩人なんだ?」

 高校一年に出会った時、詳しくは聞けなかったことを――おれはぶつけた。瀬戸熊は真剣な表情で答えた。

「すまない。ぼくの独断で話すことはできない。取り決めに違反することになる。忠人さんと今度会った時……その時には言えると思う」

 おれは確信した。伯父さんの裏の顔を、瀬戸熊も知っている。おれだけが、知らないのだ――。バスはゆっくりと典獄寮の前で停まった。おれはそれ以上、瀬戸熊に何も言わなかった。

 部屋の戻ると、おれは瀬戸熊に誓約書を書かせた。今後一切大麻には手を出しません。やつが所持していた大麻をトイレに流したおれは、今後の捜索について考えを巡らせながら、長い長い一日を終えた。とにかく今は、休息が必要だった。


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