始まりのゼロ(下)
「……っ」
「ふふ。随分な顔をしているわね。信じられないかしら? こんな小さな奴が殺せるわけがないって。残念ね、本当よ。……動けなくなっている貴方みたいに拘束されて、雫は殺されたの。可哀そうに、可愛そうに。最後の最後までお兄ちゃん、十束お兄ちゃんって泣いてたわよ。こんな風に痛めつけられて」
少女がばん。とピストルの形を取った指先は、近場に合った瓦礫を完全に破壊した。
そうして次は二度跳ねる。
その近くにある木材と地面を抉った。誰が見ても分かりやすい暴力があった。
簡単に人一人は殺せるくらいの力が。
「―――――ッ」
激情に支配される。そんな力を雫に向けたのか!!
それでも尚この身体は自分の物ではないかのように、静止したまま微動だにしない。
「くすくす。可哀そうだから、さっきみたいに兄妹ゴッコでもしていた方がいいかしら? 十束お兄ちゃんって呼んであげるわ、いくらでも。それとも心の隙間を埋めてあげるように私が寄り添ってあげてもいいわ。雫に似た容姿の私が」
何とも形容し難い怒りが沸いてくる。
今すぐにコイツを殺してやりたい。
どうして俺はこんな瓜二つなだけの奴を雫だと思い込んでしまったのだろうか。
少女は銃口をこちらへと定める。
それはきっと俺の頭蓋をいとも容易く砕いてしまうだろう。
それを出来るだけの不思議な力を少女は持っていた。
強烈な圧迫感。明確な死が其処に待ち構えているというのに俺の身体は指一つとして言うことを聞かない。
処刑台に立たされているかのように、時間ばかりが刻一刻と迫っていた。
「どうする事も出来ないでしょう? 私達『帝王』はこれに近しい能力を持っている。いずれはこの世界の住人にも目覚める者もいるでしょうけれど、少なくとも今の貴方は何の力も持っていない。非力、凡才、平凡。ただの人間じゃ何一つ為せない。問いただしたい? 甚だしいわ。私が声を掛けなければ死んでいた程度の貴方に、何ができるっていうのかしら? 」
それは正論だった。
事実俺はそう冷酷に愉快に嫌らしく告げて笑う少女を止める事は出来なかったし、妹である雫を亡くした俺は自殺するつもりだったのだから。
本当に大切な物を護る為の力も持たず、その為に何かを為す事もなく考えることをやめた俺は真の意味で無力だった。
けれども、と動かぬ歯を食いしばる。
だからといって今の話を聞いて楽に死のうと考えるほど、俺はこいつらを許すことは出来なくなった。
「私を殺してやりたいかしら? 辱めてやりたい? きっとそのどれもが叶わないままに終わってしまうわ。そして私に殺されておしまい。―――それで、いいのかしら? 」
ふざ、けるな。
ふざけるな……ッ!! ふざけるなあッ!!
誰がお前らなんかを許すか……!! 殺してやる、殺してやるッ!!
「くすくす。許せる訳がないわよね。だからこそ私は貴方に"力"を与えに来たの」
選択権。と少女は言う。
貴方には二つの選択肢がある。
全てを忘れてこのまま安穏に暮らして生きていくのか、それとも私達に復讐する"呪い"を手に入れるのかと。
そして此の話は一度きりなのだと。
意味が分からない。意図が読めない。信じられない。
どうしてなのだと、問いかけようにも喉は音を鳴らさない。
全てを知るには、俺には時間がなさ過ぎた。権利すら与えられていなかった。
ただこれを選んでしまったなら二度と戻ることはもちろん、選ぶ事すら出来なくなる事だけははっきりと分かった。
「別に私の力を受けなくてもいいわ。貴方には選択権があるもの。ただ、この機会は二度と無いだけ。私は"魔女"。人知の外より生まれ出でて、神に仇名す者。己の欲を満たす為なら何だってするし、何だって望む。だからこそラスボスかもしれない私は、貴方に力を与える。その力を持って、他の『帝王達』も皆殺しにして貰う為に。彼女彼らが作るであろう、新世界を壊す為に」
そう語る魔女は、悲劇に対して恍惚な笑みを浮かべていた。
同族殺しを本懐にして貰うのだと。
今までの非ではないくらいにの熱を込めて。両の眼は爛々と輝いており、いずれ来たるであろう薄暗い未来に想いを寄せていた。
まともではない。
狂気に身を任せて愉悦に浸るなど人の考えでは無い。
きっとそれに見合うだけの狂乱に巻き込まれるだろう、この契約をしてしまえば。
瞳を閉じる。
『――お兄ちゃん』
そんな幻聴が聞こえた。
ああ、迷うまでもない。俺はお前らを殺してやる。
呪いなものか、きっとこれは幸運だ。平凡に暮らす? 何を言っているんだ。
目の前にいるコイツを含めて、殺した奴ら一人残らず復讐してやらなければ、救われない。許されない。許せない。
辺りを燃やしている炎ですら、陳腐な物に思えた。
仄暗くとも後ろめたくとも俺の心には小さな復讐の炎が宿ったのだから。
いずれは全てを燃やし尽くしてしまわなければ、終われないのだから。
「――受けてやる」
言葉がすらりと出てきた。既に拘束していた力を感じることはなかった。
ゆっくりと魔女へと近づいていき、その両目を睨みつける。
人の血の色のような、その深紅の瞳に最後に映るのは俺にさせてやると誓って。
魔女はゆらりゆらりと揺らす世界を止め、地面へと降り立った。
「ふ、フフ!! 思い切りがいいのね。もっと逡巡するかと思ったけれど。仮にも貴方が勘違いするほど私は雫に似ているのに」
「意外か? 」
「いいえいいえ。知っていましたもの。貴方はきっとその道を選ぶと。私がこうして貴方に契約を持ち掛けるように」
すらりと伸びた細く艶やかな手。それは先程握った妹の最後の手に酷似していた。
こいつは一体いつ何処で俺を知っているのだと言うのだ。俺の何を知っているのだと言うのだ。
そう喉元まで出掛けたのを堪える。
そうして差し出された手を握らずに、喉元へと手を伸ばした。が、それは身体を捉えることなく空を切る。
「短慮ねぇ」
そう簡単にいかないらしい。
……しかし今のはどういうことだろうか。
避けた訳でもなくかといって弾かれた訳でもなかった。まるで最初から其処にいなかったかのように。
「私を殺したいなら、もっと強くなってから出直してくることね」
魔女はそうしてにこやかに笑うと、俺の思考を断ち切るように二の次を告げた。
「――契約は成立したわ。貴方は"呪い"に掛けられ、きっと本懐を成すでしょう。例えそれが不幸に塗れていようと」
不幸、雫を亡くしたこと以上に不幸なことがあるものか。
お前たちに復讐するという幸福だけが残っているだけだ。むしろそのためだけに俺は生きていくのだろう。
そんな俺の内情を読み取ったのか、はたまた前もって用意していたのか。
魔女は口元を歪ませて嗤う。良い玩具が手に入ったと言わんばかりに。
「そういえば、私の名前を言っていなかったわね。―――魔女シズクとでも、呼びなさい。ええ、ええ。気兼ねなく呼ぶことを許可するわ。シズクと丹精込めて念入りに呼びなさい」
………………。
「あらあら、ふフフ。まさかまだわだかまりがあるというのかしら。これは契約よ? 」
名前を呼ぶ必要などない。と口にしようとしたところで。
「まだ私は貴方に力を与えていない。名を呼んでこそ、お互いにパートナーだから、ねえ? それに此れはある種の儀式よ。貴方が"雫"の死を認めて、別れる儀式。ちゃんとしておかなければ、いつまでも引きずりそうですもの」
詭弁だ、盲弁だ。そんなものはお前がただただ楽しんでいるだけだろう――。
その証拠に魔女の表情はこれ以上にないくらいに艶やかになっている。
あれならまだ悪魔が笑っているという方が可愛げがある。
歯が砕けてしまうかと思うくらいに、拳を握り締める。
「……シズク」
聞こえなーい。と言わんばかりに耳に手をやる。だから、あえて大声で言ってやった。
「――魔女シズク、必ずお前も殺してやる……! 」
「言えた、言えたわね。ちゃんと受け入れられたわね。おめでとう。貴方の"雫"を殺したかもしれない"シズク"よ。そして貴方に必ず殺される魔女でもあるわ! ――復讐してみなさい! 私たちが作り上げる世界に、私達『帝王』に! 」
その言葉と共に俺の身体に何かが灯った感触がする。
怒りだろうか、憎しみだろうか。芯から燃えるような熱さに眩暈を起こしそうになるが、倒れることなく言葉にしてやった。
「言われるまでも無い!! お前らが作り出した世界も、未来も、全部ぶっ壊してやるッ!! 」