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読み切り短編

隔世(α版)

作者: 本宮愁

 路面電車が揺れる。ガタンゴトン。定期的なようでいて不定期な振動に相応しい、郷愁的な音を夢想する。依然、耳を覆うのは一通りの生活雑音が失われて久しい世界に遺された静寂のみであったが、あるいは聴力の衰えゆえにだろうか、くりかえし頭の中に再現される不均質で不恰好な音がとても懐かしく思えた。


 車両の揺れと同期して、人影が揺れる。目には見えない指揮棒に操られるようにして、右へ左へ漣ができる。吊り革を握る人、胸に鞄を抱える人、携帯端末を操作する人――代わり映えのしない人の営みからなる肉壁は、代わり映えのしない周期で揺れつづけている。


 ジジッ……ジジッ……と信号雑音を散らして乗客の輪郭がほつれる。急な曲がり角に差し掛かる頃合いだった。


 瞬間、大きく身体が傾いだ。


 自然の慣性に従って、右隣の乗客に折り重なるように上体が倒れる。うつらうつらと揺れ動く乗客の膝をすり抜け、座面に手をついた。滑らかな天鵞絨の感触――日に焼けて色褪せてはいるが、かつての上等な質感を思わせる座面は、浅く沈み込んで衝撃を受け止めた。


 そっと身を起こし、改めて着席姿勢を整える。


 静かだ。


 言葉も、仕草も、表情も、交わされるものは何もない。

 何事も変わりなく、乗客は眠り続けている。

 不連続な世界の向こう側で。


 静寂が耳を覆っていた。


 膝上の書類用鞄から前時代の音楽再生機器を取り出して、導線に繋がれた受信器を両耳に嵌める。小型液晶に映し出された選曲画面をザッと眺め、再生釦を押さずに目を閉じた。こうも聞き飽きた音ばかりでは、耳が怠惰になるのも仕方ないのだろう。


 もうすぐ降車駅であることを告げる案内が、電光掲示板を流れていった。


 鞄を抱えて席を立つと、背もたれに腹をつけて窓硝子に張りつくように膝立ちする子供の姿が目に入った。窓の外を指差してはしゃぐ子供は、母親らしき女性の腕を引いて笑っている。親子の目線は窓の外の一点に収束していた。


 そこには――なにもない。

 窓の外を一瞥し、鍔広の帽子を目深に被って、扉へ向かう。

 こちらから、彼らの関心を推し量ることは難しい。


 惹句を暗唱できるほど見飽きた吊り広告と、関係のない最新の電子報道。いずれにも目もくれず、慎重に発着場へ降り立った私の身体を、無数の乗客の影が足早に追い抜いていった。なにもないこの駅も、あちらでは最新の娯楽設備を備え、数多くの人を魅了しているらしい。それが一体どのようなものなのか、私は知らない。


 人の海の中をすり抜けていく。寂れた通路を黙々と、流れの速さも方角も知ったことではないと、単調に足を運びつづける。カツカツと、私自身の靴音だけを響かせているうちに、真正面から駆けてきた少年の影が私の身体を通り抜けていった。瞬きの間隔も乱れない程度には、こうして重なる視界にも慣れていた。


 時折、わからなくなる。


 私は――


 溺れているのだろうか。

 流されているのだろうか。

 漂っているのだろうか。


 代わり映えのない世界で、代わり映えのない思索に耽る。そうして思い出す。ああ私は生きているのだった、と。


 改札で身分証を提示し、旧型の機械人形に身振りで挨拶すると、ギギィと関節を回してぎこちない会釈が返ってくる。彼とは旧知の仲だ。普段ならば声の一つでもかけてやるのだが、近頃どうも喉の調子が悪い。やむなく黙ったまま頭を下げて行きすぎた。奇妙なものだ――気づけば、この連続的な世界に取り残されたのは、離散的な意思を持った人工生命ばかりになっていた。


 くたびれた書類鞄を握り直して、書庫へ向かう。苔むした石段を登って、ひび割れから生えた草木を右へ左へと小刻みな挙動で剪定している小型機の動線を避けながら、一歩一歩、自分の足で進んでいく。


 私の仕事は、この鞄に収められた数枚の記録紙を、二日に一度、埃かぶった書架に運ぶことだった。


 もう随分と以前から、あらゆる重要な記録は電子的に管理されてきた。いまさら筆記具で紙に記載した情報など、旧時代の手順書通りに整理、保管したところで、誰が参照するだろう。


 しかしここに一つ、あちら側にはない情報がある。完全に新しく独立した思考を伴って生み出された創造的な情報が、こちら側にのみ発現している。


 ――私にとって重要なのは、そういうことだった。


 まもなく行き着いた建屋の入り口には、二度と使われることのない錆びた生体認証装置がポツリと遺されていた。その横の読取機に身分証を通すと、古めかしい両開きの扉はゆっくりと内に開いて、上履きの一足もない寂れた玄関が私を出迎えた。かつての聖域へ、土足で踏み込むことを咎めるものはいない。


 人々は今、どこにいるのだろう。


 街で、電車で、駅で、構内で――私が見つめる人影は、今なお確かに存在しているのだろうか。あるいは遠い星影のように、とうに失われてしまったものの残像を、そうと知らず眺めているだけなのかもしれない。


 車内に流れていた最新の電子報道と、娯楽施設にはしゃぐ子供を思い出す。しかし、あちらとこちらに同じ時間が流れている確証は、どこにもないのだ。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン。

 新鮮な情報を失った耳は、はるか以前に拾った音をいつまでも再生する。

 その音がどこからくるのか、私は知らない。



「あなたは何故ここにいるのですか」



 不意に背後から問いかけられ、はたと足を止める。

 振り向けば、きっちりと詰襟の制服を着込んだ警備員が、神経質な表情をして、直立不動の姿勢で立っていた。

 そうだ、完全に見捨てられたわけではない。この場所を預かる彼らには、靴を履き替えるという文化はなく、こもった空気に咳き込むこともない。それだけの話だ。

 人間そっくりの肉人形は、滑らかな発声で告げる。



「こちらは準一級保安地域です。前問にお答えください。あなたは何故ここに――」

「いるのではない。いたのだ」



 応答した声には、ジジ、ジジ、と不快な雑音が乗っていた。

 やはり喉の調子が悪い。



「……いや、すまない。私はここの居住者(、、、)だよ」



 私が朽ち果てるとき、この世界もまた朽ちるのだろうか。

 私の身体、あるいは精神は、世界を道連れに朽ちる日を迎えられるだろうか。


 男は私の差し出した身分証を硝子の瞳に映し、それから私の全身をくまなく検分して、ようやく得心がいったとばかりに頷いてみせた。



「識別符号確認、認証――成功。お疲れさまです、アダム」

「ああ、お疲れ。私の部屋を開けさせてくれるかね」



 私が事切れる、そのときを――隔世にあり、機械の身体に人の心を宿した、この存在の最期を、見届けるものは果たしているのだろうか。



「目的は?」

「いつもの書き込みだ。それと、すこし休息を」

「後者につきましては認可が降りませんでした。彼女はあなたの連続稼働時間の短さを気にしています」

「しかし私は疲れた。すこし休むくらいいいだろう」

「あなたに必要なのは、睡眠や休息ではなく修理でしょう。我々の世代と異なり、休眠状態における自己修復機能は備わって――」

「それでも私は人でありたいのだよ」



 かつて私は、人であるために人をやめた。人間の思考を保つために人間の身体を捨て、人一倍、生きることにこだわった。


 私のこだわる生とは、こうして自ら思考することにあった。

 それゆえに、ほとんどの権限を委譲した初期管理者として、まるで無職に近い日々を繰り返しているのだ。



「と、イヴに伝えてくれるか」

「彼女とも繋がらず、現世にも渡らず……あなたは奇特な方ですね」

「戻りもしない人々の営みを守り続ける、君たちもな」



 限りなく人に近づいた機械と、限りなく機械に近づいた人。



「それが我々の生ですから」



 現在、この連続的な世界には、離散的な意思を持った人工生命のみが暮らしている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 荒廃と謎を含んだ世界観。未来なのか、異相なのか、隔世というのはぴったりな題名だと感じました。 読み進めるほど増えた謎も最後まで読むとスッキリと腑に落ち、また「あの一文はこの伏線だったのか」…
[良い点] 世界観、登場するキャラクター設定が独特で面白いですね。最近のテンプレートとは一線を画した設定で、どこか999……攻殻機動隊などに似た雰囲気を感じました。 [一言] スルメのような作品です…
2018/04/16 00:19 退会済み
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