うちのねこ
うちの猫を見ていると、不思議な思いに駆られてくる。
うちの猫は普通の黒猫で、変わったところは別段何もない。私はと言えば、ちょっぴり猫中毒というくらいだ。
幼稚園のときに一代目。
小学校のころに二代目。
中学校に上がって三代目。
今、大学浪人中の私の家にいるのが四代目のこの猫である。
かわいがってもかわいがっても、今までの猫は早死にした。先天性の腎臓疾患だとか、猫白血病だとか。
一番悲惨だったのは、一代目の猫で、幼稚園の卒園式の日に虫を口から吐いて死んでしまった。この猫は目が悪くて、道端でニャーニャー泣いているのを、当時四歳だった私が子供心にかわいそうに思って拾って来たのだ。
そのせいか、代々猫の名前は一代目の名前を継いで、「ギン」と名付けている。
またギンが窓から外をうらやましげに見ている。自転車に乗る近所のおばさんを、塀を渡るよその猫を、寒空に飛んでいる鳩まで、じっくりと凝視し「カカカ」と奇妙な声でひと鳴きすると、ぴょんと本棚を降りて、爪かきに行く。爪かきをしながら私の方を恨めしげに見るのだ。
「だめ」
ギンはお願いをするとき、爪かきをする。教えた訳じゃない。覚えたという方が正しい。決められた場所で爪かきをしたあと、煮干しをやっていると、勝手に覚えた。頭のいい奴だ。
私は必死にコタツにしがみつき、参考書を睨んでいる最中だった。センター試験が迫ってきている。地道に問題を解いていっても、ヤマカンが当たる訳でもなく、私はがしがしと頭をかいた。
ギンはザリザリと自分の腹をなめ、でんと私の背中によっ掛かって横になった。
ギンは完全な家猫である。外猫にした方がこいつにとっても幸せなのだが、何度も猫に早死にされると臆病になってしまった。外には危険がたくさんあるし、こいつの糞尿を調べることもできない。手がかかるが、それだけ愛も募るというものだ。
そんなこんなで、あっという間にセンター試験の日が来た。去年センター試験を受けたとき、三代目が死んだばかりで、試験問題もろくすっぽ頭に入ってこなかった。
しかし、今年は違う。驚くほどすらすらと問題が解けたのだ!
それも、昨晩の不思議な金縛りのおかげかもしれない。明け方ごろだった。床について1時間もたってないと思う。いきなり、胸が重くなり、息苦しさに目が覚めたのだ。恐ろしかったが、勇気を出して目を開けて見ると、でんと目の前に参考書が据えてあった。驚いたが、金縛りなのだからそういった不自然さも普通なのかもしれない。いや、金縛り自体すでに普通ではないと思うのだが。
(試験なのに……試験だからか?)
私が青ざめていると、なにやらムニャムニャと聞こえてくる。問題である。
(うあー、それは二年前の慶応の理系の問題だよ) と思っていると、声が「答えろ」と言ってきた。もちろん、分かる訳がない。
「わ、わかりません」
「じゃ、暗記しろ」
というわけで、出掛ける直前まで、私は金縛りにあったまま、暗記を続けてしまった。
そして、寝不足の頭を抱えたままセンター試験会場を前にして、今年もダメか、と半ば諦めていた。
ところが! 驚くなかれ! このとき暗記させられた問題に酷似したものが、今日のセンター試験に出たのだ!
私は試験問題を前にして心の中で叫んだ。金縛り様様!
センター試験は無事済んだ。後は合格発表を待つのみである。
しかし、最近、ギンの様子がおかしい。ジーッと何もない空間を見つめて、ブシッとくしゃみをする。風邪だろうか? 寒い日が続いているし、ペット用の湯たんぽでも出してあげようか。思案してみるが、食欲はあり、熱も39度。猫の平均体温である。さすがに尻に体温計を差すと、死ぬほどいやがった。心配なので病院に連れて行ったが、先生はニコニコと「いやー、健康ですねー」とのたまった。
なでてやると、ギンはなでてもらいたい場所へ自分で体を動かしてひっくりかえった。そうやって、でんぐり返るのが好きな猫なのだ。さんざんぐるんぐるんとでんぐり返りをして、ギンはご満悦のようだ。変わっている。
モンプチという高級缶詰を開けてやり、「悩みがあるなら、早く解決したらいいなぁ」となでてやった。ギンはうれしげにゴロゴロと喉を鳴らすだけだった。
いよいよ明日は合格発表の日。寝付かれない夜だった。
じーっと二時間ほど布団に潜ったままでいると、ぼそぼそと声がする。泥棒か? と思ったが、侵入した音などしなかった。あの日の金縛りの声に良く似ていたので、私は耳を澄ませた。
「いいか? お前、明後日の朝、哀れな声で玄関口で鳴くんだぜ? 大きい声で鳴け。お前に大事な俺の魂を分けたのも、ご主人のためなんだ。猫又として生きていくには俺の魂とご主人と決めた人間の運気が必要なんだ。うんと成功させてうんと運気を上げてやって、猫又としての力を増やしていくんだ。じゃ、絶対よそのガキに捕まるなよ!」
私は体を堅くしていた。猫又? ということは猫のことだろう。うちの猫はギンしかいない。すると、この声はギンの声なのだろうか。私は体を起こしてギンを呼んだ。ンナーンとギンはやって来て、布団の端を前足でフミフミし始めた。こうして見ると普通のそこらへんにいる猫だ。
「なぁ、ギン。おまえ、猫又なの?」
「そうっス」
即答で体育会系の返事があった。
「……」
私は何も考えないことにして寝た。
合格発表の朝、目覚めると、ギンが私の枕元で正座をしていた。
「ご主人、短い間でしたが、お世話になりました。四代目のギンは去りますが、じきに五代目が参ります。どうぞ、出世しても血統書付の猫だけは飼わないでやってくださいまし」
ギンは私にそう言い残しペコリと頭を下げると、スタスタと二本足で歩いて自分で玄関のドアを開いてどこかへ行ってしまった。
こうしてギンは合格発表の朝に私の元から去ってしまった。
死んだわけではないのでなんとなく寂しさや悲しさはないが、私の心の中にギンの大きさの分だけ穴が開いた。
ちなみにギンのおかげか、センター試験には無事合格した。春から晴れて大学生である。
私はギンが何者かに話していた内容を忘れてはいない。
「センター試験の次の日」私の元にギンの魂を持った何者かがやってくる。
とはいいつつも、その日の早朝、だらしなく布団からはみ出して寝ていた私は玄関のドアをノックする音で目が覚めた。はっとして起き上がる。
何者かが来た!
私は急いで玄関のドアを開け、外を見た。
だれもいない。
玄関に立ったまま、私はぼんやりと立っていた。
私は今年十七歳。
思い起こせば、四代目ギンは私が十六歳で去年のセンター試験を受けるときにはすでにいた。もしも、なにか大事なことがあるたびにうちの猫が入れ替わっているのなら……あれ?
「間違っていまちぇん。ご主人が大学入学資格検定のときは三代目が力をかちたのでちゅ」
「おっ?」
足元には灰色のキジ縞模様の子猫が立っていた。もちろん二本足で。
「あっ、しゃべってはいけないのでちた」
子猫はあわてて普通の猫のふりをした。
私は考えてみたのだが、この年で大学生になるのも今まで何の不自由もなかったのも猫又に取り憑かれていたせいであるなら、またそれもいいではないかと。
「ミルクでも飲む?」
私の言葉に五代目のギンは元気よくナンと鳴いた。