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科学少年と文学少女  作者: 黒江 莉茉
罪人
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罪人Ⅳ

 北岡君とすっかり話し込んでいたら、いつの間にか五時三十分になっていた。あんなに短かったように感じた時間はこれが初めてかもしれない。楽しかったのだ。

 私は簀子の上で靴を脱ぎ、急いで玄関まで向かった。今日で私は昨日描いた絵を完成させたくて仕方なかったのだ。

 昨日は蝶々の羽に青い色を水彩絵具で塗った。滲んでいく青、白に沈んでいく青、透き通るような青。私は青という色が好きだ。一番自然で、綺麗で、美しく、儚い。青に白は混ぜたくない。白という色は濁らせる色なのだから。

 私は原色を使った絵をこだわりとしている。それを他人に押し付けるつもりはないし、押し付けられるつもりもない。押し付けられても、私は原色を使い続けるであろう。

 元の色が一番美しいのだと、自分に言い聞かせた。

 玄関から出ると、迅君がいた。

「迅君?」

「よっ、今日も一緒に帰ろうぜ」

「で、でも……」

「不審者に出くわしたらどうするんだよ。出たところはお前の家の近くにある森なんだぞ?」

 そう言われてみればそうだった。私はその時、何か違う事を考えてて聞き逃したに違いない。それで、後になってその事を話題としている女子のグループの近くを通って聞いたんだ。

「そうだね、私が抵抗できると思わないし。迅君と帰るよ」

 そう言うと、迅君はにっこりと笑った。その笑顔はまるで太陽のようだ。キラキラしていて、私にはないものがある。羨ましいな、迅君。

「よし、そうと決まれば帰るぞ!何かあったら俺が守ってやるぜ!」

「あははっ、頼もしいボディーガードさんだね」

 私は手を口元に当てて笑った。こうして笑うのも、何だか最近はなかったような気がする。目まぐるしく回る世界で、私は必死だったのだろうか。でも、何が必死で、何処が必死だったのか自分でも分からない。

 そんな事は今は忘れよう。今は楽しみたいんだ、この時間を。

「ボディーガードか、いいな」

 迅君は真剣に考え始めていた。

「俺がボディーガードになったら、月乃を守るかな」

 迅君が不意にそう言った。

「どうして?私、守られるほど偉くなった覚えがないんだけどなあ」

「俺が個人的に守りたいだけだ」

 私はその言葉を聞いた瞬間、少しだけ心臓が跳ね上がってしまった。ああ、どうしてだろう。

「どうして?」

「お前、何か危なっかしいからよ。ちっちゃい時からそうだよな~、面倒事ばっかり引き受けて、自分で溜め込んで最後に誰も見えないところで爆発するんだかよ」

 迅君は歩く、私は止まってしまった。何故か足が進まなくなってしまったのだ。

「月乃?」

「……ねえ、迅君」

「ん?」

「私、昔から迅君にしか爆発した私を見せてない。ううん、見せられないの」

 髪を耳にかけながら、私はそう言った。

 風がそよそよと通り、空が赤くなっている。迅君の髪や前のボタンの空いた学ランから見えるワイシャツが茜色に染まっていた。

「どうして?」

「分からない」

 すると、迅君は面白おかしく笑った。

「なんだそれ!」

「分からないものは分からないの」

 私は迅君に小走りで駆け寄る。隣に立って、迅君を見上げると、優しく笑って私の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「髪の毛ボサボサ攻撃!」

「うわああああっ」

 昔、これをよくされた事だ。幼稚園でからかわれて泣きそうになった時、公園で迷子になりかけて泣いてしまった時、小学校で当時流行っていたふわネコちゃんのストラップをなくして泣いていた時。

 今思えば、迅君は私の頭を撫でる時は決まって泣きそうになったり、泣いていた時だった。あのふわネコちゃんは迅君が見つけてくれたっけ。

 私、今泣きそうになっているのだろうか。自分の目を指で確認するが、涙は出てこない。目頭も熱くはならない。

 心の中で、私は泣いているのだろうか。でも何に?でも、無性に元気が出てきた。

「元気出た?」

「うん!」

 私は笑顔で頷く。この時がとても幸せで、私は何だか泣きそうになった。でも、その涙を私は無理やり引っ込める。

 「迅君、今日はありがとう」

 「お?いいって」

 ポケットの中に手をつっこみ、少し下を向いて迅君は笑っていた。そして、分かれ道が見えてくる。

 「じゃあ、また明日ね」

 「ああ。また明日な」

 無邪気に手を振る迅君。私はしばらく彼の後ろ姿を見つめてから、踵を返して家へ向かった。



 次の日、放課後のホームルームでまたあの不審者の件が取り上げられていた。不審者はまた同じ格好でうろついていたらしい。私の住んでいる住宅街の裏にある森で出現したそうだ。あの森はよく中学生や高校生が夜に肝試しとして行っている。

 あの辺りは確かにこの学校の生徒達が通学路として使っている。夕方になれば薄暗くなるし、不審者にとってはいい場所だろう。

 過去に、あの森の中に言って絵を描いたことがある。綺麗な白い百合の花が忽然と咲いていたのを覚えている。

 私は先生の話を半ば聞き流し、窓の外を見つめていた。空は青く、白い雲が浮いていた。不意に北岡君に視線をずらせば、彼は机の下で隠すように本を読んでいた。

 すると、当番が規律と号令をかける。

 「さようなら」

 その声は、まるで合図だった。生徒達は一斉に教室を出ると、部活へ向かう者、そそくさと帰る者もいた。すると、北岡君が席を立った。私は少し距離を置いて北岡君の後ろを付いていく。

 理科室のある校舎へ到着した時、北岡君が立ち止まった。

 「人、いないし。隣歩いてもいいよ」

 「あ、うん!」

 私は北岡君の隣に駆け寄り、歩いた。でも、やっぱり北岡君の方が歩くペースが早い。歩幅のせいもあるかもしれない。私は北岡君に合わせた。

 北岡君はポケットからブ理科室の鍵を出した。ガチャリと音を立てて開錠された。ドアが開くと、薬品の匂いが漂った。この匂いには慣れないものだ。

 「今日は何をするの?」

 私がそう聞くと、北岡君は薄く笑いながら言う。

 「月乃さんはさ、炎の色は何種類知ってる?」

 突然の質問に私は戸惑ってしまった。私の見たことのある限りでは、赤と青の二種類だ。

 「二種類、赤と青の」

 「だろうね、一般的な人はそうだろう。……でもね、俺は色んな色の炎を知っている。君にこれから見せてあげる。まず、これをつけて」

 渡されたものは眼鏡だった。かけてみたけど度が入っていない。

 「ダテ眼鏡?」

 「この実験は薬品が飛んでくる危険性があるから、つけて」

 そう言うと北岡君も眼鏡をかけた。すると、白い陶器でできた小さなトレイを取り出した。そこにアルコールを少々入れ、コットンを小さくボール状にすると、アルコールを染み込ませた。

 どんな事が起こるのか、私は心臓の音を鳴らせて期待していた。

 北岡君は慣れた手つきで、それぞれのトレイに粉を入れる。一つには入れていないようだ。

 「見てて」

 まず一つ目に、マッチで火をつけた。これは赤い炎だ。どこでも見る赤い炎。

 二つ目の炎が付けられた時、私は感嘆の声をあげる事になった。炎が黄色なのだ。

 「すごい……」

 「これからだよ」

 三つ目の炎は橙黄。黄色と区別が少し付けづらいが、私には分かった。四つ目は緑色の炎に、五つ目は紫色の炎になった。

 「これ、どうなってるの?」

 「さっき入れた薬品だよ。黄色がナトリウム、橙黄がカルシウムで、緑がホウ素、紫がカリウム。この実験は、本来なら高校でやるんだけどね」

 「そうなんだ。すごいね」

 「花火にも色が付いているだろ?あれはこれと一緒の事をやってるんだ」

 「へぇー」

 本当に、北岡君は何でも知っている。私の知らない全てを知っているようだ。

 「北岡君、魔法が使えるみたい」

 「は?」

 私は少し困った顔をする北岡君を見て、クスリと笑ってしまった。

 「何がおかしいの?」

 「だって、凄い事をしているもの。炎の色を変えるなんて凄いことだよ!」

 すると、北岡君は小さくため息をついた。

 「別に、凄くなんか……」

 「そんな事ないよ、北岡君は凄い人。だって、世界を広く見せてくれるもの。知らなかった事を教えてくれるじゃない」

 「そ、それは君だ……」

 すると、チャイムが鳴り響いた。下校時刻のチャイムではなく、放送のチャイムだ。

 「北岡裕也君、至急校長室まで来てください。北岡裕也君、至急校長室まで来てください」

 放送が終わると、北岡君はそうだったと言う顔をしていた。何かの用事でも思い出したように、北岡君は理科室を走って飛び出した。

 「北岡君!?」

 「すぐ戻るから待ってて」

 私は理科室にポツリと残されてしまった。炎は形を変えながら揺らいでいる。炎を見ると、心が安らいだ。私はノートと筆箱を出し、色とりどりの炎を描き始める。

 彼の生みだした炎。彼の手からは色んなものが日々生まれている。そう思うと、何だか彼が不思議な存在に思えた。

 しばらく描いていると、理科室のドアが開いた。

 「ごめん、校長室に呼ばれてたの忘れてた」

 「いいよいいよ、気にしないで」

 彼が物忘れをするなんて、珍しいと私は思った。北岡君が手にしているのは小さな箱だった。

 「それは?」

 「ああ、これはこの前賞を貰った時の作品だよ」

 「へぇー」

 「見たい?」

 北岡君が聞いてくる。まるで私の心を見透かしたように。

 「見たい」

 そう言うと、北岡君は箱の中身を見せた。そこには黒いリストバンドが入っていた。

 「リストバンド、だね」

 「ただのリストバンドじゃないよ。これは防犯リストバンド」

 「防犯?」

 私は聞き返した。すると、北岡君は説明を始めた。

 「このリストバンドには0.005Aの電流が流れているんだ」

 「それって、どれくらいの電流なの?」 

 「痛みを感じて、あとに少しだるさが残るくらいかな。もう少し改良して弱くするつもりだよ。それで、このリストバンドの中には―――」

 北岡君の説明を聞く。途中までは分かったけど、後からわからなくなり北岡君に質問する回数が多くなった。それでも彼は丁寧に答えてくれた。

 「それで、よく男性は手首を掴んで拘束したりするだろう?掴まれた時にここにあるスイッチが押されて相手に電流が流れるんだ。相手に押し付けても流れる」

 「へえー。じゃあ、これがあれば不審者に襲われても大丈夫だね」

 「そうだね。防犯グッズだし」

 「これ商品化とかしないかな?」

 「どうだろうな」

 北岡君が微かに笑いながら言う。

 「北岡君って、よく喋るよね」

 すると、北岡君は少し不満そうな顔をした。

 「俺は元々よく喋るよ。どうして教室で喋らないか聞きたいんでしょ?単に話す相手がいないからだよ。俺の話なんて、つまらないし」

 「そんな事ないよ、私は面白いと思う」

 「……月乃さん、相当の変わり者だよ」

 そう言う北岡君の表情は、何だか少し嬉しそうだった。

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