プロローグ
この小説には多少残酷な描写がございます。ご了承ください
平和は音もなく壊れる。それはまるでシャボン玉のように、儚く、脆く。
六月のある土曜日、私は生まれて初めて髪を切った。正確に言えば、ショートカットにしたのだ。
うなじに風が通るのを感じ、思わず鳥肌が立った。
頭が軽くなるのを感じて、月乃は閉じていた瞼を開く。そこには確かに私がいた。ショートカットの私だ。
「月乃ちゃん、短い方も似合うわね」
「ありがとうございます」
幼い頃から通っている美容院の美容師さんにも言われ、私は少してれくさかった。
「でも、髪のアレンジができなくなっちゃったね、寂しいなあ」
「そうですか?」
そもそも、私は髪のアレンジをした事がない。よくクラスメイトからされたりはするけど、すぐに元に戻ってしまう。髪質が良すぎる、との事。良く言えば髪質がいい。悪く言えば髪質が良すぎるのだ。妬まれる程に。
私は美容院を出ると、車に乗り、短くなった自分の髪を撫でた。
髪を切ると言ったのは、これが人生で初めてかもしれない。私は軽く頭を揺らし、靡く自分の髪を少し誇らしげに思った。
日曜日の朝、起きると自分の髪がボサボサになっていた。今までロングヘアーで、癖もつかなかった自分の髪に、癖がついている。
しかし、その癖は櫛で梳かせばすぐに直ってしった。その点、私は人より得しているのだろう。
家という環境は、一番落ち着く。勉強のしやすい雰囲気、小綺麗な机の上には筆箱とノート。部屋は質素で、飾り気がない。流行のアイドルのポスターや、漫画と言ったものはない。
本棚が二つ、机は一つ、箪笥、ベッドが一つ。大きな窓が一つ。これだけそろっていれば私は十分なのだ。
休日の過ごし方。私は半日を家で勉強をして過ごし、半日は図書館で本を読む事にしている。昔から図書館は大好きで、よく利用していた。家からも近いし、母さんによく連れてってもらった。
八時に朝起き、テレビをつければマスクライダーがやっている。小さい頃はよくこれを見たものだ。何だか懐かしい。
机の上には置き手紙と五千円札が置いてあった。母さんの字だ。
手紙の内容は、図書館の帰りに近くのスーパーで書いてある食材を買ってきてほしいとの事。よくある事なので、私は五千円札を財布の中に入れた。
茶碗にご飯を盛り、割った卵をその上からかける。艶のある黄身が光り、食欲を煽った。世に言う卵かけご飯。これが私は大好きだ。手軽に食べれるし、美味しい、それにあまり洗い物を出さないという利点がある。ここまで出来た料理はないだろう。
卵かけご飯を食べ終え、自室に戻って勉強をする。今日は理科と社会をやればいいだろう。教科書を手に取ろうとすると、声をもらした。
「あ……」
図書館で借りた森鷗外の舞姫という作品だ。借りたのは先週の日曜日。今日が返却日だ。まだこの作品を読んでいなかった。
予定を変更し、図書館に行って勉強をして本を読む事にした。そしてその帰りに買い出しだ。
スクールバッグの中に舞姫と教科書、ノートを入れる。服はあまり目立つとは言えない地味な服を着る。本音を言えば、制服でいつも出歩きたい。制服で出歩く事、というのが校則にあるからだ。
しかし、そんな校則はおそらく誰も知らない。私以外の誰も知らないだろう。先生も知らないだろう。多分だが、生徒手帳を全て読み、暗記した生徒は私だけだと思える。
どうでもいい事かもしれないが、校則は全て頭の中だ。しかし、休日に女子中学生が制服で出歩くのもどうかと思う。真面目で勤勉というイメージを持つも者いれば、変な人というイメージを持つ者もいるだろう。
世の中、色んな人で溢れかえっている。これは、私の世間体を気にした結果なのだ。
私は玄関を開け、鍵を閉めて家を出ていく。
「おっと、言い忘れてた。いってきます」
短くなった髪を、わざと揺らすように私は歩いた。