第8話:二つの訴え、そして善意
テオドール・ヴァイスの声が法廷に響く。
「王都の薬品市場において、被告リーゼ・ハイルマンの行為がもたらした損害は、自由競争の範疇を著しく逸脱しています」
傍聴席の景色が、一年前とは一変していた。揃いの青いマントのファンクラブはいない。代わりに並んでいるのは、深い皺を刻んだ元薬屋の店主たちだ。誰も一言も発さず、ただ被告席を見つめている。その沈黙のほうが、どんな怒号よりも重い。
テオドールは商法専門の弁護士だ。感情に訴えかけるような真似はしない。淡々と、数字だけで法廷を支配する。
「王都には百二十七軒の薬品商がございました。冒険者向けの回復薬だけでなく、風邪薬、解毒剤、鎮痛薬、傷薬。一般市民の健康を支える製造と小売の両方を担っていた店舗です。そのうち九十四軒が廃業に追い込まれました。市場価格は八十七パーセント下落。影響を受けた従業員とその家族は二千人を超えます」
テオドールは資料を一枚めくった。
「被告のポーションは回復だけでなく解毒・鎮痛にも効果がある万能薬です。結果として冒険者向けの需要だけでなく、一般市民向けの薬品需要まで奪いました。風邪薬専門の店も、傷薬だけを扱う小さな薬屋も、すべて同じ相手に売上を持っていかれたのです」
さらに続ける。
「加えて、被告の大量生産は原材料の価格にも壊滅的な影響を与えています。被告一人が王都近郊の薬草をほぼ独占的に買い占めた結果、薬草の仕入れ価格は一年で三倍に高騰しました。残った薬品商は売上を奪われた上に、仕入れ値まで跳ね上がる。製造も小売も、両方が殺されたのです」
資料の束を掲げ、一軒一軒の資金繰りと看板を下ろすに至った過程を論理の刃で切り裂いていく。ヴェルナーは胃薬の瓶に指をかけた。前回の裁判でオスヴァルトの稚拙な論理をかわしていた頃とは、明らかに状況が違う。今度の原告側弁護士は、まともだ。まともだから厄介だ。
続いてヘルムート・シュタイン。この時点では財務省の代理官として立っている。氷のような瞳の男だ。
「薬品商ギルドからの税収は前年比九十二パーセント減。市場の急速な縮小は、原料となる薬草農家の連鎖倒産すら招きかねません。被告の行為は、王国の経済秩序を根幹から揺るがす脅威です」
ヘルムートの声に私情は混じらない。リーゼという個人を憎んでいるわけではない。秩序という歯車の不純物を法で取り除こうとしているだけだ。その冷静さが、かえって逃げ場を塞ぐ。
「……反論はありますか、弁護人」
ヴェルナーが促すと、ゲルダが立ち上がった。
「原告側は随分と悲劇的な数字をお並べになる。ですが——私の依頼人は、ただ優れた商品を安い価格で提供しただけです。それを罪と呼ぶのですか」
経済理論としては正しい。だが、九十四軒の廃業という現実の前では空虚に響いた。ゲルダ自身もわかっているのだろう、いつもの余裕がわずかに欠けている。
ヴェルナーは胃薬を飲んだ。
◇◇◇
「安くて、いい薬を、みんなに届けたかっただけなんです」
証言台に立ったリーゼは、困り果てたような顔で言った。一年前の追放裁判のときと変わらない、濁りのない瞳。
「冒険者さんは、みんな喜んでくれました。"リーゼちゃんのポーションのおかげで死なずに済んだよ"って。だから、もっとたくさん作らなきゃって思ったんです」
悪意はない——そう見える。目の前の怪我人を救いたいという善意と、かつて自分を捨てた者たちへの「見返してやりたい」という自尊心。それが彼女の中では矛盾なく同居しているようだった。
けれどもテオドールは黙っていなかった。静かに立ち上がる。
「被告。あなたの事業の最盛期における日産本数は一日あたり七百本。これは王都全体のポーション需要の二倍を超えます。さらに、供給過剰となった在庫を隣町にも安値で送り、広域にわたって市場を破壊しています」
「それは……遠くの町の人も、困っていると思ったからで……」
「さらに現在は日産を三百五十本にまで半減させつつ、価格を四倍の二百クローネに値上げしている。競合が全て消えた後のこの動き。これも善意で説明するつもりですか」
リーゼは言葉を詰まらせた。俯いたまま、何も答えない。
ヴェルナーは手元の記録に目を落とした。善意か、計算か。あるいはその両方か。




