第7話:一年後の王都
薬師通りの匂いが消えていた。
一年前まで、この路地には薬草を煮詰める独特の、鼻を突くような匂いが立ち込めていたはずだ。王都随一の薬師が軒を連ね、朝から晩まで調合の蒸気が窓から漏れ出していた。
今はシャッターが下り、看板に埃が積もり、乾いた風だけが吹き抜けている。
ヴェルナー・クラフトは出勤の足を止めた。
かつて愛用していた『銀の匙薬局』。鎖で繋がれた扉に「閉店」の札が無造作にぶら下がっている。隣の老舗薬草店も、向かいの調剤所も同じだ。一軒、また一軒と灯が消えていった通りは、商店街というよりも墓地に近い。
ところが、通りの角を曲がると風景が一変する。
朝露に濡れた石畳を埋め尽くすほどの長蛇の列。粗末な鎧を着た冒険者たちが殺気立った声を上げていた。
「おい、押すなよ! 今日は百本限定だぞ」
「昨日の夕方から並んでるんだ、こっちは命がかかってんだよ!」
列の先にあるのは、真新しい白壁の店舗。看板には金文字で『リーゼ・ポーション直売所』と刻まれている。
一年前、法廷で「もう、どっちでもいいです」と呟いて街を出たあの薬師が、今や王都のポーション需要を一手に握っていた。
「おい、隣の町の薬屋も潰れたらしいぜ。リーゼ様がそこにも出荷を始めたからな」
「ありがたい話さ。あいつがいなけりゃ、俺たちの稼ぎは全部薬代に消えてたんだから」
無邪気な感謝。閉まった薬屋のことなど、誰も気にしていない。安くて良い薬が手に入る。冒険者にとっては、それだけが正義だ。
だが、シャッターの向こう側で何十年も薬を作り続けてきた人間がいたことを、彼らは知っているだろうか。
ヴェルナーは懐から胃薬の小瓶を取り出した。一錠を口に放り込み、ぬるい唾液で飲み下す。一年経っても胃薬の味は変わらない。世界のほうは、ずいぶん変わった。
裁判所に着くと、ハンスが白湯を差し出してきた。
「おはようございます、クラフト判事。また少し、顔色が悪くなりましたね」
「嫌味を言うために早起きしたのか」
「まさか。朝一番で、判事の胃にとどめを刺しそうな書類が届いたんですよ」
ハンスが差し出した訴状は二通。一通目の原告は「王都薬品商人ギルド代表、マルクス・ゴールドハイム」。二通目は「王国財務省」。
どちらの訴状にも、被告の名前は同じだった。
リーゼ・ハイルマン。
ヴェルナーは椅子に沈み込んだ。商人ギルド側は百二十七軒中九十四軒の廃業を主張。市場価格の八十七パーセント下落。影響を受けた人数は二千人超。数字の羅列が、一年間の破壊の規模を物語っている。
ページをめくるたび、一年前の記憶が蘇る。リーゼの製造能力を正当に評価し、百万クローネの賠償を認めた。あの判決は法律家として正しかった。今でもそう思っている。
しかし、その正しい判決が彼女に「自分の力には価値がある」という確信を与え、その確信がこの焦土の起点になったのだとしたら。
ヴェルナーは訴状を閉じ、天井を仰いだ。
「……ハンス。前回の追放裁判の被告は、勇者レオン・アストレアだった」
「ええ」
「今回の被告は、前回の原告だ」
「ええ。皮肉なものですね」
皮肉で済めばいいのだが。




