第67話:感謝と勘定
再びジークフリートが割って入った。
「しつこいぞ、奉行! いいか、よく聞け。俺が魔王を倒さなかったら、この世界は滅んでいた。お前らが今こうして温泉に浸かって団子を食ってられるのは、俺のおかげだ。感謝こそすれ、金を請求するなんて——」
「感謝」
カゲアキが静かに繰り返す。
「感謝、ねえ」
立ち上がる。飄々さが消える。
「お前さんが魔王を倒したのは事実らしい。ご苦労だった。——だがな」
「感謝と勘定は別だ」
白洲が静まり返る。
「世界を救ったから宿代がタダになるか。ならん。世界を救ったから屋台をひっくり返していいか。よくない。世界を救ったから家を壊していいか。いいわけがないだろう」
「お前さんがやったのは"魔王を倒した"だ。立派だ。だがお前さんがここでやったのは"町を壊した"だ。——別の話だ。功績と犯罪は相殺しない。百の善行があっても、一の悪事は一の悪事だ」
ジークフリートが搾り出す。
「俺は英雄だぞ……」
「英雄なら、なおさら恥を知れ」
法廷が静まる。ジークフリートが、初めて黙った。
◇ ◇ ◇
カゲアキが着流しの片肌を脱いだ。
あらわになった右肩から背にかけて、鮮やかな墨色が躍る。
それは、舞い散る花吹雪とともに枝を伸ばす、見事な垂れ桜の刺青だった。諸国巡回奉行のみがその身に刻むことを許される、法の番人の証。
「この桜が……まあ、背中だから自分じゃよく見えんのだがな」
カゲアキが少し照れくさそうに肩をすくめると、控えていたハヤテがすかさず呆れた声を出す。
「お奉行! 毎回それ、やらなくてもいいと言っているでしょう!」
「馬鹿を言え、様式美だ。——黙れ」
カゲアキは再び座に戻り、手にした扇子を膝の上でパン、と力強く叩いた。
「これより、裁きを申し渡す」
「勇者ジークフリート・フォン・グランツ。器物損壊、脅迫、宿泊費詐取、その他町内における乱暴狼藉。被害総額二百六十両の、全額弁済を命じる」
「二百六十両だと!? そんな金、あるわけねえだろ!」
「払えないなら、町の修繕を自分の手でやれ。お前さん、攻撃力八千五百なんだろう? その力で壊したんだ。その力で直せ。家を建てろ。屋台を組め。看板を掛け直せ。——町が元通りになるまで、この里から出ることまかりならん。なお、勇者認定証は東嶺国内では紙屑に等しい。ただの旅人として、一般労働者と同じ日当で働いてもらう。勇者加算など一文たりとも認めん」
「戦士バルド。屋台破壊および町人への暴行。弁済に加え、禁錮三十日を申し付ける。牢で酔いを覚ませ」
「魔法使いフェリックス。放火の罪により弁済を命じる。——本来、大火であれば火罰が相当だが、燃えたのは看板一枚だ。お前は"止められなかった"と言った。嘘じゃないだろう。禁錮は免じる。だが看板を燃やした温泉宿で、修繕が終わるまで無償で働け。自分の手で直せ。それがお前の"止められなかった"の落とし前だ」
「回復魔法使いエルザ。直接の加害行為はない。——だが"ジーク様がおっしゃるなら正しい"と言って全てを肯定した。それは共犯だ。弁済に参加しろ。あと——」
カゲアキは一拍置いた。
「自分の頭で考える練習をしろ。それは判決じゃなく忠告だ」
扇子で膝をパンと叩く。
「——これにて一件落着」
◇ ◇ ◇
数日後。霧隠の里には、小気味よい木槌の音が響いていた。
「おい、そこ! 柱が曲がってるぞ! 右だ、もっと右!」
大工の棟梁トメゾウの怒鳴り声が飛ぶ。
「クソッ、なんで俺がこんな……! 重い……なんだこの丸太は!」
額に汗を浮かべ、泥にまみれて巨大な木材を担いでいるのは、かつての勇者ジークフリートだ。攻撃力八千五百の怪力も、棟梁の「建築の理屈」の前では宝の持ち腐れ。少しでも手元が狂えば、「攻撃力は高いが理解力は低いな、このガキは!」と怒号が飛んでくる。
温泉宿の前では、魔法使いフェリックスが慣れない手つきで筆を握っていた。
「……フェリックスさん、字が下手ねえ。これじゃ看板にならないわよ。もう一回書き直し!」
女将にピシャリと言われ、彼はため息をつきながら墨をすり直す。
市場では、回復魔法使いのエルザが魚屋の親父に捕まっていた。
「いいか嬢ちゃん、魚を触るときは優しくだ! 魔法で鮮度を戻せばいいなんて思うなよ、職人の意地があるんだ!」
「は、はい! すみません!」
牢屋の格子窓からは、バルドが暇すぎて筋トレに励む姿が見えた。
カゲアキは温泉に浸かっている。
「お奉行。勇者が"いつまで働けばいい"と聞いています」
ハヤテが湯の外から声をかける。
「町が直るまでだ」
「……あと何日くらいでしょう」
「棟梁に聞け。あの棟梁が"よし"と言ったら終わりだ。攻撃力十二の棟梁がな」
カゲアキは湯船で団子を頬張った。
「…………いい湯だ」
「お奉行。次の巡回先が——」
「まあまあ。もう一日くらい」
遠くで勇者が木材を落として棟梁に怒鳴られている声が聞こえる。




