第49話:記録がないのに?
「まず、本件の退学処分について反論します。処分は学院校則第二十三条に基づき、適切に執行されました。『他の生徒に対し、正当な理由なく暴行を行った者は退学とする』。原告が被告に対し攻撃魔法を行使した事実に争いはありません。校則の適用に瑕疵はない」
「次に、決闘制度の違法性について。決闘は学院創設以来、四百年にわたって受け継がれてきた伝統です。生徒間の紛争を制度的に解決するための仕組みであり、学院に認められた高度な自治権の範囲内です。本件の決闘も教職員の承認のもと、双方が合意の上で行われました」
「最後に、いじめの訴えについて。原告が提出した記録帳はあくまで個人の日記であり、客観性は認められません。学内秩序委員会に相談があったことは事実ですが、委員会は審議の結果、証拠不十分と判断しました。手続きに不備はありません」
リディアは表情を変えず、被告席を見る。
「学内秩序委員会の調査記録を提出してください」
「……記録、と言われますと」
「言葉通りの意味です。委員会がいつ、誰に、どのような聞き取りを行い、どのような証拠を検討したのか。その文書を速やかに提出しなさい」
ヘルベルトが手元の資料を捲る。求める記述はない。
「…………」
「ないのですか」
「調査は、担当教官および寮監への口頭による聞き取りを中心に行われました。学内の自治に基づく機密保持の観点もあり、書面の記録は作成しておりません」
「調査記録がない。つまり『調査した』という証拠がない。——原告の相談を『証拠不十分』で却下したと言いますが、調査をしなかったのでは?」
「……調査は行いました」
「記録がないのに?」
コンラート・フォン・リンデンベルクが証言台に立つ。金色の髪が魔導灯の光を反射する。余裕のある笑みを浮かべ、この場を談話室か何かと勘違いしているかのようだ。
「被告リンデンベルク。原告へのいじめについて」
「いじめとは言葉が過ぎますね。私は彼を指導していただけです。平民の奨学生は学院のレベルについていけないことが多い。先輩として厳しく接しただけのこと」
「『先輩として』。——あなたは原告と同学年ですね」
「学年は同じですが、家格が違います」
「家格。——この法廷で問うているのは学院の規則であって家格ではありません」
「学院の実態をご存知ないのですか。貴族の子弟が平民を——」
「知っています。私は威力等級Eの卒業生です」
法廷が一瞬黙る。
「続けてください」
「……研究データの消失は事故です。実技演習中の攻撃も事故です。食堂での発言は冗談です」
「決闘の前日、原告の魔力が大幅に消耗していた件について」
「決闘は公平です。前日の授業で疲れていたなら、それは本人の実力不足でしょう」
「前日の授業で、あなたの仲間三人が原告に集中攻撃をしていた記録がありますが」
「授業の一環です」
「授業の一環で、翌日に決闘を控えた相手を三人がかりで消耗させる。——授業の一環ですか」
コンラートが黙る。
エミールが立ち上がった。
「裁判長。四月十二日の『事故』について。当日の実技演習の配置図を提出します。当日の演習は全員が北を向いて固定標的を狙う形式です。僕は一列目の右端。僕を攻撃したディートリッヒ・ホフマンは五列後方に配置されている。前方の生徒に、後方から攻撃魔法が『事故で』当たることはありますか」
「……学院側。この配置図の真偽を確認してください」
「…………」
エミールが証言台で息を吐く。被告席のコンラートを一度も見ない。
「研究データが消えた日、僕は我慢できなくなってコンラートに魔法を撃ちました。——それは事実です。先に手を出したのは僕です」
「なぜ手を出したのですか」
「半年分のデータです。卒業論文のための。毎日、授業の後に三時間、研究室で積み上げたものです。それが全部消えた。『事故で』。学院に相談しても『証拠がない』の一点張りでした。奨学金の維持条件は卒業論文の提出です。データがなければ論文が書けない。論文がなければ卒業できない。卒業できなければ奨学金の返済が——」
「……他に何ができたんですか」
リディアは何も答えない。
「コンラートが『決闘で決着をつけよう』と言いました。教師のハーン講師がその場で承認した。僕は——他に選択肢がなかった。学院は相談を聞いてくれない。決闘以外に、事態を動かす方法がなかったんです」
「決闘に合意したのは、あなたの自由意思ですか」
「他に選択肢がない状態で、それを『自由意思』と呼べるんですか」
リディアが、一瞬だけ息を止める。
「決闘の前日、実技授業がありました。コンラートの取り巻り三人が、授業中に僕を集中的に攻撃しました。『授業の一環』として。教師はそれを止めなかった。決闘の当日、僕の魔力は通常の三割しか残っていませんでした」
「学院側。決闘前日の実技授業の記録を提出しなさい」
「……提出します」
「学院は決闘の公正性を担保する義務がありましたか」
「決闘はあくまで、当事者双方の合意に基づく解決手段です。学院は場の提供と承認を行う立場であり——」
「質問に答えてください。学院には決闘の公正性を担保する義務がありましたか。はいか、いいえか」
「……校則には明文の規定はありません」
「規定がなければ、不正は放置していいのですか」
ヘルベルトが声を張り上げる。
「裁判長。学院の決闘制度は四百年の伝統です。この制度を裁判所が否定することは、学院の自治権への介入になります。学術機関の自治は——」
「学院長」
リディアの低い声が遮る。学院長オットー・フォン・シュテルンが顔を上げた。
「私も学院の卒業生です。威力等級Eの」
「在学中にいじめを受けませんでしたか。私は」
「……リディア判事。それは本件とは——」
「本件そのものです。私は運がよかった。庇ってくれる教授がいた。制度が守ったのではない。個人が守った。原告にはそれがなかった。それだけの違いです」
「…………」
ヘルベルトが最終弁論に立つ。校則の条文を引き、判例を引き、学院の自治権を主張する。流暢で、論理的で、隙がない。だがその全てが「制度は正しい」を前提にしている。
リディアが原告席に視線を移した。
「原告。最終陳述を」
エミールが椅子を引く。脇に抱えていたノートを机に置いた。
「僕は、法律の専門家じゃないです。この半年、仕事の合間に独学で勉強しただけで。だから、さっきも『不当』と『不法』を間違えたし、訴状の書き方もおかしいところがあると思います」
「でも、何が起きたかは全部覚えています。この半年分の記録は全部本当です。日付も、場所も、誰が何を言ったかも。四月十二日に後ろから焼かれたこと。五月三日に『平民席はあっちだ』と言われたこと。研究データが全部消された日のこと。——僕が持っているのは法律じゃなくて、事実です」
「……何をすればよかったんですか」
「学院に何度も相談しました。そのたびに『証拠がない』と言われました。我慢もしました。殴り返せば僕だけが退学です。次の奨学生が来たら、同じことが起きます。何をすればいいんですか。それだけ教えてください」




