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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
Z-209号 聖なる加護の囲い込み 合意無効確認請求事件
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第40話:弁護士が祈ったら終わりです

 法廷の重厚な扉が開かれ、人々が外へと流れ出す。


 アンナがマルガレーテのもとへ駆け寄る。一年ぶりの、震えるような抱擁。アンナは泣いている。マルガレーテも泣いている。「帰る」とは口にしない。だが母の腕の中で声を上げて泣き続けた。


 その傍ら、クラウスがベアトリスの前に不器用に立っている。

 彼は大きな手を差し出した。


「家に来い。部屋はある」


 ベアトリスはまだ、その手を取れない。俯いたまま、動かなくなった兄の手を見つめている。


 中庭のベンチ。フリーダとディーターが並んで座る。

 二人の間に言葉はない。ディーターも何も言わず、ただ娘の隣にいる。


 法廷の出口。エルマ・リントナーが足を止め、ヴィクトールを振り返る。


「……あなたの勝ちです」


「知ってます。——開廷前から知っていました。弁護士が当事者の時点で、あなたに勝ち目はなかった。壊れた構造で法廷に出てきたのは、あなたです」


 ヴィクトールは振り返りもしない。壁にもたれたまま、爪の先を見ている。


「……私は、気づくべきでした」


「気づいてから法廷に来てください。 白だと思って自分を鑑定にかけて、緑が出て、法廷中の弁護士の前で恥を晒した。確信がないなら祈るな。弁護士が祈ったら終わりです。 ……独立はお考えですか。今のままだとあなたの経歴に『ハーレムの顧問弁護士』と書かれますよ。まあ、今日のあなたは弁護士ですらなかった。ただの当事者だ。お疲れさまでした」


 エルマは何も言わず、背を向けて歩き去る。ヴィクトールはその背中を見ていない。もう興味を失っている。

 代わって法廷から出てきたのは、陪席のルイーゼだ。

 ヴィクトールは壁に背を預けたまま、彼女を上から下まで眺めた。法服の裾、腰の線、手首、最後に目。隠しもしない。値踏みではなく鑑賞に近い。この男はそういう視線を堂々と向ける。


「ああ、陪席の方。結局お名前を聞けませんでしたね。 名乗らないのは商売の基本ですか? 元コントラクトの」


「——何を」


 ルイーゼの声が一段低くなる。目の温度が下がった。ヴィクトールはその変化を見て、嬉しそうに笑った。そう、この女はこの顔がいい。


「ベアトリスの鑑定のとき、あなたの手が動きましたね。手首に。——刻印の跡でしょう。 消えてても触る。体が覚えてる。僕は法廷で見逃さない主義なんです。特に女性の仕草は」


 ヴィクトールが一歩近づく。ルイーゼは退かない。


「…………」


「帳簿の読み方がプロだった。契約の話になると目が変わった。ハンデルスブルクの商会ですか。 いい目をしてますね。嘘を見抜く目だ。嘘をついてきた側の目だ」


「弁護士の分際で陪席の経歴を詮索しないでください」


 ルイーゼは短く切り捨てる。声は冷たいが、退いていない。ヴィクトールとの距離は一歩のまま変わらない。


「詮索じゃないですよ。褒めてるんです。 今日の法廷、あなたが一番面白かった。紫が出たとき、誰よりも先に意味がわかっていた顔をしていた。エルマより先に。 あの弁護士は自分が汚染されていることにすら気づかなかったのに、あなたは紫を見た瞬間に全部わかった。——『あの色』を知っている人間の顔だった」


「……審理は終わりました。失礼します」


 ルイーゼが背を向ける。ヴィクトールが、その背中に声をかけた。少しだけ声のトーンを落として。甘いのではない。近い。


「つれないなあ。 ところで。次にお会いするとき、あなたは裁判官席ですか? 陪席ですか? どっちでもいいけど、あなたの法廷で弁護してみたい。 商会育ちの裁判官、契約の読みが早い、嘘を見抜く、おまけに美人。——手強い裁判官ほど、勝ったとき気持ちいいので」


 ルイーゼが足を止める。振り返りはしない。


「あなたの法廷ではありません」


「いずれそうなりますよ。 僕が弁護人で立つ法廷は、全部僕の法廷です。また会いましょう。ルイーゼさん」


 ルイーゼが振り返る。


「……名乗っていませんが」


「書記官に聞きました。開廷前に。 僕は法廷に入る前に全員調べます。特に美人は」


 ヴィクトールは愉快そうに笑っている。勝った男の顔。法廷でも、この廊下でも。ルイーゼは一瞬だけヴィクトールの目を見返し、それから無言で廊下の角を曲がった。


 廊下の隅では、アルベルト・ヴァイスが椅子に座り込んでいる。

 泣いてはいない。ただ、焦点の合わない目で宙を見つめている。


「……僕は、みんなを幸せにしたかっただけなのに」


 その独白に答える者は、誰もいない。


 王都中央裁判所、判事執務室。

 マティアス・ブラントは、使い慣れた瓶から胃薬を喉に流し込む。


「判事。次の案件ですが」


 書記官が入ってきた。


「ヴィクトール・レンツの案件ですか」


「いいえ。今回は、違います」


 マティアスが、肺にある空気をすべて吐き出すように安堵のため息をつく。


「いいえ? そうか、それは良かった」


「はい。ヴィクトール氏は関わっていません。ただし、前回のハーレム判決を受けて、王都で同様の訴訟が十四件提起されています。全て家族からの集団訴訟です」


 マティアスの指が、ぴたりと止まる。


「…………」


「ヴィクトール・レンツ事務所が全件受任しています」


 マティアスは、空になった胃薬のボトルをじっと見つめる。


「……あの男は——」


ここまでお読みいただきありがとうございます。ブックマーク・評価をいただけると励みになります。なお『この異世界あるあるを法廷に立たせたい』等ございましたら、訴状提出窓口は感想欄にて承ります

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