第4話:宣誓書と爆弾証言
「原告の心情はお察しします。——しかし、感情と法律は別の問題です」
リーゼの発言で空気が変わったところに、オスヴァルトが立ち上がった。場の空気を読んだ上で、読まない。それがこの男の技術だ。
「改めて確認します。王国勇者認定法第十二条。"勇者は、魔王討伐に必要な判断を自律的に行う権限を有する。これにはパーティーの編成、解散、任務の選択を含む"。編成権は勇者の専権事項です」
さらに、オスヴァルトは一通の書類を取り出した。
「証拠乙第二号。原告がパーティー加入時に署名した宣誓書です」
四十八ページの法律文書だった。リーゼがこれに署名したのは十六歳のとき。
ヴェルナーは宣誓書を受け取り、ページをめくった。第一条から第三十二条まで、びっしりと法律用語が並んでいる。「自律的編成権の包括的委任」「異議申立権の不可逆的放棄」「勇者の判断に対する無条件の服従義務」。
一ページごとに、眉間の皺が深くなる。条文の一つひとつは法的に整っている。だからこそ質が悪い。素人にはまず読めない。
ヴェルナーは法学院で六年間法律を学んだ。それでも第十八条は三回読み返す必要があった。十六歳の少女が一読で理解できるはずがない。
「第十四条。"パーティーメンバーは、勇者の編成権に関する一切の判断に異議を申し立てない"。さらに第十八条。"報酬の有無、名称、公表の是非についても勇者の裁量に一任する"。原告はこれに署名しています」
最終ページに確かにリーゼの署名がある。十六歳の、丸っこい文字。インクが少しにじんでいた。「勇者様と一緒に冒険できる」——きっとその一心でペンを握ったのだろう。四十八ページの中身など読んでいるはずがない。
隣にはレオンのサイン。流麗な筆致。そしてその上に、勇者認定局の公印。国家がこの契約を追認している。
「弁護人。この宣誓書は四十八ページあります。十六歳の少女がこの内容を理解した上で署名したとお考えですか」
「署名は署名です、裁判長。理解の程度は署名の有効性に影響しません」
影響するんだよ。
ヴェルナーは内心で呟いた。だがこの世界にはまだ、消費者契約法に相当する法律がない。未成年者の判断能力の限界を、制度として保護する仕組みがない。十六歳の少女が「仲間になりたい」という一心で署名した四十八ページは、法的には完璧に有効だった。
ゲルダが即座に立ち上がる。
「十六歳の少女に、説明もなく四十八ページの法律文書を署名させた。これは実質的な——」
「法定代理人の同意は得ておりますな。手続きに瑕疵はございません」
オスヴァルトが穏やかに遮った。手続きは完璧。中身が地獄でも。
ゲルダは唇を噛んだ。条文上はオスヴァルトが正しい。正しいから腹が立つ。
第二の争点が浮上した。「勇者特権は無制限か。司法の介入は可能か」。
膠着状態。原告側は感情では勝っているが、法律では押されている。
——そのはずだった。
ゲルダが不敵に笑った。
「証人を呼びます。冒険者ギルド管理職員、トーマス・ベルント殿」
入ってきたのは四十代の事務官。地味だが、目は鋭い。手元に分厚いファイルを抱えている。
ヴェルナーはこの男を見て思った。この法廷で初めてのまともな人間かもしれない。
「追放後の勇者パーティーの任務達成率をお示しします」
トーマスは淡々と数字を読み上げた。感情を排した、事実だけの声。冒険者ギルドの事務官として十五年。数字だけを見て、数字だけを語る男だ。
「追放前の一年間——八十七パーセント。追放後の半年間——四十四パーセント。約四十三ポイントの低下です」
法廷がざわめいた。
「ポーション関連の出費は追放前の約七倍。負傷による一時離脱日数は三倍。パーティーの実戦能力は、薬師の追放により全面的に低下しています」
数字は嘘をつかない。レオンの「火力不足」という主張とは真逆の現実が、帳簿の上に広がっていた。
ここまでは予想の範囲内だ。ヴェルナーが予想していなかったのは、次の証言だった。
「さらに一点」
トーマスがファイルの新しいページを開いた。
「追放の一週間前、勇者認定局から勇者パーティーに対し、"パーティー人数上限五名"の通達が出ていました」
法廷が凍った。
「当時のパーティーは五名。薬師リーゼを含めて五名です。聖女アリシアを新たに加えるには、誰かを外す必要がありました」
ヴェルナーは被告席を見た。レオンの表情が、初めて崩れた。だがそれも一瞬のことで、すぐに「ああ、そういえばそんな話もあったかな」と呟いて聖剣の柄を撫でている。反省の色はない。
「レオン殿。リーゼを追放した理由は"火力不足"でしたね」
「……はい」
「しかし実際には、枠が足りなかった。聖女アリシアを入れるために、誰かを外す必要があった。追放の理由は"火力不足"ではなく"枠の都合"だったのではありませんか」
レオンは答えなかった。
五秒。十秒。法廷にはレオンの沈黙だけが満ちている。
これまでどんな質問にも即答していた男が、初めて黙った。その沈黙が、どんな自白よりも雄弁だった。
隣でオスヴァルトが異議を唱えようとしたが、ヴェルナーは手を上げて制した。
「証人の証言は記録に残します。追放理由に虚偽の疑いが生じました」
ファンクラブの傍聴席から、初めて沈黙が返ってきた。応援うちわを握る手が、わずかに下がっている。
ヴェルナーは胃薬の瓶に手を伸ばし、最終弁論の開始を告げた。




