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異世界判事―その奇跡、証拠はありますか?―  作者: 麻野籐次郎
行政審査事案第2808号 冒険者ギルドの正体
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第31話:無限責任

「もう一点、確認をさせてください」


 ニクラスはさらに深い領域へ踏み込むように言葉を継ぐ。その声はどこまでも穏やかだが、ハインリヒの背筋には冷たいものが走る。


「冒険者ギルドは、自由都市リベルタス、あるいは大陸のいずれかの都市において、法人格を取得していますか。つまり、法人登記は行われていますか?」


「……法人登記、ですか」


 エーリッヒが、力なく眼鏡のブリッジを押し上げる。彼は手元の資料をめくるが、探している答えがそこにないことは分かっていた。


「いえ、行っておりません。冒険者ギルドは三百年前の設立協定に基づく独立組織であり、既存の国家や都市の法体系を超越した存在であると自負しております」


「なるほど、設立協定ですね」


 ニクラスは満足げに頷く。


「ですが、その協定の有効性に疑義がある点は先ほど確認しました。原本がなく、締約国の過半数が消滅している。法的に見れば、それはもはや有効な国際条約とは呼べません。法人格がない。つまり冒険者ギルドは、法的には単なる『権利能力なき社団』に分類されます」


「……権利能力なき、社団?」


 ハインリヒが、聞き慣れない単語を反芻するように呟く。


「それが何か問題なのか。法人だろうが何だろうが、我らが大陸一の武力組織であることに変わりはないだろう」


「ええ、組織としての実態はそうでしょう。ですが、責任の所在が変わります」


 ニクラスは人差し指を立て、法廷の全員に聞こえるようゆっくりと説明を始めた。


「法人格を持つ組織であれば、その組織が抱えた債務……例えば賠償金や借金などは、組織の財産から弁済されます。構成員個人の財産にまで責任が及ぶことはありません。いわゆる『有限責任』です。ところが――」


 ニクラスは立てた指を、ハインリヒの方へ向ける。


「法人格のない組織の場合、その債務は構成員全員が連帯して、無限に責任を負うことになります。組織の金が足りなければ、個人の貯金も、家も、家財道具も、すべて差し押さえの対象になる。これが『無限責任』です」


「……構成員というのは、誰を指すんですか」


 エーリッヒの声が、上ずっている。


「原則として、その組織の意思決定に関与する役職員です。ギルドマスター、各支部長、本部の事務員……。ギルドを運営している『身内』の皆さん全員ですね」


 ハインリヒの顔から、急速に血の気が引いていく。


 彼は咄嗟に傍聴席を見やり、それから救いを求めるようにニクラスへ問いかけた。


「ま、待て。冒険者はどうなる。冒険者も構成員として、責任を分担するんじゃないのか?」


「おや」


 ニクラスが、わざとらしく驚いて見せる。


「先ほどの審理で、貴ギルドはこう主張されましたね。冒険者はあくまでギルドのサービスを享受する『利用者』であり、運営に携わる『構成員』ではないと。……その主張を、今この場でも維持されますか?」


 沈黙が、ハインリヒの首を真綿で締めるように迫る。


 もし「利用者」だと言い張り続ければ、ギルドが抱える莫大な責任はハインリヒたち役職員だけが背負う。


 逆に、冒険者を「構成員」に含めれば、責任は分散されるが、今度は彼らに議決権や会計公開の権利を与えなければならなくなる。


「……ま、待てよ!」


 傍聴席で、一人の冒険者が悲鳴のような声を上げた。


「おい、冗談じゃねえぞ! ギルドが借金抱えたら、俺ら冒険者が割り勘で払わされるのか!?」


「待て待て、あのダンジョン入場料の不当利得、もし返還しろなんて判決が出たら……」


 別の冒険者が、震える手で計算を始める。


「大陸中の冒険者数で割っても、一人あたり数百クローネはいくぞ! 何で俺たちがギルドのケツを拭かなきゃならないんだ!」


「構成員なんて御免だ! 俺たちはただの客だろ! 勝手に借金を背負わせるな!」


 法廷は一転して、パニックに陥る。


 これまで「利用者扱いするな」と怒っていた冒険者たちが、今や「絶対に利用者でいさせてくれ」と必死の形相で叫んでいる。


 レナは騒然とする傍聴席の中、呆然とニクラスを見つめていた。


「……これ、利用者のままでいたほうがマシってことか?」


「どちらがマシかは、ギルドが決めることです」


 ニクラスは騒ぎを鎮めるように手を挙げ、静かに断言する。


「責任を一身に背負い、不透明な特権を維持し続けるのか。それとも責任を分散し、透明な組織へと生まれ変わるのか。どちらを選んでも、法的な義務は発生します」


 傍聴席がようやく静まりを取り戻した頃、ニクラスは次の話題に移った。


「さて、組織の定義については一旦横に置きましょう。次に、実務面における法的根拠を確認させてください」


 ニクラスは手元の記録をめくり、一つの数字に視線を落とす。


「冒険者ギルドは、市域にあるダンジョンの入り口を管理し、入場料を徴収していますね。一回あたり、五千クローネ。間違いありませんか?」


「……管理費用として、妥当な額を徴収している。異論はないはずだ」


 ハインリヒが、絞り出すような声で答える。


「では、その管理費用の内訳を教えていただけますか。安全確保のための巡回費、あるいは魔法障壁の維持費など、詳細な項目があるはずですが」


 ニクラスの問いに、エーリッヒが即座に反応した。


「恐縮ですが、管理費用の算出根拠はギルドの内部規定に属する機密事項です。部外者への開示はいたしかねます」


「非公開、ですね。承知しました」


 ニクラスは驚くほどあっさりと引き下がる。だが、その微笑みは消えていない。


「では、根本的な問いに移りましょう。そもそも、あのダンジョンの所有権はどこにありますか?」


「ギルドだ。三百年前から我らが管理し、魔獣の氾濫を防いできた。実質的な管理権は、我らの手にある」


 ハインリヒの言葉に、ニクラスは静かに首を振る。


「ギルドマスター。法学において、管理権と所有権は明確に区別されます。あのダンジョンは、自由都市リベルタスの公有地の地下、あるいは市が管轄する山林の深部に存在している。土地の所有権、およびその公的な管理権は、リベルタス市議会に帰属します」


 ニクラスは窓の外、市庁舎の塔を指し示す。


「市が所有する公共施設の地下で、ギルドが入場料を徴収する。これには都市との明確な委託契約が必要です。……エーリッヒ殿。ギルドがダンジョンでの収益を独占できる法的根拠は、どこに記されていますか?」


「それは……。先ほども申し上げた通り、三百年の慣行が――」


「慣行は法的根拠ではありません」


 ニクラスの言葉が、冷徹にエーリッヒを遮った。


「商人ギルドが広場で市場を開き、使用料を徴収する場合、彼らは市と土地利用に関する委託契約を結び、売上の一部を納めています。ところが、冒険者ギルドにはその契約が存在しない。契約がない以上、貴ギルドは無権限で公共施設の入場料を徴収していることになります」


 ここで、これまで沈黙を守っていた財務官オスカーが、静かに身を乗り出した。


 彼は卓上の帳簿を開き、羽ペンを走らせる。


「……計算しましたよ、ニクラス審判官」


「おや、オスカー財務官。数字が出ましたか」


「ええ。リベルタス市域にある三つのダンジョンの平均入場者数から算出すると、ギルドが過去に得た利益は莫大です。法的根拠のない徴収であれば、これは民法上の『不当利得』に該当する可能性がある」


 ハインリヒの顔が、今度こそ土気色に変わる。


「不当、利得……?」


「要するに、取る権利のない金を勝手に取っていた、ということです。全額返還を求めたいところですが、時効の問題もあります。……ですが、直近二十年分に絞っても、その返還額はギルドの年間予算の数倍に達するでしょう」


「二十年分だと……!?」


 ハインリヒが絶句し、エーリッヒの顔には絶望が張り付く。


 傍聴席の冒険者たちからも、ざわめきが立ち上る。それは先ほどの「無限責任」への恐怖とは異なる、明確な「怒り」の色を帯びていた。


「おい、ちょっと待てよ」


 レナが、震える声で立ち上がる。


 彼女の脳裏には、五千クローネが払えず、泣く泣く依頼を断った新人時代の苦い記憶が蘇っていた。


「要するに、俺たちが毎回払ってたあの入場料は、取る権利がない連中に掠め取られてたってことか?」


「法的には、そうなりますね。有効な委託契約書がない以上、ただの不法な関所と同じです」


 ニクラスが淡々と肯定する。レナはハインリヒを、射殺さんばかりの勢いで睨みつけた。


「返せよ。……いや、まず返すかどうかの前に。俺が入場料を払えなくて、ランクを上げるチャンスを、生活のかかった依頼を諦めたあの回数……誰が補償してくれるんだよ」


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